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夏休みの自由研究に異世界旅行記はいかがですか?  作者: 葛生雪人
二日目 異世界『ゾルタート』音の鳴り響く谷

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7/12

七、観光やり直し

 八月二日 異世界天気、曇り→快晴

 よく考えれば一つの世界につき一日って、結構タイトなスケジュールな気がするんだけど……。

 今日みたいな感じだと体がもたないかもしれないと本気で不安になった。






 旅行二日目。異世界『ピック』で迎えた夜明けは仄暗かった。

 今日の行動開始時間はとてつもなく早い時間に設定された。二日目の予定をなるべく変更せずに英雄の丘の観光をし直すとなると、夜が明けるのとほぼ同時に活動を始めなければならなかった。

 対岸の宿を出立してたいして進まないうちに健渡は大きなあくびをした。まだ橋の端にもたどり着いていないというところだ。

 そこで立ち止まり、こらえきれなくなってあくびをひとつ。ついでに大きく伸びをする。肌の表面に肺の深くに、冷たく湿った空気が貼りついた。

 橋のこちら側とあちら側。一帯は薄い霧に覆われていた。

 そのせいで暗く感じるのかと空を見上げたが、どうやらそれだけではないらしい。空の低いところに重苦しく雲がのさばっている。昨日は夕焼けも見られたのにと思うと少し残念な気持ちになった。

()()()()()()で言うと、今何時くらいなんですか」

 ぶるっと身震いをひとつしてから、健渡は先を行く新介たちのもとへ駆け寄った。

「日の出からちょっと経ったくらいだろ」

 新介は空を見上げる。太陽は見当たらない。

 その隣で深矢子は腕時計を見た。

「そうねー、五時とかそれくらいかな。チェックアウトまでたっぷり時間はあるし、今度こそ『英雄の丘』を堪能しなくちゃね」

 さすがは優秀な添乗員だ。ひっきりなしにあくびをし眠い目をこすり寝グセに気を向ける余裕など皆無で歩きながらときどき夢の世界に迷い込んでしまっている男たちとは違って、背筋はしゃんとし化粧もばっちり、表情筋も早朝からしっかり動いているようで、元気いっぱいの営業スマイルを健渡に向ける。

「そうですね」

 言いながら健渡は頑張って笑顔を作った。

 しかしやはり深矢子のようにとはいかないものだ。頬の辺りの筋肉がぴくぴくと強張ったものだから、健渡はすぐにあきらめて冴えない顔で橋の向こうを見遣った。

 モンサンミシェル。

 もとい異世界ピックの英雄の丘。

 昨日とは違う景色が見られるだろうかと、期待と不安がない交ぜになっていた。足どりが何となく重いのはそのせいだ。きっと眠たいだけじゃない。

 健渡はふうっと息を吐いた。

 すぐ横で新介が大きく息を吐いた。こちらはあくびの終わりかけだったようで、スッと吸ったあと「ふわぁあああ」と長く間抜けな声も一緒に吐き出された。

 吐ききったところで、新介の腕ががしっと健渡の肩を掴んだ。肩組をするような形になりながらこちらに体重を預けてくる。

「重いよ」と言いながら腕から逃れようとする。しかし新介はいっそう腕に力を入れる。新介の腕は首回りへと移りしっかりと健渡の体をロックした。教室でじゃれてくる男友達みたいだ。

「案ずるな。ここは異世界だ」

 自信たっぷりに新介が言った。

「何それ。ちょっと意味がわからないんだけど」

「わかるだろ。ここは異世界だ。期待していいってことだよ」

「いや、だからその根拠がまったくないっていう話で――」

「案ずるな。産むが易しだ、我が甥っ子よ」

 バンバンと健渡の肩を叩く。

 深矢子は「ほんと、新介はどうしようもないなあ」などとケラケラ笑うだけで助けてはくれなかった。

「それじゃあ……いざ、『英雄の丘』へ!」

 新介が島の方を指差した。

 心なしか立ちこめていた霧が濃く深くなったように見えた。




「とは言ったものの、だ」

 新介が元気だったのは島に渡ったところまでだった。

 橋を渡り、街唯一の入り口である門をくぐるくらいまではスキップでもしそうな軽い足どりで『異世界』を歩いていた。

 しかし二つ目の門――頂上にある大神殿への参道の起点となる門をくぐると態度は一変した。狐につままれたような顔……からの落胆と失望。それはもう、一目で『落ち込んでいる』と理解できるほどの顔つきだった

