◆ 学院編 ガーゴイル -9-
レオは膝を折り、指先で魔法陣の線をそっとなぞった。一部、乾いた血が粉のように崩れ、彼の靴先に舞う。
「……未完成だな。契約の定着を待たずに途絶? 術者が力を失ったのか、それとも――」
レオの言葉が途切れた瞬間、沈黙が落ちる。
俺はアルチュール、そしてレオと視線を交わした。
誰も口には出さない。だが全員が同じ結論に辿り着いていた。――エドマンドは妹の魂を呼び戻そうとしたが失敗し、不安定なまま放たれた魂は旧礼拝堂の外へと流れ出た。そして、偶然か必然か……、向かいの本校舎の壁面に飾られたガーゴイル像に宿った。
重い確信が、三人の間を過っていった。
アルチュールが小さく息を吸った。
「……分かる気がする。エドマンドの気持ちが」
「アルチュール……?」
俺は思わず声を掛ける。
「俺も……瀕死のオオカミ犬、ノアールを氷の中で眠らせている」彼は苦しげに拳を握り締めた。「以前、セレスに言ったよな? 俺がこの学院に来たのは、ある目的があったからだ」
――俺がここに来たのは、一つの目的があったからで、それさえ叶られれば他はどうでもいいと思っていた。他人と上手くやって行こうだなんて、煩わずらわしくてこれっぽっちも考えていなかった。
目の前の魔法陣を見下ろしながら、アルチュールは静かに言葉を紡ぐ。
「ノアを救い、使い魔にするために魔法を学んでいる。……それは、自分のエゴだと分かっているんだ。本当は、静かに逝かせてやるのもひとつの思いやりなんだろう。安らかに……そうするのが一番なのかもしれない。けれど、離れたくない。だから、俺は……」アルチュールは、一瞬、唇を噛みしめた。「正確に言えば、俺のやろうとしていることは、まだ禁忌ではない。ノアは、まだ生きている。氷中で眠らせている限りは……。だが、氷結を解き、そのあとの術の展開中にもしもノアの命が途絶えたなら……、それは亡くなったものを呼び戻す行為になる」
眠らせたままでは、使い魔となるものとの契約は不可能。
魂を縛る魔法は、対象の意思なしには成立しない。だからこそ氷結を解き、一度、目を覚まさせなければならない。
「これは、紙一重の行動になる。分かっていても、どうしても手を伸ばしてしまう。だから……彼が妹を呼び戻そうとした衝動が、手に取るように分かる」
瞳には迷いが滲んでいた。
「アルチュール……」
俺はそっと、魔法陣の端に触れているアルチュールの手の上に自分の手を重ねた。
その瞬間、彼の肩の力が微かに抜け、視線が交わる。瞳には、決意と不安が同居していた。そして、アルチュールはもう片方の手で俺の背中を引き寄せると肩口へ額を預けるように身を寄せた。
「セレス……」
呼吸のぬくもりが伝わる。柔らかな温度と、緊張を伴った微かな震え。
死者を呼び戻すことは禁忌だ。
呼び戻すのは、もはやそれは妹ではない。理解していてもなお、エドマンドは……。
俺たち三人の胸に、重苦しい沈黙が広がる。エドマンドを助けたい気持ちは同じ。しかし、このままでは彼の変色した左腕の染みは確実に広がり、やがて全身を蝕むだろう。
一刻も早く対処しなければ――。
そのときだった。
外から「うわあああっ!」という悲鳴が響き、空気が一変する。
俺とアルチュール、レオは顔を見合わせ、同時に駆け出した。近くの窓に駆け寄り、外の様子をのぞき込む。
目に飛び込んできた光景に、息を呑んだ。
本校舎の頂から飛び降りたガーゴイルは、デュボアの眼前で、なおも咆哮を上げていた。彼の剣によって翼を裂かれ、飛翔力は失っている。それでもなお、巨体は地上をのたうち、火球を吐き散らす。
その背に、異様なものが芽吹いていた。
コブ。
背の肉が盛り上がり、泡立つように膨れ上がる。ひび割れた瞬間、そこから小さな影が飛び出す。
それは地面に落ちるや否や、ぐんと膨張し、わずかな瞬きの間に、本体の半分ほどの大きさへと変貌した。
だが数は一体ではない。裂け目が出来る度に、怪物が生まれ落ちる。
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