◆ 学院編 伝書使(後編)
ちなみに、アルチュールの伝書使の名前「シエル」の由来は、俺と出会ったとき、空にスリジエの花びらが舞って綺麗だったからだという。
そのことを、ついさっき、何気ない口調でさらりとアルチュール本人から告げられた。まるで天気の話でもするように、あまりにも自然で、あまりにも簡潔に。
最初に俺の部屋にやって来たのが彼だったので、リシャールが自分の雛を連れて現れるまでの間、ほんの少しだけ二人っきりの時間があったのがまずかった。
……いや、正確には二人きりではない。ネージュが横で聞いていた。
いや、「聞く」というよりも、「全身で受信していた」と言ったほうが正しいかもしれない。
そのとき、ネージュは声を出さず、赤い瞳をまん丸にして潤ませ、片翼を胸に当てて小さく震えながら、腐ったヲタク特有の無言の「尊い」を全身で表現していた。
それは横目で見た俺が、うっかり吹き出しそうになるほどの全力感で、まるで場の空気ごとパッケージにして抱きしめる勢いだった。
アルチュールとリシャールが結ばれると思われていたこの世界で、俺は当初、ネージュの居る立ち位置で二人をそっと傍で見つめ萌えを供給される側に居たかったのに、どうして、俺が萌えを供給する側にいるんだ、ああ、ちくしょう。
けれどその後、俺の視線はいつの間にかネージュではなく、アルチュールに引き戻されていた。
卓上の灯りが彼の横顔の輪郭をやわらかく縁取り、わずかに目を細めた微笑みに、息が喉で詰まる。
口ごもり、何か言わなければと思案する俺の横で、アルチュールは特に深追いするでもなく、ただ静かにシエルの頭を撫でていた。
その手つきは優しく羽毛の柔らかさを確かめるように、同時に何かを大切に包み込むように。
それは雛鳥に向けられた仕草なのに、見ている俺の方が妙に意識させられるのが腹立たしかった。なんだか、常にイライラしている気分になる。いや、これはイライラではないな。小さな棘のようなものが体のどこかに引っかかっている感じだ。
けれど、その伝書使の名が、俺と彼の出会いに結びついていると知ってしまった今、シエルの小さな瞳を見るたび、胸の奥がどうしようもなく、ざわつく。
あー、どうすりゃいいんだ、と思っていたところに、現実に引き戻すバリトンボイス――。
「セレス、お前ぇさん、止まり木みたいになってるぞ」
ネージュがペラペラと人の言葉をしゃべることは、今ここに居る三人とレオはすでに知っている。
このことはデュボアにも報告済みで、その流れでボンシャンとカナードも知ることになった。
二人は「やはりな」とでも言いたげに目を細めただけで、それ以上は何も聞かなかったらしい。
もっともネージュは、あくまで「最近饒舌に喋り始めた」体で、彼は今日まで少しずつ語彙を増やしているふりをしていた。
「早く、うちの子も喋らないですかねえー」
ナタンが、俺の左肩に乗るオグマの黒くつぶらな瞳を覗き込みながら言う。
「ついさっき生まれたばかりだろう」
アルチュールが軽く肩をすくめる。
……そうだよな。生まれてすぐに『ぐふぅ、尊い』とか、普通は言わないよな……。
俺は内心で頷く。
というか、まず喋らないよな……。
「いや、例外もいる」と、ネージュが妙に達観した声で言った。「誕生からわずか三分で、世界の"尊さ"に気づく者もいる」
「お前だよ!」
思わず俺は突っ込む。
その瞬間、両肩の雛たちが一斉に羽をばたつかせた。俺の顔に黒い羽毛がふわっとかかり、口の中にまで入りそうになる。
「うわっ、驚かせてごめん!」
机上に飛んだマルスをネージュが背中で受け止め、リシャールのところへ連れて行く。
「おいオグマ、ベッドに着地しろ、床はやめろ」
ネージュが鋭く注意を飛ばすと、オグマは素直にふわりとベッドの端に降り立ち、そこでちょこんと座り込んだ。
……おいおい、もう人語を理解してるのか?
オグマの主ナタンは、一応、この四人の中で一番頭がいい。中身は残念であっても、知識や判断力に関しては間違いなくズバ抜けている。どうやら、その賢さはすでに伝書使にも受け継がれているようだ。
ネージュはすぐにオグマの傍へ行き、その尾を軽く突いてから背に乗せ、ナタンのもとへと送り届けた。ナタンは目を細めて「いい子だ」と笑い、オグマの頭を撫でる。
……そんな中、シエルだけは俺の手の中から頑として動こうとしなかった。
丸い瞳で真っ直ぐ俺を見上げ、爪を少しだけ食い込ませるように指を掴む。黒い瞳に映る俺の姿が何だかとても小さくて、それが妙に胸をくすぐった。
部屋の中はすっかりネージュ先生率いる雛鳥の幼稚園状態。
羽音と甲高い鳴き声が、壁に反響して重なり合う。まるで小さな音楽隊の演奏のようだ。そしてそれをあやす人間たち。ほんのすこし前まで静かだったはずなのに、今は命のざわめきで溢れている。
……本当にどうしたらいいんだろう。
だけど、不思議と悪くない。
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