◆ 学院編 フラグは立ったのか?
色々と考え込んでしまったが、気づけば中庭での式典は滞りなく終わり、六十人の生徒たちは聖堂に繋がる大食堂に集められた。
これから幾つかのデピスタージュが始まる。
デピスタージュとは『振り分け作業』のことだが、全ての結果により三つの寮が決定するのだから、俺は今、かなりドキドキしている。
原作本編では、俺の推しカプ二人は当然のように同じ寮になり、セレスタンは別の寮になった。
――のだけれど、これまでの流れを考慮すれば、先の展開が全くもって予想か付かない。
差し当たって、さっきの『ポケットチーフ受け渡しイベント』で、俺の右隣に座っているリシャールと俺の左隣に座っているアルチュールに『フラグ』は立ったのか??
問題は、そこからなんだよな……、と思案しているうちに、ついついゲンドウポーズを取ってしまっていた。
しっかし、なんか、俺、とてつもなく邪魔じゃね? 当て馬サブキャラが、推しカプ二人のド真ん中に座っていていいはずがない。
ところで、アルチュールを挟んで俺の隣の隣に座るナタンが不貞腐れた顔をしている。まださっきのアルチュールが俺を『あんた』と呼んだことを気にしているのだろうか……。
「――では、次の列の方々、聖堂へ」
聖職者らしいよく通る声をした司祭の呼びかけに応じ、席を立った者たちを何人かの若い修道士が粛々と付き添い案内していく。
この国では、貴族、平民に関わらず、子供が生まれると『風・火・水・土』のいずれかに属する魔力の検査が行われている。
余談だが、リシャール殿下は『土』、アルチュールは『火』、セレスタンは『水』の属性を持つ。勿論、例外はあれど、魔力潜在能力保持者は、ほぼ貴族上層部の血を引く者の中から現れるのだが、それは、ドメーヌ・ル・ワンジェ王国の始祖が半神半人で、四つの属性を持つ強力な魔力保持者だったという伝承が残っていて、その子孫が現在の貴族たちだからだ。
『魔法』は国と国民を守るために神から与えられた聖なる力。
貴族には権限があるが、魔物たちから民を守らなければならないという大きな義務を背負う。
王立寄宿制男子校ゼコールリッツ学院と、王立寄宿制女子校ゼコールディタリー学院は、俗にいう士官学校であり、最精鋭部隊養成所でもある。
そして、魔力潜在能力保持者は、神が植えた二種の神木、ローリエとオリーブ、いずれかの加護を授かる。
現在、聖堂で行われている最重要項目のデピスタージュは、十人の司教によるこの選別。
結果により、二人の大司教の魔法で『加護の木』の樹液を使い生徒の両の掌に魔法陣が描かれる。
この世界では、それを『ベネン』と呼び、これがいわゆる『魔法の杖』のような魔力増幅器にあたり、ローリエは各種魔法の中でも特に浄化系に優れ、オリーブは戦闘系に優れた加護を与える。しかし、幼少期にやってしまうと、もしも魔力が暴走し制御不能になったときに小さな体が耐え切れず死に至ることがあるため、過去の悲劇を教訓に加護を受けるのは選別された『ゼコールの学生』と『神学校の学生』に限られている。
原作本編のセレスタンは神木ローリエの加護を、リシャール殿下とアルチュールがオリーブの加護を受けていたが――、
これもどこまで改変されているのか……、と、色々と思案しているうちに順番が回って来たようだ。
「――では、こちらの列の方々、聖堂へ来てください」
やって来た司祭と修道士は深々と頭を下げると、俺たちの先頭に立って歩き出した。
◇
身長の倍以上はあると推測される両開きの重厚な扉が開かれ聖堂に入ると、高い天井から幾椀も伸びる大きなシャンデリアが頭上にずらりと等間隔に並びぶら下がっていた。そこここに置かれた大理石の彫刻、壁面にはめ込まれ外界からの陽光を帯びて輝くステンドグラス。
小説では読んで知っていたし挿絵でも見たことはあったが、流石に本物は威容を誇っている。
