◆ 学院編 学院のガルディアン(中編)
そのとき、アルチュールが、一歩前に出た。
「……これを預かってきました」
言ってから、手にしていたメモを差し出す。青年はそれを丁寧に受け取ると、ちらりと目を通して、小さくうなずいた。
「確かに。内容、拝見いたしました。倉庫は、こちらです」
青年が身を翻そうとした刹那、リシャールがふいに声をかけた。
「……リュドヴィック・シルヴァン・オベール警備官、学院内では、他の生徒と同じように接してくれないか?」
青年――オベールは足を止め、肩越しにリシャールを振り返った。
その灰青の瞳には、一瞬、思案するような静かな色が浮かんだが――すぐに、それを覆うように浅く頭を下げた。
「……分かりました。では、案内しよう。こちらだ」
その声音は先ほどよりも和らぎ、口調もわずかにくだけていた。
軽く礼を終えた彼は、今度こそ踵を返すと廊下の先へと歩き出す。
俺たちは視線を交わし、遅れまいとそのあとに続いた。
――リシャールが知っている相手だったのか。
その事実に、俺は小さく驚きを覚えた。
王宮には何度も足を運んでいるが、あの名も、あの顔も、セレスタン本体の記憶にもない。
リシャールが個人的に覚えているほどの人物なら、普通、王家に次ぐ名門コルベール公爵家の嫡男セレスタンならば一度くらい顔を合わせていてもおかしくないはずだ。
だが、リュドヴィック・シルヴァン・オベールは間違いなく、初対面だった。
その背中を見ながら、俺の中で小さな疑念と好奇心が、静かに息を吹き始めていた。
まもなく、オベールは何もない壁の前で立ち止まった。装飾も目印もない。ただの石造りの通路の延長――だが、彼はそこをじっと見据えたまま、ゆっくりと右手を掲げる。
「――セーヴル」
低く、落ち着いた声が呪文を紡いだ瞬間、空気がふわりと波打った。
それまでただの石壁にしか見えなかった表面に、薄い光の筋が走る。それはやがて矩形を描き、輪郭をなぞるように淡く発光していく。やがて重たげな金属扉が、静かに姿を現した。
音ひとつ立てず、扉が横に滑って開いていく。
中には、細長い木箱が、規則正しく積まれていた。
それらはいずれも封印の印を受けており、ひと目で貴重な物資だと分かる。
「この中にお望みの物がある」
オベールがそう言いながら、ひとつの木箱へと近づき、自ら封を解く。蓋をゆっくりと開くと、内部には丁寧に梱包された剣が収められていた。
その様子を見て、リシャールが先に一歩前に出て中へ入る。続いてアルチュール、そして俺とナタンも倉庫の中へと足を踏み入れた。
そして、リシャールは箱の中から慎重にひと振りの剣を取り上げ、重みと質感を確かめるように一度手の中で持ち直したあと、すぐ後ろにいたアルチュールに無言でそれを手渡した。
美しい銀の鍔に、うっすらと青い光がにじんでいる。間違いない、本編にも出てきたエクラ・ダシエの剣だ。
アルチュールはわずかに驚いたような顔を見せたが、すぐに表情を引き締め、受け取った。
リシャールが一歩引き、静かに声をかけた。
「……鞘から抜いて、確認してくれ」
アルチュールはうなずき、慎重な手つきで剣の柄に手をかけた。ゆっくりと引き抜かれた刃は、倉庫内の淡い光を受けて、わずかに青白く輝いた。
刃の中心を走る細かな紋様は、ただの装飾ではない。魔力の通り道として彫り込まれた、繊細な術式の流線だ。
「……すごいな」
思わず、アルチュールの口から感嘆の声が漏れた。彼は剣を軽く振ってみせ、その感触を確かめるようにもう一度構え直す。
そのまま自然な動きで、左の袖口をまくり自分の腕に刃を添えた。
「おい、アルチュ……」
ナタンが驚いたように声を上げかけたその瞬間、皮膚に触れた刃がふわりと白い霧のように掻き消えた。
血は出ない。肉も骨も傷ついてはいない。
俺は声に出すのをこらえながら、心の中でひそかに叫んだ。
――やばい、本物だ。完全に再現されてる……!
感動と興奮がないまぜになって胸の奥で爆ぜる。
アルチュールは至極冷静に、剣をもう一度鞘に収めた。
何事もなかったようにリシャールへ視線を流す彼を見て、俺は改めて思った。
剣を持つ推しが、最高すぎて震える!
いやもう、好き。無理。ありがとう。冷静沈着な顔して、躊躇いなくあんなもの自分の腕に当てるとか、それでいて微塵も動揺せず、ちゃんと効果を確認して、さっと収めるとか、そんなの……沼しかないだろ。あ゛あ゛あ゛あ゛、この沼、深いーーっ!
直立不動、体は微動だにせず、外側の顔は至って冷静なまま。表情筋ひとつ動かさず、内心だけで大爆発していた俺のすぐ隣で、リシャールが静かに言った。
「気に入ったか?」
アルチュールは小さく首肯し、改めて手の中の剣を見つめる。
「……すばらしいな。……この霧散の効果、精度が高すぎる」
その言葉に、リシャールはわずかに口角を上げた。そして、背後に控えていたオベールをちらりと見やり、ひとこと。
「――だそうだ」
唐突な言葉に、俺もナタンも、思わずオベールの方へ視線を向けた。アルチュールも少しだけ戸惑ったように眉を寄せる。
「……え? 『だそうだ』って……?」
ナタンが首をかしげながら尋ねたそのとき、リシャールがさらりと続ける。
「この剣の設計者は、彼だ。リュドヴィック・シルヴァン・オベール。魔道具技師としての正式な資格も持っている」




