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◆ 学院編 学院のガルディアン(前編)

 夕食を済ませたあと、俺たちはそれぞれの寮室へ戻り、動きやすい体操着に着替えた。長めの紐で髪を後ろに結んでいると、机の上にちょこんと座っていたネージュが、じとっとした目でこちらを見ながら小さな羽根をわずかにふくらませて、器用にくちばしを鳴らす。

「留守番……だよな?」

「そうなるなぁ……」

 俺が言うと、ネージュはわずかに視線をそらしながらも、小さく頷いた。理解はしているらしい。けれど、どこか寂しそうな、拗ねたような、複雑な顔をしている。

「訓練中の様子、奇石通信で共有してやるよ。……あとでな」

 その言葉に、ネージュの尻尾の先がピクリと動いた。ほんの少しだけご機嫌が戻ったようだ。

「しょうがねぇな……。まあ、しっかりと汗かいてこい」

 ぶっきらぼうな物言いだが、なんだかんだで、ちゃんと見てくれているのが伝わってくるから、悪い気はしない。いい相棒を持ったものだ。――腐ってるけど。


 ……しばらく描いていないが、今度、イラストをメインとした薄い本でも作ってプレゼントしてやるか。ネージュが喜びそうなネタをちょこっと盛り込んで。……"ほどけた靴紐を結んであげる胸板の厚いスパダリ攻め”だな。よしっ。


「じゃあ、行ってくる。いい子で待ってろよ」

 扉を開けようとした瞬間、背中越しにネージュの声が飛んできた。

「帰って来たら、昨日の腐談議の続き、するからな!」

 思わず苦笑が漏れる。

「はいはい。分かったよ」

 ネージュは机の縁で器用に足を組み、レオのお勧めで気に入ったらしい木の実を片翼の先に持ちながら、にやりと笑った。まるでハロウィン前夜にガラス張りの地下シェルターで、ワインを片手に持って椅子に座っていたあの人みたいだ。くちばしの先で羽根を梳くその仕草には、どこか得意げな余裕がある。

 ドアが閉まりかけたそのとき、視界の片隅でネージュの片翼がひらりと動いのが見えた。手を振るようなその仕草が、妙に微笑ましく、胸に残った。


 部屋を後にし、アルチュール、リシャール、ナタンと共に寮の廊下を進む。階段を下りながら交わす会話は、どこか肩の力が抜けた穏やかなものだった。

 校舎にはまだところどころ明かりが灯っていて、日中とは違う、静けさと余韻の混じった空気が漂っている。窓の外に目をやれば、夕暮れに染まった石造りの壁がわずかな残光を受けて淡く輝いていた。まるで、長い時間をその身に刻んできたかのような、どこか懐かしい色合いだ。

 俺たちは、南棟にある倉庫へ向かっていた。アルチュールが、デュボアから受け取ったメモを手に俺の右横を歩く。剣の稽古ができることを待ち遠しく思っているのだろう、足取りが軽い。

 渡り廊下を抜けると、空気が一段とひやりとする。外気が入りやすい構造なのか、それとも時間帯のせいなのか、少し肌寒くさえ感じられた。

 倉庫の手前にある重厚な扉。その上には「管理室」と刻まれた真鍮のプレートが掛けられていた。控えめな光を受けて、くすんだ金色がちらりと光る。


 リシャールがひと呼吸置いてから、ノックを二度、小さく叩いた。

 間もなく、内側からカチリと錠の外れる音がして、重たそうな扉が静かに動く。


 現れたのは、ひどく整った顔立ちの青年だった。年の頃は、二十代後半ぐらいだろうか。静かで()()()()()表情をたたえているのに、どこか現実離れした空気をまとっている。

 肌は、淡い褐色をしていた。陶磁器に似た滑らかさと、血の通う肉体のぬくもりを感じさせる色彩。その存在がただそこに立っているだけで、自然と目が引き寄せられる。

 肩にかかるほどの柔らかい白金色の髪が、横顔に神秘的な印象を添え、色素の薄い睫毛の奥には、灰青の瞳がのぞいていた。澄んだ水面の静けさと、時間の流れから取り残された深さを宿して――。

 そして、袖口からのぞいた片手の質感が妙に硬質で、関節の動きにもわずかに機械的な癖があった。動きの端々に、かすかにぎこちなさがある。だが、それすらも人形じみた彼の輪郭の中では、ごく自然な違和感として収まっている。

 温度も湿度も感じにくいそのたたずまいは、まるで高級ビスクドールか、完璧に造形された彫刻のようだった。


 ――俺は知らない。

 本編には出てこないキャラクターだ。初めて見るその相手に、不意の戸惑いが胸をよぎる。


「お待ちしておりました、殿下。先ほど、ヴィクターの伝書使(クーリエ)、ノクスがやって来て事情はうかがっております」

 青年の声は、落ち着き払っていて、深みのある低音だった。その響きには、丁寧ながらもどこか貫禄めいたものがある。


 だが――


 第一寮『サヴォワール』の寮監であるはずのデュボアを、「ヴィクター」と名で呼んだことに、俺はふと引っかかりを覚えた。


 外見だけで見比べると、どう見ても年長であるはずのデュボアを、あえて名前で呼ぶ――それが敬意に欠けているようには感じられなかったのが、かえって妙だ。

 無礼というよりは、古い付き合いがあるのか……、あるいは彼自身が同等か、それ以上の時間を歩んできた者のような、そんな空気がある。


 ……もしかしたら、この人は見た目より、ずっと歳上なのかもしれない。


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