いや、さっき居た食堂の豪華さだけでも十分、俺はビビったけどね。
それを上回る聖堂の荘厳さには思わず息をのむものがあった。しかし、二足ほどの両隣に推しカプが居るので気取られないようにしなければならない。
なぜなら、俺ではなくセレスタンはここに来るのは初めてではないし、豪奢な王宮にしょっちゅう出入りしている上流貴族。このような建物は見慣れている。
とはいえ、俺は生粋の庶民。こういった空間に慣れるにも今しばらく時間がかかりそうだな――などと考えつつ、ふと隣のアルチュールに視線を向けると、彼は目をまん丸に見開いて驚きを隠そうともせず前方の光景に見とれていた。
見た目は誰がどう見ても強烈にカッコイイくせに、こうしてたまに年相応の子供っぽさを見せるところが、またなんとも言えず好感が持てるんだよなぁ……。そのギャップがずるいっていうか、反則だろ、ほんと。
「――うん。いつ見ても、圧倒される程に見事な建築だな」
俺は、こわばった様子のアルチュールに少しでも肩の力を抜いてもらいたくて、小声でそう声をかけた。口元にだけささやかな笑みを浮かべながら、視線を彼に向ける。
「あ……、ああ。俺の居た地域ではここまで立派な建物はなかったから、正直、びっくりしちまった……」
アルチュールがそう応じる声は、どこか素直で、どこかはにかんでいた。
「言葉を失うよな」
「流石王都だ。人にも建物にも意表を突かれる」
「人に?」
アルチュールは右の手の指で自身の前髪を一掴み持ち上げ、上目遣いでそれを見上げた。
「シルエットの領地周辺の者たちは、みんなこういう黒や黒に近い茶色の髪色をしている。だから、あんた……、じゃなかった。セレスを見たとき、銀髪なんて珍しいなと思ったけど……、同時になんて綺麗なんだと思った」
――なんて綺麗なんだと思った。
この台詞……を、俺は知ってる。聞き覚えがあるなんて生易しいレベルじゃない。心の奥深くに刺さるように、くっきりと刻まれている。
「……それは、髪色……、だけのことだよな?」
喉がひりつく。心臓が、ひとつ、強く打ち、次の瞬間には早鐘を打ち始める。鼓動がうるさい。自分の呼吸すら耳の奥で響いていた。
――頼む、これは偶然だと誰か言ってくれ。
俺は心の中で必死になって神仏とマリンボール先生に祈った。祈らねばならなかった。このままではマズい。とてつもなくヤバい展開が始まりそうな気がして、頭の奥が警鐘を鳴らしていた。
「遠目に見ていた時はそうだが、近くで見るとセレス自身が本当に綺麗で驚いた」
その言葉を発したアルチュールの目は、驚くほどまっすぐで、真剣だった。まるで他意などなく、ただ目の前の俺を、純粋に見つめている。
――なんてことだ。
金髪と銀髪という違いこそあれ、けれどこの流れ、この言い回し、この空気。これは、本編で……、そう、本物の物語の中で……、ポケットチーフのイベントの後、アルチュールがリシャール殿下に向けて告げた、まさにあの言葉じゃないか。
記憶と現実が、ぴたりと重なる感覚に、背中を冷たいものがひとすじ走った。
◇
既にリシャール殿下は司教たちの前に通され、この場に居なかったのだけは幸いなことだった。
まだだ。まだ間に合う。きっと、……いや、多分。大丈夫だ。俺にはこのバグを軌道修正し、アル×リシャに持ち込まなければならない使命がある。
あ、ヤバイ。ここにはもう一人居たんだった。
ナタンくん、今のやり取り聞いてた?
古いロボット人形のようにぎこちなく振り向くと、背後で一部始終を見ていたナタンが燃え尽きた灰のように真っ白になっていた。そのまま彼は二人の修道士に両脇を抱えられるようにして奥へと連れ去られて行く。
「なあ、セレスの友達、大丈夫か? 緊張して固まっちまってたみたいだが」
「……そうだな」
言い置いて俺は首を傾げた。彼はこういった場で怖じるほど繊細なタイプだっただろうか?
