◆ 学院編 古代遺跡 -10-
ちょうどシャワーから戻ってきたヴァロンタンが「ん?」と声を上げ、窓際へ駆け寄る。
その声に、室内の視線が一斉に集まった。
「え? 殿下?」
髪からしたたる水滴をタオルで拭いながら、ヴァロンタンは「アペリオ」と呪文を唱え鍵を外し、窓をぐいっとスライドさせるように持ち上げて言った。
「どうしたんですか?」
「セレスを呼んでくれ」
聞こえているし、見えている。
俺は靴を履いて寝台から立ち上がり、皆の注目を一身に受けつつ窓辺へと歩み寄る。
「何してるんですか、リシャール?」
「ちょっと、外に出れないか」
声は真剣だが、急いているようにも感じられる。
「外出禁止ですよ」
「知っている」
「見つかったら、今度こそ謹慎食らいます。俺は嫌です」
「そんなものは黙らせる。まあ、来る途中、ここの隊士たち何人かとすれ違い声をかけられたが、私のことは見なかったことにしてくれと言うと見逃してくれたぞ?」
おいおい、お立場乱用かよ。全く。
……ていうか、
どうして殿下の顔が、窓から見えているんだ?
この部屋は一階だが、砦の構造上、地面から床までが高く造られているため、外からだと窓の位置は人の背丈より上にある。脚立か竹馬にでも乗ってんのかよ、この王太子は……、と考えながら、胸の内で微かな不安が跳ね回るのを感じつつ、窓外へ、そっと顔を出してみると――、
月明かりの下、黒々とした大きな影が待っていた。ヴァルカリオン。その逞しい背に跨り、金の髪を風に揺らす殿下が俺を見ている。
「どっから、この馬、持って来た!?」
「セレス、声が大きいぞ」
「びっくりしたら、声も大きくなるでしょう!」
「今回の課外授業に参加している騎士のヴァルカリオンだ。厩舎に居たので、乗って来た」
「答えになってません! 勝手に持ち出して来ちゃダメです」
「名はカザンという。普段はとても大人しく人懐っこい個体だから、儀式にも頻繁に重用され、何度も乗ったことがある。ところで、馬に対しても知り合いだとか、顔見知りとか言うのかな、セレス?」
「知りませんよ!」
リシャールは微かに口元を緩め小首を傾げる。
「だから、セレスも落ち着いて乗れるはずだ。来い。少し話がしたい」
この男、人の言うこと、聞いちゃいねぇ!
「ああ、もう。全然、引かないんだから、あなたは!」仕方なく、俺は窓枠に足をかけ、そっと体を持ち上げる。「直接、ここからヴァルカリオンに飛び乗ると負担になるので、一旦、地面に飛び降ります」
「ヴァルカリオンは、それほど軟ではない。人の言葉もある程度、理解する。下手に遠慮した扱いをすれば、かえって不興を買うぞ。自身の強さにプライドを持つ騎獸だ」
月明かりに照らされるヴァルカリオンの背を見下ろす。リシャールは、タンデムサドルの後ろに腰を下ろし、前の鞍を俺にすすめてきた。
「なんで俺が前なんですか」
「ルクレールのときも、そうやって乗っていただろう」
なに、ムスッとした顔して頬を膨らませてんだよ。受け殿下のときは可愛かったけど、攻め殿下がやっても可愛く……、まあ、可愛いか。神レベルで顔が良いって、凄いな。
「彼と一緒に乗ったのは、訓練ですから……」
「乗れ」
手を差し伸べてくるリシャールに、俺は少しためらったあと、諦めた。
「分かりました」
「よし」
「話が終わったら、馬、ちゃんと返しに行きますからね。あと、直ぐ部屋に戻してくださいよ」
「善処する」
リシャールに支えられ、俺はヴァルカリオンの背に腰を下ろす。
そのとき、ヴァロンタンが窓から少し身を乗り出して言った。
「枕で人型作って、セレスが寝ているみたいに見せておくよ」
思わず苦笑する。けれど、そんな気遣いにどこか心がほっとした。
部屋の中から俺を見送る水属性の仲間たちの視線は、決して軽薄に冷やかすようなものではなく、どちらかと言えば、気の毒そうな……、寧ろ、可哀そうな子を見るような目だった。
そりゃ、今のやり取り聞いていたら、誰も逢瀬だとか、ランデブーとは思わないもんな。
「ここの鍵は開けておくから」
ヴァロンタンの言葉に、俺は無言で頷く。
リシャールが軽く右手で手綱を引き、踵を馬体に当てると、ヴァルカリオンは方向を変えて静かにどこかへと向かって歩き出した。
「こっちに薬草畑がある」
殿下が耳元で静かに囁く。
父王と共に、彼は何度も砦を視察したことがあるはずだ。そんなリシャールにしてみれば、ここは馴染みの深い場所なのだろう。
月明かりの下、石畳の道を進むと、低い生垣がぼんやりと浮かぶ。
その先に目を向けると、薬草畑が広がり、奥に小さなガゼボが見えた。
「着いたぞ、セレス」
ヴァルカリオンが歩みを止めると、リシャールは先に降りてから軽く俺の腰に手を添え、鞍から降ろしてくれた。
「カザン、待っていてくれ」とヴァルカリオンに声をかけてから、「セレス、あそこに座ろう」とリシャールが俺の手を取り、ゆっくりと歩を進める。
それから俺たちはガゼボの中に入り、隣合わせに腰を下ろした。未だ肌寒い夜気に混じって、青い草の匂いが鼻をくすぐる。
リシャールは少し息を整えるように目を伏せ、やがて低く言った。
「先ずは、謝罪させてほしい」
「……謝罪?」
何のことかと、俺は眉を寄せる。
殿下は横顔をわずかに固くし、ゆっくりと口を開いた。




