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◆ 学院編 寮監

 寮塔は原作の設定よりもやや簡素だったが、古びた印象はまるでなかった。時計塔を備えた正面玄関の壁も床も丁寧に磨き上げられ、隅々まで清潔感が行き届いている。長年使い込まれてきた建物特有の落ち着きは感じられるが、決して、くたびれたという言葉は当てはまらない。

 装飾は必要最低限で、絢爛(けんらん)さや豪奢(ごうしゃ)な趣きはない。しかし、その簡素さがかえって居住空間としての品格を引き立てていて、全体としては質実剛健という言葉がしっくりくる造りだった。


「ここは、落ち着く」

 隣に立つアルチュールが俺の耳に顔を寄せて小声で話しかけて来た。その率直な感想に、思わず笑みがこぼれた。貴族なのに珍しい感性――と一瞬考えかけて、そういえば彼の生まれ育った城は辺境にあるため、魔物との戦闘を考慮した要塞城だったのを思い出す。

「うん。同じくそう思う。ちゃんと人の手が入ってるって感じで、質素だがホッとするよな」

 俺の場合、現代社会で庶民の暮らしをしていたので、むしろコルベール邸よりもこっちのほうが肌に合う。というか、しっくりくるというか、自然体でいられる。

 アルチュールが、「だよな」と短く応じると、俺たちはしばし無言で歩みを進めた。





 第一寮のホールに到着すると、新入生――つまり俺たち一年生――を迎える“グラン・フレール()”たちが、整然と並んで待っていた。セレスタンの記憶によれば、大半はサロンで顔を合わせたことのある面々だ。(まと)っている制服はきちんと整えられ、それぞれに責任ある者の風格が漂っている。


 尚、この世界でのフレール(兄弟)制度とは――、

 寮生活を支える柱のひとつであり、上級生であるグラン・フレール()が、新入生であるプティ・フレール()一人一人に割り当てられる仕組みだ。

 具体的には、一年生には原則として二年生がグラン・フレール()となる。三年生は卒業に向けた高度な学問や専門的な鍛錬に集中する時期に入るため、この制度には組み込まれていない。

 グラン・フレール()は、困ったときや知りたいことがあれば、生活面から学業、校内の暗黙のルールに至るまで、幅広く教え、支え、導いてくれる。

 原則として、彼らの役割は、あくまで見守りと助言にとどまり、過度に干渉することは禁じられている。しかし、必要とあれば、私的な悩み相談にも応じてくれる上、その際、話した内容が第三者に口外されることは決してなく、プティ・フレール()の信頼を損なうような行為は違反とされる。これは学園が正式に定めた“守秘義務”でもあり、制度の根幹を支える重要な約束事でもある。

 だからこそ、グラン・フレール()は単なる案内役に留まらない。


 基本的には同じ建物の上下階に住む者同士でペアが組まれるため、階段を下りればすぐに会える安心感もあり、新しい環境に戸惑う新入生にとって、グラン・フレール()の存在は、まさに最初の“拠り所”となるものだ。


 第一寮のホールへと足を踏み入れると、待機していたグラン・フレール()たちが静かに一列に並び直した。そのきびきびとした動きに、新入生一同が思わず背筋を伸ばす。緊張感が戻ってきた――というより、空気に飲まれた、というのが正しいかもしれない。

 直後、整列した二年生の前に一歩進み出たのは、『サヴォワール寮』の寮監ヴィクター・デュボアだった。

 年齢は、三十代半ば。背が高く、膂力(りょりょく)あふれるがっしりした体格に、無精ひげをたくわえた口元。髪は真っ黒で、短髪がごわつきながら無造作に立っている。整っているとは言いがたいが、目鼻立ちははっきりしており、野性味のある顔立ちだ。眉は濃く、鋭い輪郭の中にも、目元だけは不思議と優しさを残していた。さの柔らかな眼差しとは裏腹、軍人のように背筋を伸ばして立つ姿には、ただそこにいるだけで場の空気を引き締めるような不思議な重みがあった。威圧的というよりは、底知れぬ存在感のある人物だ。


 今のところ、名前も見た目も、原作通り――。


 この世界の基となる『ドメーヌ・ル・ワンジェ王国の薔薇 金の(きみ)と黒の騎士』を読んでいた時の俺の『デュボア先生』に対する印象は、無骨でデリカシーに欠けるところがある一方、人当たりは悪くなく、誠実な人物。

 よく通る声で話し、笑うときは実に気持ちがいい。しかも、一緒にいると周囲も自然と笑顔になる。飾らない人柄と率直な物言いが場を和ませ、妙に人の懐に入り込む、()()()()の気質が彼にはあった。原作では、そんなデュボアの在り様が、高齢者や子供、動物、使い魔に懐かれる描写を通して表現されていた。


「――ようこそ、サヴォワール寮へ。俺は、寮監のヴィクター・デュボアだ。これからの学園生活、不安も多いだろうが、遠慮はいらん。困ったことがあれば、直属のグラン・フレールでも俺でもいい。遠慮なく頼れ!」デュボアはホール全体に響くようなよく通る低い声で語りかけたあと、口元をほころばせると腹の底から響くような大きな笑い声を上げた。「はははっ、まあ、もう肩の力を抜け。ここはお前たちの家だ」

 その一言で、場の空気がほんの少し和らいだ気がした。


 どうやら内面も原作通りのようだ。


リアクション、評価を頂き、ありがとうございます。心より御礼申し上げます。m(_ _)m

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