「んー、大丈夫だろう」
「王都の貴族たちはみな、子供の頃から知り合いなんだろ? さっきの友達とも長いのか?」
毎年、僻地の貴族や留学生は、入学の式典や食堂でのみんなの和気あいあいとした様子を目の当たりにして、俗にいう外部進学生が感じる疎外感というものを体験する。アルチュールの場合、ただ疑問に思っただけだろうけれど。
「まあね。彼の名はナタン・トレモイユ。男爵家の五男。友達、というか、友達でもあるんだけど、向こうの親と本人の希望で十五歳の頃から俺の家に住み、俺専属の侍従をしている」
「セレス専属の侍従?」
「勿論、この学院には使用人として来たのではなく、ナタンはちゃんと入学が許可され迎え入れられた風魔法の使い手だ。仲良くしてやってくれれば有り難い」
「ああ」と呟き、アルチュールが小さく溜息を吐いた。「セレスが主……、それであんなに怒ってたのか。どうやら俺はしょっぱしに色々とやらかしてしまったようだ」
あるはずがない垂れた耳がアルチュールの頭の上に見えたような気がする。
まるでしょぼんとした大型犬だな。こんな姿を見せられたら、そりゃあ原作本編のリシャールも率先して手を貸したくなったはずだわ。もうちょっとで頭をなでてしまうところだった。
「ナタンにはあとでちゃんと言っとくから」
慰めるような口調になっていたのが自分でもわかった。
「さっきも孤立しかけた俺を助けてくれたよな」アルチュールはぽつりと口を開いた。さっきまでのきっぱりとした物言いとは違って、どこか探るような、手探りの語調だった。「兄のロベールに言い聞かさせてはいたんだ。俺は粗暴で口も悪い。礼儀を知らないから周囲に失礼なことをするな。気を付けるようにと。……ただ、俺がここに来たのは、一つの目的があったからで……、それさえ叶えられれば他はどうでもいいと思っていた。他人と上手くやって行こうだなんて、煩わしくてこれっぽっちも考えていなかった」
その口調は不思議と寂しげで、何か大事なものを抱えた人間の影が滲んでいた。
俺は、知っている。アルチュールがこの学院に来た本当の理由を。
彼には、幼い頃から常に寄り添っていた黒いオオカミ犬がいた。名はノアール。
共に駆け、共に笑い、ときには人里に迫る魔物に牙を剥いて立ち向かった。
彼にとってノアールは、ただの従者や護衛ではなく、兄弟であり、友であり、もう一つの心臓のような存在だった。
三年前――魔物との戦いのさなか、ノアールは深手を負った。流れる血を止めることもできず、命はもはや風前の灯火。
そのとき、一つの術が施された。永遠に近い眠りを与える氷結魔法。
それを行ったのは、アルチュールの兄ロベールだった。
絶望に沈む弟の眼前で、彼はノアールを氷の中に閉ざした。「今は治せなくとも、この術ならば命をつなぎ止められる」と告げながら。
その選択は、確かに命を救った。
父、エティエンヌ・ド・シルエット子爵のように強く賢く、常に正しいと信じて疑わなかった兄の判断。
アルチュールは兄を尊敬している。今でも、あの決断が最善だったと理屈では分かっている。
……それでも。
領内の洞窟に移動させた氷の中で眠るノアールを見るたび、彼の胸は締め付けられる。
確かに生きてはいる。だが目を閉じ瞬き一つすら許されず、ただ冷たい眠りに沈み続けているのだ。
「助けられた」という感謝と、「取り戻せない」という焦燥が、矛盾したまま彼の心を苛み続けていた。
だからこそ、アルチュールは願っている。
ノアールを目覚めさせ、治癒の術をもって完全に癒し、己の魂と契約し、今度こそ正しく『使い魔』として迎えることを。
――それが、彼がこの学院に足を踏み入れた真の理由。
誰にも語らぬまま、胸の奥深くに秘めた望みだった。
……ああ、もう他のどんなバグでも受け入れよう。
どうか、アルチュールが敬う兄の選択さえも超えて、全力で愛したあの黒いオオカミ犬と再び並び立てますように。
心からそう願いながら、俺は「きっと叶うよ」と告げた。
その声がわずかに震えていなかったかどうか、自分では分からない。
だが、アルチュールが目を伏せ、小さく息をついたのを確かに見た直後、俺たちはほぼ同時に奥へと呼ばれていった。