◆ 学院編 学院のガルディアン(後編)
言葉を失う俺たちを前に、オベールはとりたてて得意げになるでもなく、ただ静かに口を開いた。
「……学院の警備任務の傍ら、必要に応じてこうした設計や調整も任されている。そもちろん、鍛造そのものは専門の職人が手掛けているが……、この剣は、ルシアンから頼まれて、俺が設計し、仕上げたものだ」
警備官としても有能そうだったのに、技術職としても一流とか、いったいどれだけハイスペックなんだ?
――というか、
「ルシ、アン……?」
思わず声に出してしまった。
第三寮『ソルスティス』の寮監を? あのヴィクター・デュボアすら視線だけで黙らせられるルシアン・ボンシャンを? まさかの呼び捨て!?
俺が目を見開くと、ナタンも同じような顔をしていた。
そんな俺たちをよそに、オベールは表情一つ変えず、淡々と続ける。
「俺とルシアンは、学院時代の同期だ」
あまりにもさらりと告げられたその事実に、思わず言葉を失った。
いや、ちょっと待って。同期? あのボンシャンと?
じゃあつまり……ほぼ同い年?
いやいやいや、ルシアン・ボンシャンは、見た目は三十代前半だが、実年齢、五十代後半だぞ?
この学院に飛び級で入学する者はいない。杖の代わりに掌に刻むベネンの加護を受けられるは、十八歳以上。遅れて入学する留学生も居るけれど、それにしたって外見だけで見ると、どう考えても計算が合わない。
「なんだ、興味津々といった顔をしているな? 君たちに時間があるなら話してやるが、急いでいるんだろ? ならば、あとで殿下から聞けばいい。隠すようなことでもないからな」
そう言って、オベールは軽くため息をつき、右の袖口に指をかけると迷いなくシャツの袖を肘までまくり上げ、左手でその腕をそっと撫でるように確認してから、爪先でコンコンと小さく叩いた。
――乾いた音が、空気を裂くように響く。
人の肌ではありえない、それはまるで陶磁器を叩いたような、鈍くも硬質な音だった。
見えている腕の表面は滑らかで、血管も産毛もない。ひと目でわかる。そこにあるのは“生身の人間の腕”ではなかった。
音と質感、その異質さが、言葉以上に雄弁に語っていた。
――そんなものを見せられて、「あとで殿下に聞け」と言われても。
いや、今、本人がここにいて語る意思があるのなら、どうしたって直ぐに事情を知りたくなる。
とはいえ……。
俺はちらりと、隣にいるアルチュールを見た。
剣を手にしてからの彼は、明らかに高揚していた。一刻も早く実際に振って、感触を確かめたがっているのが見て取れる。稽古場での実戦的な確認を、今すぐにでも始めたいのだろう。それもよくわかる。
だから、彼が「先にホールへ行こう」と言えば、俺は迷わず従うつもりだった。
だが――、
アルチュールは、ただじっと、オベールの腕を見つめていた。
普段は冷静沈着なその瞳が、わずかに揺れている。興味でも、同情でもない。そこには、純粋な驚きと、理解しようとする意志があった。
「アルチュール?」小さく呼びかけると、彼は視線だけをこちらに向けた。「……話、聞いてもいいかな」
俺の問いかけに、彼はほんの一拍だけ間を置き、すっと頷いた。
それを確認したリシャール殿下が、わずかに口元を和らげながら言葉を継いだ。
「オベール、可能な範囲で構わない」
リシャールに促されたオベールは、少しだけ目線を落とし、淡々と――けれど少しだけ、感情の温度を下げた声で語りはじめた。
