十二、水と精霊と魔法
「それじゃあまた後で」
そう言ってムシュテルは一行から離れウスレンデルの雑踏へと消えていった。まだいくつか用事が残っているらしい。
ふたたび合流するまでの間、健渡たちは『音が鳴り響く谷』を観光することとなった。
「クエストの詳細はどうなったんだろうって思ってる?」
深矢子がいたずらっぽく訊いてくる。
「あ、いえ」と一度は否定してみせたが、
「……思ってました」
健渡は素直に答えた。
「適当なこと言ったり、約束をうやむやにするような大人がすぐ近くにいるから。ちょっと不安になってました」
「なるほど。それは納得」
言いながら、二人は新介を見た。
新介は不服そうな顔でそれを迎える。何か反論でもしようとしたようだが、健渡たちの冷ややかな視線に圧されて「何だよ、二人して」とぼやくにとどまった。
「クエストの詳細は、この世界のことをもう少し知ってからの方が説明しやすいのよ」
「だから先に観光しようってことですか?」
「そういうこと」
深矢子の顔つきが仕事モードへと変わっていく。
「それではこれより、異世界ゾルダート『音の鳴り響く谷』をじっくりたっぷりご覧いただきますよー」
この辺りが『谷』であることは十分理解した。
では『音が鳴り響く谷』と呼ばれる所以は何か?
それは歩き始めて間もなく知ることができた。
ウスレンデルの街の中心地を後にして外れの方へと進むと、家の並びがまばらになり始めた辺りでゴオッという音が聞こえてきた。
健渡は初め、風の音だと思った。狭い谷にビル風のような強い風が吹いたのだろうと考えたのだ。しかしそれでは『ゴオッ』ではなく『ビュウッ』の方が相応しい気がするし、何より健渡の髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜていくような動きはなかった。風の音という説はあっという間に怪しくなった。
そうだとすると、この音の正体は何か?
ゴオッという音は、単発で鳴った音ではなく、切れ目なく後を追い重なり合い、そうやって鳴り続けている音だった。
ゴオォゴオォと鳴って、やがて響くような音へと変わっていった。近づくにつれ空気や地面が震えて、耳だけでなく体全体で音を感じるようになった。
轟音という程の音が、谷底で大きくうねっているようだった。
すごいでしょ、とまるで自分の手柄でも誇るように深矢子が言った。
「何の音なんですか?」
健渡は言いながら辺りを見渡す。
「あれよ」と深矢子が指差したのとほぼ同じタイミングで、健渡はそれを見つけた。
「あれって……滝?」
音が鳴り響く谷。現地の古い言葉ではクロラ・フォンテというその谷の、両側にそびえる崖の高さは三百メートルほどある――ということはこの世界に来てすぐに説明を受けた。新介によると「三百って言えば、阿倍野にそびえるのあのビルとか、みなとみらいのランドマーク的なアレとかくらいの高さだな」ということだった。
その高さを一気に流れ落ちる荒々しい瀑布がそこにあった。
「あれはタウフィの滝。ウスレンデルのシンボルになっている滝で、この谷で一番の落差を誇る滝よ」
「『音が鳴り響く谷』っていうのは、この滝の音のことを言ってるんですね」
「この滝だけじゃないぜ。クロラ・フォンテには百を超える滝があるんだ」
「え、そんなにあるの」
「タウフィの滝はその中で一番の落差を誇るのよ。一番から見ちゃったらこのあとつまんないじゃん、とか思った? 大丈夫。『一番』は他にもいろいろあるから」
新介と深矢子は揃ってにんまりと笑う。
「別にそんなこと思ってないけど」
健渡は滝を見上げた。
「一番の落差、かぁ」
すぐ傍まで近寄れると言うから行ってみれば、それはとてつもなく大きな滝だった。
高さも然る事ながら、そこを流れ落ちる水の量も凄まじいもので、太く広くそして力強い水の流れが、地上近くまで束となったまま落ちていく。
しかしその束は地面にたどり着く間際で解かれて霧散して、飛沫となって辺り一帯の緑の上に降り注ぐ形で着地した。滝壺様の水の溜まりはあったが、滝の規模から言えばあまりに小規模な、浅く穏やかな水場だった。
タウフィの滝から十メートルほどのところに立って、健渡はゴオッという音と飛沫を浴びていた。
これだけの勢いで流れ落ちる滝だというのに、間近から見上げても霧雨に降られたくらいの感覚だった。滝の全長の三分の一くらいの高さで、突然不自然に水流がほどけるせいだ。
「魔法、とかですか?」
健渡はその辺りを指差して言った。この世界に来てまず言われたことを思い出していた。
『この世界には魔法がある』
具体的にどんなものであるかは知らないが、目の前にある滝の落ち方は健渡の知っている常識からはずれていたから、そういう力が影響しているものなのだろうと思ったのだ。