 そこまで大袈裟ではないにしろ、きっと自分も同じような顔つきになっているのだろうなと健渡は思った。

 英雄の丘と呼ばれる島の中、コンヌの街はしんと静まり返っていた。街はまだ動き始めていなかったのだ。

 昨日、観光客でごった返していた参道に人影はなく、道の両側に並んでいる店はどこも閉まっている。

 店だけならさして問題にならないのだが、街が眠っているということは、つまりどこもかしこも、誰も彼もまだ動き出していないということだ。

 『観光地』はまだ営業開始前だった。

 霧がいくらか薄くなってきた。

 しかし曇天の空の色も手伝って街は薄寂しく見えた。

「気がつかなかった俺もアレだけどよ。この状況でどうやって『観光』するつもりだったんだよ、優秀な添乗員さんよお」

 新介が深矢子に絡む。

「観光施設に入ったりお土産買ったりするだけが『観光』じゃないでしょ」

「それじゃあ、こんな朝早く他に何をするつもりだったんだよ」

「島をぐるっと歩いて歴史とか文化とかを肌で感じるとか、住んでいる人たちから話を聞くとか――」

「人っ子ひとりいないのにか?」

「ぐるっと歩くのはできるでしょ。ね、健渡くん」

「え? あ、まあ」

「健渡、お前どっちの味方だ」

「味方とかそういう話じゃないと思うけど」

 二人が左右から圧をかけてくる。

「とりあえず行ってみるしかないんじゃない?」

 健渡は二人から逃れるようにして参道を歩き出した。一拍空けて大人たちが続いたようだ。背後からああだこうだと言い争う声が聞こえてきたが知らないフリで前へ進んだ。

 ゆるいカーブが続く坂道を一歩一歩進んでいく。スニーカーの靴底がキュッと小さく鳴った。霧のせいか石畳の道は昨日とは違って湿っていた。

 顔を上げてみれば、道の両側に立ち並ぶ家々も昨日とは違う顔をしているように見えた。

「天気とか、観光客がいるかどうかとか、そういうものが違うだけでも見え方って変わるものだね」

 健渡は素直に言った。

「まあ、一番影響してるのは俺の心構えだろうけど」

 言ってから、ふうっと息を吐く。

 本当に勿体ないことをしていたなと、そう思っていた。

 確かにこの島は健渡の知識にある異世界っぽくはなかったしモンサンミシェルにそっくりだった。だけど『モンサンミシェルではないところ』を探そうとすればいくらでもあったはずだ。あらためて島の中を歩いてみるとそんな風に思えた。

 たとえば建物のひとつをとってみても、そこに存在する歴史や謂れといったものは健渡のいた世界のものとはまったく異なるのだ。

 島をぐるっと縁取る城壁だってそうだ。

「ここは昨日は通らなかったよね」

 と言いながら深矢子が案内してくれたのは、城壁の上を歩くルートだ。

「城壁ってことはお城だったんですよね」

 ガイドブックにもその辺のことは書いてあったが、さらっと触れる項目があっただけだった。

「お前、王冠被ってふんぞり返ってる王様の姿とか想像しただろ」

 新介が茶々を入れる。

「してないよ。お城って言ってもここは要塞とかそういうのだろ」

 モンサンミシェルの歴史にもそんな話が合ったからと言いながら、また同じところを探してしまったなと反省した。

「でも要塞だとしたら、何と戦うために?」

 海の向こうに目を遣る。

 他の大陸があって他の国が攻めてくるということか。

 安易にそういう答えにたどり着いた健渡に、深矢子は「それが違うのよ」と首を横に振った。

「ここは神話の舞台なの」

「神話?」

「そう。むかーしむかし、この地方はとっても大きな獣がたくさんいて人が住む場所を荒らしていたの。その獣から人々を守るために神様が遣わせたというのが、この島の名前の由来になっている『英雄』っていうわけ」

「獣に、英雄に、神話、ねえ」

「信じてないでしょ。お伽話とかの類いだと思ってるんでしょ」

「いや、そんなことはないですけど」

「けど、なあに?」

「日本でも『そういう(てい)』みたいな話はあるから、どうなのかなあっていうのは……ちょっと思ったりするでしょ、ふつう」

 健渡は言ってもう一度沖を見つめた。

「獣、ね。今もいたりすれば素直に信じられるんだけど。魔法とかもない世界だっていうしそういう話はなかなか信じがたいっていうか」

 言うと新介がニタッと笑った。

「そうだよなあ。自分の目で見てみないとなあ」

「え? 本当にいるの?」

 健渡は驚いて声を上げた。深矢子の反応をうかがってみれば、新介と同じように何かを含んだような笑みを浮かべているではないか。

「見られるかどうかわからないけど、行ってみる?」

 深矢子が言う。

「行くに決まってんだろ」

 新介がそれに続いた。

「二人ともそんなこと言って――って、本当に?」

 大人たちの悪ふざけをたしなめようとしたのに、二人の顔にそんな気配がないことに気がついて健渡は恐る恐る尋ねた。

 新介と深矢子は同じタイミング同じ角度でしっかりと頷いた。



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