「約四十年前の事故で、俺は片腕と両足の膝から下を失った。当時、ボンシャンと……いや、ルシアンと、俺は常に競い合っていた。いや、競っていたと思っていたのは、俺だけか……。最初から、同じ土俵に立てていなかったのかもしれない。それでもなお、勝てると信じていたんだ、愚かにも。……俺は、あいつのことが嫌いで嫌いで仕方なかったよ。何をやらせても俺より上で、しかもそれを当然のような顔で受け流す。鼻についた。だからこそ、俺のほうが先に、複合術式の応用理論を実現させようと必死だった。焦っていたんだ。どうしても、あいつより先に完成させたくて」わずかに唇を歪め、オベールは言葉を続ける。「当時、俺は学院の地下室を借りて、毎晩のように実験を繰り返していた。教師の目を盗みながらな。危険な術式を試すには、そこが一番都合がよかった。結果、術式の暴走を止めきれなかった。爆発が起きる直前、障壁を張ろうとしたが……遅かった。俺はルシアンのように、種類の異なる魔法を同時に使えるわけじゃないからな。手が回らなかった。防御も、制御も、全部中途半端で終わった。結局、爆発に巻き込まれて、意識が飛んで……気がついたときには自分の体の一部がなくなっていた。胸のあたりから上は奇跡的に無事だったが、他はもう、ほとんど使いものにならなかった。そのあと、直ぐに駆け付けて俺を見つけたのはルシアンだった。まだ動いていた心臓と脳と、いくつかの内臓を残してあとは衝撃で体内で破裂だ。……それでもあいつは、俺を“生かす”って言ったんだ。俺の体の欠損部分は、ルシアンの土魔法によって造形された。精緻な粘土細工のように、術式を封じ込めて形を保つアルケ・ビスクの応用だ。しかも……内臓のいくつかは、ルシアンが自分のものを魔法で取り出して分け与えた。魔術的な移植……いや、“供与”に近いかもしれない。彼の魔力と一体化した臓器を、俺の体に宿すことで、俺の命をつないだ」
ぞわり、と背筋に冷たいものが走った。
それは恐ろしい話だった。でも同時に――それ以上に、ボンシャンのオベールに対する凄まじいほどの執念と執着を感じた。
「それ以降、俺の体の時間はほとんど止まったままだ。術式と土魔法によって保存され、老いもしない。ルシアンは……そういう魔法を、当時からあっさり使いこなしていた。――いや、実行に移したのは、あれが初めてだと言っていたな」
息を呑んだのは、俺だけじゃなかった。
ナタンもアルチュールも、何も言えずにただその話を聞いていた。
オベールは淡々と語っていたけれど、その背後にあるもの――あのボンシャンという男の、恐ろしいまでの知識と技術、そして覚悟の深さに、全員が圧倒されていた。
「……だから俺は、生きている。ルシアンが、俺を“完成させて”くれたからだ」言い終えたオベールは、しばらく沈黙したあと、わずかに肩を竦めた。「……そりゃ、頭が上がらないよ。あいつには。生き方も、死に方も、全部ひっくるめて背負われたようなもんだ。俺にできることがあるとすれば、あいつが託したものを、黙って果たしていくだけだ。学院に残れと言われれば、残る。何かを作れと頼まれれば、黙って作る。それが俺に残された、生の使い道だと思ってる。それでも……、俺は今でもあいつが大嫌いだ。心から嫌いだ。たぶん、一生そうだろうな」彼はわずかに目を伏せ、皮膚の代わりに焼き物のような質感をもつ自らの手を見下ろした。「毎日、この腕や足を見るたびに思い知らされるんだよ。自分の体が、他人の手で、他人の技術で形作られてるってことを。――俺は、どうやったって、あいつには敵わない。勝てる日は来ない」
その言葉には、押し殺された悔しさのようなものも滲んでいた。
ただの恩ではない。ただの憧れでも、尊敬でもない。
もっと複雑で、もっと拗れた感情が、その決意の下に静かに折り重なっていた。
「――なあ、焦るなよ」そこからふいに視線を上げ、オベールは俺たちを順に見渡す。「いま、自分にできないことを無理にやるな。少しずつ、積み上げればいい。時間がかかってもいい。身体でも、心でも、術でも、……鍛錬ってのは、そういうもんだ」
その声音に、説教じみた響きは一切なかった。ただ、自身の痛みを経た者だけが口にできる、静かな重みがあった。
(* ᴗ ᴗ)⁾⁾. (♥︎︎ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾
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