「あれは正確に言うと魔法とはちょっと違って、『精霊』によるものなの」
真っ直ぐに流れ落ちる滝が途中でパンッと弾けてしまうのは、そこに精霊の溜り場があるからだと深矢子は言った。
「精霊の溜り場、ですか」
うまくイメージできなくて健渡は顔を顰めた。
「アレだよな。そもそも精霊って何だってところからだよな」
「そっか。そこからか」
新介の指摘に深矢子がムムムと唸る。
「どこまで説明したらいいかなあ。ガイドブックに書かれているくらいの情報量? それとも専門書レベル?」
「その加減、俺に委ねます?」
「アハハ。それもそうか。じゃあこのあとのクエストで困らないくらいっていうことで」
ゴホンと咳払いをする深矢子。
大量の荷物の中からノートくらいのサイズのタブレット端末を取り出した。ササッと操作してファイルを開く。異世界ゾルダートについてまとめられたスライドのようだ。
「これ、全部の世界の用意してあるんですか?」
「あるよー。でも今回持って来たのは必要な分だけだけどね」
言いながら精霊について書かれた箇所を探し出す。
「簡単に説明すると、この世界には精霊というものがいます。精霊は魔法の源となる存在です。精霊は水が好きで泉や川、それからここみたいな滝とかに集まりやすいので、そういうところには自然と魔法が生じやすい、という仕組みになっています」
箇条書きにした項目を読上げるように深矢子が言う。
「ひとつひとつ詳しく知っていくと面白いんだけど、今必要なのは『精霊は水が好き』っていうことと『精霊が集まるところに魔法が生まれる』っていうことだから、この二つだけ何となく理解していれば大丈夫よ」
「はあ」
「それで、精霊っていうのは蝶々みたいにひらひらと世界を飛んでいて水がたくさんあるところに集まってくるの」
「それが、あそこってことですか?」
健渡は滝がほどける場所を見た。それらしいものがいるようには見えなかったし、何かが作用して空間が歪んでいるだとかそういうわかりやすい見た目にはなっていなかった。
だけどそこに精霊はいるのだと深矢子は言った。
「自分の目で見られるものではないから信じがたいかもしれないけれどねー。とりあえず、ゾルダートという世界はそういう世界で、その中でもこの『音が鳴り響く谷』は精霊が多く集まる場所なの」
「それって、つまり――」
「谷は、『魔法』が多く生まれる場所ということだ」
三人以外の声だった。
声のした方を振り返るとムシュテルが立っていた。急ぎ用事を済ませてきたと言う。
待たせたな、と言ってからムシュテルは健渡の隣に立った。耳には例の翻訳機が付いている。日頃から他の世界の人間と接することが多いので、前に深矢子に頼み込んで譲ってもらったのだと教えてくれた。
ムシュテルは同じようにタウフィの滝を見上げたが、健渡とは明らかに心持ちが違う。
実に誇らしげな表情で滝の流れを見つめていた。
「滝のある場所には魔法が多く生まれる。魔法は多くの恵をもたらし土地を豊かにする。特別な草花が育ったり、魔法の力が詰まった魔石が生成されたりといった具合にだ。私の村もそういう場所のひとつなのだが」
ムシュテルは途中で言葉を止めた。
横目でちらりとこちらをうかがう。
「異界からやってくる者に頼らなければならない事態に陥っている」
情けないことだ、と負の色合いの言葉を口にしながらも、ムシュテルの表情に影は見えなかった。ある種の清々しさすら感じる顔つきだった。しかし開き直っているのとも違うし諦めているという風でもないのだ。
「自分らで何ともできないということについて情けないと確かに思いはするが、誰かの手を借りれば何とかなるからな。悲観するのはまだ早い」
ムシュテルはあっけらかんと言う。
「ということは、魔法とか妖精とか、そういうものに関係したクエストってこと?」
健渡は独り言のように言った。
それを拾ったムシュテルは「クエスト?」と聞き慣れない言葉に首を捻ったが文脈から察したようで、健渡の呟きに対し「あなたはこれから、魔法を利用して私たちの村を救うんだ」と答えて微笑んだ。
※初回更新時に抜けていた一文がありました。
抜けていたところを直したつもりが、まだ抜けていまして……
10月28日に下記の部分修正しました。すみません。
『耳には~』の部分が付け足した部分です。
◆◆◆(修正箇所:ムシュテル合流語、翻訳機のくだりです)
声のした方を振り返るとムシュテルが立っていた。急ぎ用事を済ませてきたと言う。
待たせたな、と言ってからムシュテルは健渡の隣に立った。耳には例の翻訳機が付いている。日頃から他の世界の人間と接することが多いので、前に深矢子に頼み込んで譲ってもらったのだと教えてくれた。




