◆ 学院編 古代遺跡 -13-
それから先のことは、正直、記憶が曖昧だ。
恋愛経験値、底辺の俺をなめんな。混乱して当然だろう。
ヴァルカリオンの背に二人で乗り、砦へと帰る道すがら、殿下が何か語りかけてくれていた気がする。しかし、夜風にさらわれたかのように声は遠く、ただ馬の手綱を握りしめる掌の熱と、すぐうしろから伝わる存在感ばかりが鮮明に残っている。
砦に戻り、部屋へ足を踏み入れたときには、もう胸のざわめきに呑まれて、殿下の言葉の細部を思い出せなくなっていた。
別れ際、窓辺でリシャール殿下はふっと柔らかく笑って、
「ちゃんと馬は厩舎にもどしておく」そう告げたあと、「おやすみ、セレス」と静かに言い残して去って行った。
その声音が耳の奥に焼きついたまま、ベッドに身を横たえる。
水属性の仲間たち、ありがとう。みんな、見て見ぬふりをしてくれて……、いや、みんなではなかった。二段ベッドの上から逆さに顔を出し、大きな目を糸のように細めて胡散臭い笑みを浮かべるヴァロンタン・マルセル・ガルニエには、下から軽く一発、頭を手で叩いておいた。
「痛っ、窓の鍵を開けておいてやったのに」と笑い転げるので、そのまま放置する。
……何なんだよ。当事者の身にもなってみろ。
神々の目を借りて仕上げた完璧な美の集大成のような顔立ちをした一国の優しい王子様から、誠実に胸の内を打ち明けられたんだぞ。
普通なら、そのまま流されて色気にあてられ、自分から服を脱ぎ、正座して三つ指ついて「お召し上がりください」と言い出す者がいてもおかしくないほどの状況だった。それを俺は体験し、しかも何とか乗り越えたんだ――いや、心の中ではガタガタと震えてたけどな。
ド迫力、半端ねえ……。ネージュが見ていたら、「短い鳥生だったが、一片の悔いなし」とか言いながら尊死している。
まぶたを閉じても、頬に残る掌の熱と、真摯な眼差しだけは、どうしても振り払うことができなかった。
何なんだよ、今日は。一日にイベント三回? 死ぬわっ。
ああ、もう……と息を吐きながら、俺は寝台で上着とシャツと、ついでにズボンも脱いで髪の組紐をほどき、無くさないよう壁にかけていた革袋に丁寧に入れてから、代わりにタオルを取り出す。
ポケットチーフを落として、アルチュールとリシャールの出会いという重大なイベントをぶち壊した俺は、あれ以来、持ち物の管理を徹底している――つもり。未だ完璧ではないけれど。
別にアルチュールから貰ったから大切にしているわけじゃないんだからね!
……って、自分に言い訳しても仕方ないよな。ああもう……嬉しかったんだよ。推しのアルチュールがわざわざ選んで、手にして、渡してくれた――結局、大切にしてるじゃねえか。
「……取り合えず、俺、風呂入って来るわ」
そう言って立ち上がった途端、上段のベッドから再び顔を出して来たヴァロンタンが、すかさず軽口を飛ばしてきた。
「セレス、一緒に入って背中流してやろうか? 何なら全身隈なく洗ってやるぞ」
「殺す」
こいつも胸板が厚い。
元気のいい辺境貴族のワンコは、一人で十分だ。
༺ ༒ ༻
翌朝、朝食をすませたあとの休息時間、水属性担当のデュラン副警備官に名を呼ばれた俺は、軽く手招きをされ少し離れた場所へと連れて行かれた。
歩み寄ると、彼はいつもの落ち着いた声で問いかけてくる。
「コルベール君、胃薬は必要ないか?」
何のことか一瞬理解できず、俺は首を傾げる。
「え……? 胃薬ですか?」
するとデュランは、微かに口角を持ち上げ、少しだけ目を細めて言った。
「薬草畑には、私が居ると思っておけ」
「えっ……」無意識に声が出た。「……まさか副官……昨夜、あそこで草、食ってたんですか!?」
それを聞いたデュランは、肩を揺らして笑いながら、静かに首を振った。
「昨夜は、草は口にしていない。寧ろ、君が金色の若い百獣の王に食われかけていただろう」
一瞬にして、全身の血が顔に集まったのではないかと思うほど、頬が熱くなる。
「き、聞いてたんですか……?」
「疾走訓練のあと、体調不良を訴える生徒が思いのほか多く、念のため薬の材料を採りに畑へ向かっていたんだ。すると途中で、馬の鳴き声が聞こえて来て、持っていた明かりを消し、様子を窺っていると、しばらくして見覚えのあるヴァルカリオンとそれに乗ったお前たちが現れた。仲良く手を繋いだままガゼボに入っていくのを見て、邪魔にならないよう気配を消し、そのままお前たちが立ち去るまで待っていた」
その言葉を聞いた瞬間、顔を覆ってベッドに飛び込み、うつぶせのまま泣きたい衝動に駆られる。もう頬どころか、手足、背中まで真っ赤になっているのが自分でも分かった。
(* ᴗ ᴗ)⁾⁾. (♥ ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾
宜しくお願い致します。
中間管理職デュランさんの出番です。