◆ 学院編 古代遺跡 -17-
澄んだ水面に映る鎧と羽毛、そして、ヴァルカリオンたちの勇姿が、淡い木漏れ日を反射して揺れていた。だが、そこにとどまれる時間はわずかで、周囲の仲間と雑談する余裕などなく、皆がそれぞれ装備や騎獣の手入れに忙しい。
俺も手綱の緩みを確認したり、パイパーのたてがみにブラシを入れたり、たわいない作業に集中する。
ルクレールは、蹄鉄のチェックを終えると、鞍や鐙の状態をひとつひとつ点検し、締め直したり革を磨いたりして入念に世話をしていた。
「こうして見ていると……あんたって、本当に騎士なんだな、と思えてくる」
思わず口にすると、しゃがんで作業をしていたルクレールが肩越しに視線を返して来た。
「ヴァルカリオンは、騎士にとっての誇りだからな。俺専属の馬でなくとも、手入れも、扱いも、すべてが任務の一部だ」
俺は黙ってうなずく。
「そろそろ俺が何者か知りたくなったか、セレス」
ルクレールは軽く口元を緩めて言った。
俺は少しだけ声をひそめて答える。
「知りたくない……わけではない……」
するとルクレールは立ち上がり、俺を真正面から見つめ、確かな決意を帯びた声で告げた。
「俺は――|テネブリス・ノクターン《夜の影》所属の騎士だ」
無意識に息を呑み、手綱を握る手に力がこもった。
原作本編でその言葉を目にしたことがある。
はかなげで麗しいリシャール受け殿下が乗った馬車が事故に遭う――いや、正確には仕組まれた罠であり、殿下が誘拐されるという一幕だった。
そこで、|テネブリス・ノクターン《夜の影》が総力を挙げて探索網を張り巡らせ、敵のアジトがあると思われる森を特定。たまたまその近辺には、陸軍近衛師団四部隊の一つ、ルー・ダルジャン隊が展開していて、伝書使からの急報が入る。その隊には、入隊したばかりのアルチュールの姿があり、彼は仲間とともに直ちに救出に向かった。そして、拘束され媚薬を嗅がされ、弄ばれようとしていた殿下を、間一髪で助け出したのだ。
アルチュールは、理を問うより先に賊徒――リシャールにのしかかっていた人攫いの首を問答無用で容赦なく刎ね飛ばす。半狂乱のまま、あられもない姿で「見るな」と叫ぶ殿下を自らの外套で包み込み、抱きしめる場面は、読み手の胸を強く打つ名場面として記憶に残っている。
あの、闇の騎士、|テネブリス・ノクターン《夜の影》。
王直属にして、表に出ることはなく、諜報から討伐、鎮圧に至るまで、いわば国の「公安」や「特殊部隊」のような役割を担う組織。必要とあらば「機動隊」のように前線へ立ち、裏では暗殺すらも辞さない――そんな危険で不可欠な役目を負う者。
隊は小規模な精鋭で構成され、隊員に選ばれるのは極めて難しいとされる。王国を陰から守る近衛師団。
まさか、目の前にいる男が闇の騎士だったとは。
「……王直属が、こんなところでなにやってんだよ」
俺の問いにルクレールは淡く笑みを浮かべ、軽く肩をすくめて言った。
「平時はな、案外暇なんだ。前にリシャールにも言ったが……俺が本当に忙しい時の方が、国にとっては大問題なんだよ」冗談めかしているようで、目の奥に宿る光は冗談ではなかった。「今回、俺は殿下の護衛任務に――そうだな……、志願して随行している」
「……なんだ。俺に会いに来たと言ったのは、やっぱり嘘だったんだな」
「いや」ルクレールは首を振った。「殿下にはすでに任じられた護衛がいる。今の殿下の担当騎士ロジェ・ラクロワが、ノクターンの一人で、俺の仲間だ。本来なら、俺はこの隊の副団長の下に控えて、単独で随行するつもりだったんだが……」
そこで彼はふと視線を逸らし、低く吐き出すように続けた。
「三日前、酒場で――お前の本来の担当騎士モーリスと偶然顔を合わせた。奴は嬉しそうに、「次の学院の課外授業で『銀の君』とペアになった」と言っていた」
ルクレールの口調には僅かな棘が混じっていた。
課外授業の後、生徒と担当騎士の間で手紙のやり取りが交わされ、親密な関係になる例は少なくない、とレオから聞かされた。
「貴族社会では、もとより顔見知りの者同士が多い。中には、あわよくば――と下心を抱いて任務に臨む騎士すらいる。そいつがどういうつもりだったにせよ……俺は、無性に腹が立った」ルクレールは自嘲めいた笑みを浮かべた。「だから前の晩、酒をたっぷり飲ませて眠らせた。そして代わりに俺がお前の『担当騎士』としてここに来た。殿下の護衛なんて口実にすぎない。……単独随行だろうが、担当騎士だろうが、俺は本当に、セレス、お前に会うためにここに来たんだ」
もしも――、
本当にもしも……原作本編のように、アルチュールとリシャールが結ばれる世界だったとしたら……、そうなっていたとしたら俺は、目の前のこの男の差し伸べる手を取っていたのかもしれない。
けれど、それはただの仮定だ。
刹那、ルクレールがふと俺の髪に触れた。指先でそっと毛先をすくい上げ、結んだ組紐を見つめる。
「……これは、あの黒髪の子爵家次男からの贈り物か?」
俺は「……そうだ」と、小さく答える。
どうせ交換していたところを見ていたんだろう。嘘をついて否定したところで、また曖昧に誤魔化したところで、彼には通用しない。ならば、正直に頷く以外、選択肢は残されてはいなかった。
ルクレールは目を細め、少し含みのある笑みを浮かべた。
「……まるで、お前が自分のものだと誇示しているみたいだ」
返す言葉を探しかけた、その時だった。
「総員、鞍へ! 出立用意!!」
低く響くデュボアの号令が、休息の空気を断ち切った。
甲冑の擦れる音、革の軋む音が川辺を満たす。騎獣たちも主に従って立ち上がる。
俺もルクレールも言葉を封じ、共に鞍へと跨がると、再び行軍が始まった。
川辺を離れ、木々の間を進むたび、日差しは枝葉の隙間で揺らぎ、影を落とす。
森の小径を抜ける途中、背後の茂みから小鬼が何体か飛び出したが、グリフォンの翼が一閃し、容易く地へ叩き伏せられた。頭上の枝からは牙を剥いた魔猿の集団が跳びかかったが、砦の兵が放った矢が正確に眉間を射抜き、無言で落下する。
野犬じみた魔獣の群れも、そこそこ大きな熊の魔獣も、騎士たちが放った火の魔弾と水の障壁に阻まれ、散り散りに退いて行った。
いずれも隊列を揺るがすには至らず、ヴァルカリオンたちは歩みを止めることなく淡々と進み続ける。
やがて木々の間から、石造りの建造物の形が次第に姿を現した。日差しを受けた灰色の石組みは、一歩距離を縮めるごとに輪郭を際立たせ、重厚な存在感を増していく。
遺跡はもうすぐそこだ。
そのとき――、
前を行く黒狼ガーロンが鼻をひくつかせ、唸り、足を止めた。
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ようやく正体を明かすことが出来ました。




