◆ 学院編 相談(後編)
喉が詰まり、答えを探す間に、ネージュの視線だけが静かに俺を突き刺してくる。
「転生前からアルチュールのこと、好きだっただろ?」
「二次元の推しとしてな」
「推しに好意を持たれてるんだぞ?」
「そんなの、元のセレスタンの美貌のせいだろ。それは、俺じゃない」
「はあ? アルチュールがお前ぇさんを最初に見つけたのは、その見た目のせいかもしれないけどさ」ネージュは眉をひそめる。「あの男が、外見だけで人を好きになると思ってんのか? 本気で? まさか、そうじゃないだろ?」
その言葉に、俺は思わず目を逸らす。
「そもそも、俺はこの体に転生して入ったばかりだ。感情だってごちゃ混ぜだし、何が本物かなんてわからない」
「だからって、目を背けるのは違うだろうが」ネージュは声を落とし、真剣な眼差しで続けた。「分かるよ、セレス。お前ぇさんが混乱してるのも、怖がってるのも。だって相手は生身の人間で、感情が絡む難しい話だ。しかも、過去も今も背負ってるものが多いしな。でもさ、そんな複雑なものだからって逃げるのは違うと思うんだよ」
その問いかけに、俺は答えを持てなかった。
「……まだ、この世界で知り合って一か月も経ってないんだぞ」
言い訳のように口をついて出た言葉に、ネージュは片眉を上げた。
「一か月弱だな。朝から陽が暮れるまで、ほぼずっと一緒にいた一か月弱だ」
「そんな短い期間で、まともな判断なんてできるかよ」
「考える時間が足りないってか?」ネージュは肩をすくめた。「人なんざ、一瞬で恋に落ちる奴もいる。一目惚れって言葉、知らねぇわけじゃねぇだろ?」
俺はむっと口をつぐむ。
「……さっき、自分でアルチュールは外見だけじゃ人を好きにならないって言ったくせに」
「おう、言ったな」ネージュは悪びれもせず笑う。「つまりだ。お前ぇさんの外見から入って、そっから先に進んだってことだろうが」
「……ああ言えばこう言う」
ネージュは小さくため息をついた。
「めんどくせぇなー、セレスは」
「あー、もう、……なあネージュ。なんで俺、生まれたての雛鳥にこんな話を聞いてもらってんだ?」
「おっ、無理・しんどいラインを突破したな?」
「……いや、突破してねぇ。お前がぐいぐい押してきただけだ」
俺は部屋義に着替えてベッドの上に仰向けになり、天井をにらむ。ネージュは机からぴょんと飛び降り、ふわりと羽ばたいて枕の端に着地した。軽いはずなのに、妙に圧がある。
「セレス。俺は別にお前ぇさんに“すぐ答えを出せ”なんて言ってねぇ。ただ、逃げっぱなしはやめとけって言ってんだ」
「逃げてるつもりはない」
「じゃあ何だ? “原作通りじゃなきゃダメ”って自分を縛って、わざわざ遠回りしてんじゃねぇのか?」
くちばしの先が、俺の額を軽くつつく。痛くはないが、妙に心臓に響く。
「俺は……」
言いかけた言葉が、喉の奥で止まった。
本当は分かっている。アルチュールの視線の重さも、リシャールの笑みの意味も――俺が、この世界の人たちから“トキヤ”としてではなく“セレスタン”として向けられている感情も。
でも、その全部を受け止めてしまったら、俺は“原作の向こう側”に進んでしまう。
一度進んだら、戻れない。
ネージュは俺の表情を見て、小さくため息をついた。
「ま、いいさ。どうせお前ぇさんは、追い詰められねぇと決心しねぇタイプだ」
「決めつけんな」
「決めつけだよ。だが、当たってんだろ?」
その挑発的な目が、妙に腹立たしい。
しばしの沈黙。窓の外で風が強く吹き、枝葉が窓硝子を軽く叩いた。
「……シャワーと予習は明日の朝にして、今日はもう寝ろ、セレス」
ネージュはそう言って枕から飛び降り、羽音を立てながら窓辺へ移動する。
「お前ぇさんが夢の中でぐるぐる考え込むの、俺は嫌いじゃねぇからな」
最後の一言がやけに茶化していて、思わず苦笑がこぼれた。
「ほんっと、お前は……」
「相棒だからな」
赤い瞳がちらりとこちらを振り返る。
「……聞いてくれてありがとう、ネージュ」
小さくそう言うと、ネージュの嘴の端がわずかに上がった。
「俺はお前ぇさんを誇りに思ってるぜ、セレスタン」
唐突で、真っすぐで、逃げ場のない言葉。胸の奥が、ふっと温かくなるのを感じた。
「……今度、オベール警備官、描いてやるよ」
「まじか!?」ネージュが一気に羽をばたつかせ、目を輝かせる。「スケブに描いてくれ! 宝物にするから!」
興奮冷めやらぬ様子のネージュに、俺は肩を揺らして笑った。
「……ほら、そろそろ寝るぞ」
「……ああ。エンドゥ」
「おやすみ、セレス」
「おやすみ、ネージュ」
その夜は、久しぶりに深く眠れなかった。
アルチュールの瞳と、ネージュの言葉が、いつまでも俺の頭の中で反芻され続けていた。




