二、りぃんと鳴って、異世界
八月一日 異世界天気、……晴れ?
おじさんに連れられてやってきた異世界。まさかこんなことになるとは思わなかった。
一、
目覚ましのように響いた風鈴の音は、やはり啓示とか、虫の知らせとか、そういうものだったのかもしれない。
風鈴が異世界旅行への切符になるというのは、聞いただけではいまいち理解が出来なかったが、直前に聞いた風鈴の音のせいで、不可思議な存在を受け入れる土台はできていたような気がした。
健渡は、風鈴を吊るための道具を探す新介の姿を尻目に自分の部屋へと戻った。荷造りにダメ出しをされたせいだった。
異世界に旅行と言われても何を用意していいかわからず、普通の旅行と同じように着替えやら洗面道具やらを詰め込んだ。
しかし中身ではなく、容れ物がまずいのだと言われた。
「異世界っていうのは、こっちみたいに道が舗装されてるわけじゃないんだから、そんなの持ってったら大変だぞ」
新介はそう言って健渡が用意したトロリーバッグを指差した。
「え、じゃあ何に入れてけばいいんだよ」
言いながら視線は新介の持って来た荷物へと向く。登山用の大きなリュックだ。
「背負えた方がいい。腰のベルトが付いていればなおいいが、ないなら仕方ない。ともかく両手が空くというのが最優先事項だ」
「ななめがけじゃダメなの?」
「斜めで一日歩いたら、バランス悪くて疲れるぞ。片側だけ肩凝ると滅茶苦茶しんどいし」
「……一日歩くの?」
「歩くこともあるだろう。なにせ異世界だからな」
新介は言った。
そういえば自分自身は異世界には行ったことがないと言っていたはずだ。彼の想像では異世界はとんでもない未開の地かもしれないが、行ってみたらこちらの世界よりも文明が進んでいて快適なのかもしれない。
しかしそうでない可能性も、やはり大いにあるわけで。
「めんどくさいなあ」とぼやきながらも、健渡は部屋に戻ってリュックに荷物を詰め替えた。
そうしてふたたびリビングに戻ってくると、風鈴はリビングのすぐ横にある和室の鴨居に付けたフックに吊されていた。
新介はもうリュックを背負い、いつでも出発出来るような態勢にあった。そうしながら、風鈴から垂れ下がる短冊状のものを押さえている。
「何してるの」と健渡は聞いた。新介は、風鈴が鳴らないようにしているのだと答えた。門や扉のような形状の場所に風鈴を吊し、その音を響かせれば異世界への入り口が開くと言うのだ。
「準備はいいか?」
「靴はどうするの」
「あ」
「さすがに家の中で履くのは抵抗があるから、手に持って行くのでいい?」
「ああ、それでいこう。で、俺のも頼みたいんだが」
身動きとれなくなっている新介が申し訳なさそうに言う。「高く付くよ」と言って健渡は玄関にあった新介の靴と自分の靴とを両手に持った。
「今度こそ、準備はいいな?」
「俺はね。おじさんこそ忘れ物してない? 昔っから結構抜けてるとこあるんだろ。父さんたちが言ってたよ。テストの日に筆記具忘れたりとかさあ」
「不安になるようなこと言うなよ」
健渡の言葉でリュックの中身が気になってしまったのだろう。背負っていたリュックを腹側に抱え荷物を検める。
「おじさん、手」
「あ」
風鈴が鳴らないようにと添えられていた手は、リュックの中を探っている。
クリーン運転に入ったエアコンからの送風が、風鈴の短冊を揺らす。その動きは紐をつたい舌に伝わり、空色の風鈴をりぃんと鳴らした。遠く高く晴れた空のような綺麗な音色だった。




