◆ 学院編 伝書使(前編)
༺ ༒ ༻
それから五日が過ぎた夜、まるで示し合わせたかのように、初日の授業で配られた卵が、アルチュール、リシャール、ナタンの順に次々と孵った。
翌朝になって知ったことだが、その晩は、ほかの生徒たちの伝書使の卵も、何羽か孵化していたらしい。
伝書使となるコルネイユの卵は、最初にボンシャン、デュボア、カナードの三人の魔力で従者としての資質を整えられているため、彼らは野生の個体とはまるで性質が異なり、孵化からわずか数時間で短距離なら飛べるようになる。
そのため、殻の中で雛の影が透けて見え始めた頃、授業では一人につき一つずつ金属製の小さな鳥籠が配られた。
寝床のバスケットごとその中に入れ、魔力を注ぐ時以外は必ず扉を閉めておく――それが鉄則。
俺の場合、ネージュが孵化してからレオがわざわざ部屋まで持って来てくれたやつだ。
留守中や就寝中に孵ってしまえば、雛はまだ制御がきかずに部屋中を飛び回り、家具の隙間に転落したり、もしも窓が開いていれば誤って外に出てしまう危険がある。だからこそ、最初の数日は特に注意するよう、授業でも強く念を押された。
……そう考えると、ネージュが俺のいない時に孵化しなくて、本当に助かった。
いや、でも――あいつの場合、殻を割った瞬間から、どういうわけか、達観した中間管理職みたいな自我が備わっていた節がある。俺の留守中に孵っても、まずは羽を乾かし、クッションの中央にふわふわの綿菓子みたいなケツを下ろして、室内を眺めながら「ああ、ここが新しい棲み家か」ぐらいのことは普通に考えていたに違いない。
下手をすれば、「いやいや、俺の誕生時に不在で外出なんざ無粋だろう」とか言って、そのまま大の字になって寝ていた可能性すらある。
今、俺はあの卵から出てきたのが、ネージュで本当に良かったと、心底思う。
カナード曰く、「雛は好奇心が旺盛で、目を離せばすぐどこへでも飛んでいく」。
決して大げさではないことは、俺も身をもって知っている。孵ったその日のうちに、ネージュは部屋中を飛び回っていた。しかも、こいつはその日のうちにペラペラと落ち着いたバリトンボイスで喋り出し、中身にオッサンでも入っているのではと本気で疑ったほどである。
――今も疑っている。
アルチュール、リシャール、ナタンの部屋からほぼ同時に小さな鳴き声が響き、その後、何故か俺の部屋が一気に賑やかになった。
理由は単純。生まれたばかりの雛鳥を鳥籠に入れた三人が、次々と俺の部屋を訪ねてきたからだ。
それぞれが手にしたその中では、ふわふわの黒い雛が好奇心いっぱいに動き回っていた。扉を開けるや否や、羽音を立てて外へ飛び出し、机や棚の上へと移動してくる。
ネージュが二回りほど大きな体で追いかけ、落ちそうになった雛を咥えて戻す――その動きはまるで熟練の保育士で、すでに二度、三度と繰り返されていた。
前もって授業で餌や必需品も配られていたので、受け取った翌日にいきなり殻を割って出て来てしまい慌てふためきグラン・フレールに助けを求める――なんて混乱はなく、みんな、既に卵殻もきれいに集め終わり、瓶に入れていた。そして、全員の卵が無事に孵化を終えた後、授業の一環として、その卵殻を使った奇石の生成が順次行われることになっている。
一方、この五日間、表面的にはぎこちなさを残したままだったが、アルチュールと俺との間に目に見えるほどの距離の変化はなかった。互いに言葉少なに剣術の稽古を重ねる日々が続く。だが、今のところ、俺は一度も敗北を喫していない――全戦全勝の負け知らず。
剣と剣がぶつかるたびに、彼の瞳はただの剣士のそれを超え、どこか熱を帯び、強い意志と期待を滲ませていた。冷静を装う俺の心も、知らず知らず揺さぶられているのを感じる。剣先がぶつかるたびに走る衝撃だけでなく、彼の呼吸、体温、そして間合いの取り方に至るまで、全てが語りかけてくるようだった。
稽古が終わる頃には、彼は息を切らしながらも、どこか名残惜しげに俺を見つめている。無言のまま、剣を鞘に納めたあとも、視線が離れない。まるで言葉を交わすよりも深い何かがそこにあるかのように。俺もまた、その視線を避けられず、胸の奥に知らぬ感情がじわりと広がっていくのを感じていた。
そんな空気が、彼の伝書使の胚子にまで伝わってしまったのだろうか……。
卵は抱かれて温められるのではなく、主人の魔力を注がれて育つ。注ぎ込まれるのは単なる力だけではない。記憶の断片や、心の奥底に沈んだ感情までもが、少しずつ卵殻の内側に染み込んでいくのだ。
そして結果として――今、アルチュールの伝書使の雛は、俺の手に飛び乗って離れない。
まるで、彼の心の一部がこっそり俺に寄り添うように。
「……おい、シエル」
俺はそっと手を揺らすが、真っ黒な雛は小さな爪でしっかりと指を掴み、丸い瞳でじっと見上げてくる。
「やっぱりセレスのところに行くな……」アルチュールは呆れ半分、諦め半分の顔で言った。「俺よりも落ち着くのか?」
「……たぶん、ただの好奇心だろ」
「そうなのか?」
その問いには、何となく答えづらくて黙る。雛の小さな体温が、やけに掌に残る。
……と、不意に右肩にふわっと重みが乗った。
視線をやると、艶やかな黒羽を持つ妙に威風堂々としたリシャールの雛――「マルス」が、俺の肩の上で胸を張っている。
「見ろ、セレス。羽の艶、尾羽の形、すでに将来有望だ」
「その台詞、親バカって言いませんかね」
「王家の血筋に相応しい伝書使だ。名の由来は軍神マルス。強く、高貴に育つよう願いを込めた」
……伝書使に血筋なんてあるのか?
さらに反対側の左肩にも、いつの間にかナタンの伝書使「オグマ」が止まっていた。
この名は彼が自ら命名したもので、「知恵」を意味する言葉に由来するという。
礼儀正しい仕草とは裏腹に、オグマの動きは俊敏で、気がつけば俺の耳の後ろでちょこんと落ち着いている。
ただ、人の首筋に軽やかに鼻を押し当てて匂いを嗅ぐのだけはやめてくれ。
「賢さは居場所の選び方に現れますね」
ナタンは満足そうに微笑む。
残念な中身は、やはり主に似てしまったのか……。
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