◆ 学院編 ガーゴイル -4-
《セレス、今、分かっていることだけ教えてくれ》
ネージュの声が響く。
「……本校舎の側面、旧礼拝堂側に設置されているガーゴイルが動いた。ここからは見えない」
旧礼拝堂は、かねてから耐震基準に適合していないとされ、今年の四月から正式に立入禁止となっていた。内部の調度品や資料はまだ運び出されておらず、長い年月をそのまま封じ込めた空間だ。
《ガーゴイル? 旧礼拝堂?》ネージュが急に声を潜める。《こんな事件……、出て来なかったよな?》
俺が彼の孵化に必要な魔力を卵に注いだことで、転生前の俺の記憶を共有しているネージュもまた、この異常事態が『物語には存在しない出来事』だと即座に察したようだ。
「ああ、まいったな。対処の方法が全く分からない……」
《セレス、慎重に動いてくれよ。気を付けろ! 絶対に無茶して怪我なんかするな! いいな! 絶対だぞ!》
「中身、オッサンかと思ったら、お父さんかよ」
《今夜、無事に帰って来たら、薄い絵本を読んで子守歌を歌ってやるからな》
「これは、やる気出て来るわー、カッコ、棒、カッコ閉じる」
俺とネージュの軽口も緊張を紛らわせるためのものに過ぎなかった。胸の奥には、じわじわと広がる不安が張りついている。
むやみやたらと動くことはできない。これは、「知っているはずの物語」には存在しない出来事だ。情報が欲しい。
奇石を通じて伝わってくる空気もざわついていた。誰も事態を理解できず、ただ不安が校舎全体を覆う。
「ネージュ、通信はオープンのままで」
《了解》
そのとき、またしても大地を揺るがすような轟音が走った。
梁が軋み、窓枠ががたがたと震える。
《レオ! 動いたぞ! ガーゴイルが壁から外れて……校舎の屋根を目指して登り出した!》キアランの声が奇石越しに裏返る。《バカでけえーっ! なんだあいつ! 彫刻だったはずなのに、ところどころ石がひび割れ、中から肉体? らしきものがのぞいてやがる! 体も一回り、いや二回りも大きく膨れ上がって……羽を広げた! 粉塵が舞い上がり、空気が震える! 飛び立とうとしてる!?》
轟音に引きずられるように、近くに居る学生たちの悲鳴が奇石越しに届く。怒鳴りに近い叫びが幾重にも重なり、耳に刺さるような恐怖の合唱となって伝わってきた。
その直後、キアランの声がさらに高まった。
《ま、待て……! 旧礼拝堂の扉から人影が飛び出してきた! ……血だらけだ。頭から血を流して……あれは――》息をのむ間が挟まる。《――エドマンドじゃないか!? エドマンド・アショーカ!》
「なんだとっ」
「えっ……エドマンド!?」
レオに続いて、アルチュールが思わず声を張り上げた。
俺は一瞬、誰のことだったか思い出せずにいたが、すぐに脳裏に浮かぶ。
エドマンド・アショーカ。
アルチュールのグラン・フレール――学院で彼の兄の役割を担う二年生。
༺ ༒ ༻
――時間を少し遡る。
学院の旧礼拝堂。本校舎から少し離れた石造りの建物は、学生たちにとっては「近づくな」とだけ告げられた場所であり、日常から切り離された沈黙の区画だ。薄暗い祭壇には、色褪せたステンドグラスから斜めに光が差し込み、舞う塵を青く照らしている。
そこで、ひとりの影が跪いていた。
彼は、セレスタンたちにとっては寮の先輩であり、レオにとっては同じ寮に住む同級生のひとり。
エドマンドの前に立つのは、翼を広げ、微笑を浮かべる白大理石の天使像。その眼差しは柔らかく、しかし石であるがゆえに永遠に沈黙を守っている。
額に汗を浮かべ、祈るように両手を組みながら彼は静かに呟く。
「……どうか、答えてくれ。もう一度だけ……妹よ、目を覚ましてくれ……」
その声は、長く押し殺してきた痛みを滲ませて震え、祭壇の空気はその懇願を吸い込むように、いっそう冷たく沈黙した。
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【補足】
※エドマンド・アショーカ、初回登場シーンはこちらとなります。
エピソード11話 グラン・フレール ~学院の『兄』~(余談)より
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その背中が遠ざかるのと入れ替わるように、アルチュールが彼のグラン・フレールと並んでこちらへと向かって歩いて来る。淡い褐色の肌をした長身のグラン・フレールは、肩まで届く銀灰の髪を後ろで束ね、整った顔立ちと落ち着いた物腰を備えた人物で、アルチュールと並ぶ姿は、まるで一枚の絵画のように華やかだっだ。
原作でも未見、セレスタンの記憶の中にも存在していない。完全な新キャラだ。十中八九、留学生だろう。
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