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◆ 学院編 模擬戦(前編)

 回廊に出るとすでに陽は沈み、空には薄暮(はくぼ)の青が広がっていた。吹き抜ける風が、柱に絡みつく蔦をゆらゆらと揺らしている。

 俺たちは魔道具の照明がぽつぽつと灯る中庭を横切り、足を速めた。花壇の薬草がかすかに香り、芝の上に落ちた柔らかな光が足元をぼんやりと照らしている。

 やがて、寮のホールが見えてきた。


 リシャールがデュボアから預かっていた鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで低く呪文を唱える。

アペリオ(開け)・セザム」

 すると、小さな金属音が響いたあと、扉がごく自然に音もなく内側へと開かれた。


 当然のことながらホール内には誰もいない。昼の活動がひと段落した時間帯、校舎の方からは、講義や実習を終えた生徒たちが寮へと戻ってくる気配がかすかに聞こえてくる。

 外のざわめきとは対照的に、ここはまるで音を吸い込むような静けさに包まれていた。


 アルチュールとナタンはそれぞれ一本ずつ、魔法布に丁寧に包まれたエクラ・ダシエを抱えていた。

 人の気配を感知して照明魔法の光が高天井の燭台に淡く灯る。

 ホールの片隅に着くと、まずアルチュールがその場に膝をつき、剣を包んでいた布を手早く広げる。ナタンも同じようにして、自分の持っていた剣の布を横に敷いた。二人は互いに頷き合いながら、その上に慎重にエクラ・ダシエを並べる。

 魔道具特有の淡い反応がわずかに揺らぎ、室内の空気に静かな緊張感がにじんだ。

 それを確認したあと、ナタンがまっすぐ天井の方を見上げる。

「少し、明るくしておきましょう」ナタンはそう呟くと、掌を燭台に向けて静かに呪文を唱えた。「アリューム(点灯)・ルクス」

 光がひときわ強まり、天井から降りそそぐようにホール全体を満たした。床の模様や壁の装飾がくっきりと浮かび上がる。

 その後、俺たちは手分けして簡易的な障壁をホールの四隅に張っていく。魔力を込めた紋章が床に広がり、光の筋がゆるやかに結ばれて、ぱん、と軽い音とともに結界が閉じ薄膜のような魔力の気配が漂った。

 これで外部への音漏れを防ぐと同時に、訓練による衝撃からホールの内装や構造を保護する準備が整ったことになる。必要最低限の安全措置としては十分だろう。


「……準備は万端だな」

 リシャールが中央に立ち、淡く微笑みながら言った。ナタンと俺が左右に立ち、アルチュールは軽く肩を回しながら、床に置いていたエクラ・ダシエの剣を一本持って鞘から抜き、前へと進み出た。

「なら、始めよう」アルチュールが振り返る。その目には、戦う前の特有な光が宿っていた。「対戦相手は、どうする?」

「俺がやる」

 自然と口がそう動いた。考えるより先に身体が応じていた。

 一瞬の沈黙のあと、ナタンがわずかに息を呑む音がした。目を見開き、俺を見返す。リシャールもまた、眉をわずかに上げてこちらを見た。

 アルチュールの目が僅かに細められる。

「いいのか?」

「ああ、勿論」

 俺は残りのエクラ・ダシエの剣を持ち、鞘から抜いて戻り、軽く"無構え"で応じる。

 そのとき、リシャールが念のためといった調子で言葉を添えた。

「魔法の使用は禁止。加えて、剣は切れない模造刀で刃が身体に触れた瞬間に霧散する魔道具だが、首から上への攻撃も全面的に禁ずる。いいな?」

「了解」

「問題ない」

 アルチュールはわずかに顎を引き、真剣な眼差しで俺を見据えた。

 少し離れた場所で、ナタンが声を上げた。

「セ、セレスさま、本気で!?」

 その声には、驚きだけではなく、焦りの色も混じっていた。

 アルチュールの面構えが鋭くなったその一瞬で、ナタンは察したのだ。彼の動きに宿る揺るぎのない自信と、辺境で魔物相手に幾多の実戦をくぐり抜けた者だけが持つ研ぎ澄まされた集中が宿っていること、剣の腕前が並の生徒とは明らかに一線を画していることを。

 それは、学内の剣術稽古では見せていなかった、戦場の眼だった。


 それだけに、()()()()()が魔法を封じた上で、正面から立ち合うというのが信じられなかったのだろう。


 だが、返事はしない。

 目の前のアルチュールの気配が変わった。彼もまた、剣を構え体を低く沈める。

「セレスでも手加減はしないぞ」

「上等」

「いいのか?」

「アルチュール――俺を舐めんな」

 二人同時に口角を持ち上げ、息を整えて足の裏に力を込める。


 ――転生前、かつての俺は剣道をたしなんでいた。


 道場では、何度も打ち込み、走り込み、受け、避け、跳んだ。黙々と汗を流しながら、技を繰り返し体に刻み込む日々だった。

 はじめは、親に言われていやいや通いはじめたのだ。

 子供の頃の俺はというと、忘れ物は日常茶飯事で片付けや掃除もろくにできず、生活全般がずさんだった。何をするにもどこかちゃらんぽらんで、真剣味に欠けていたと思う。親としては少しでも姿勢を改めさせたかったのだろう。厳しい礼儀作法と規律のある世界に、そんな俺を放り込んだ。

 けれど、不思議なことに、竹刀を握って立ち合うのが、やけに楽しかった。

 打ち合うたび、体の奥が熱くなるような感覚があった。型を覚え、足さばきが自然に身につき、初めて一本を取ったときのあの感触は、今でも覚えている。

 黙って鍛錬に打ち込むうちに、少しずつだらしない癖も抜けていった。忘れ物も前ほどはしなくなったし、整理整頓もそこそこできるようになった。

 まあ、それでも最後まで「完璧」とは言いがたかったが、自分なりにましになったのは確かだ。


 床を蹴る音とともに、アルチュールが飛び込んできた。

 一瞬の初撃――速い。だが、見える。

 その刃を、紙一重の角度で受け流す。

 カン、と澄んだ音が響いた。

 手応えに戸惑ったのか、アルチュールが目を見開いた。確かに捉えたはずだ、そう言いたげな顔だった。

 剣筋の流れを読むことも、足の運びも、呼吸の合わせ方も――大丈夫だ、すべてを覚えている。動ける。


 高校生のとき、体育の教師から言われた。

「お前、フィジカルおばけだな」

 今なら、信じられる。あれは正しかった。


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