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◆ 学院編 帰還 -26-

 トキヤは、ゆっくりと車椅子の肘掛けに手を置き、立ち上がろうとしていた。

「……立てる……のか?」

 ふらつきながらも、確かに両足で床を踏みしめている。

 そのとき、画面の端から、一人の若い男が現れた。

 トキヤの身体を、自然な仕草で支える。

 その顔を見た瞬間、胸の奥が、きゅっと締め付けられた。

「……山本、悠真……」

 一緒に剣道をやっていた、幼馴染。

 トキヤ――いや、セレスタンが、悠真を見上げて微かに笑う。

 それは俺なのに、俺自身が見たことのない柔らかい表情だった。


『彼は、医学生だそうだ』シオンの声が、重なる。『この病院で、再会した』

 悠真は、慎重にセレスタンを支えながら、何かを話している。

 言葉は聞こえない。

 だが、空気は、穏やかだった。

 俺は、ただ呆然とその光景を見つめていた。

「入れ替わっていたのか……」

 ネージュの声が、胸の奥に落ちる。


 何も知らないまま、現代日本に放り出されたセレスタン。

 異世界の記憶だけを抱えて、常識も、立場も分からない世界に――。

 俺にはまだ、小説で読んでいた知識があった。

 しかし、彼は……、

 どれほど、怖かっただろう。

 どれほど、心細かっただろう。

 ふらつく身体を支え、歩幅を合わせる悠真の姿を見て、胸の奥が、じんわりと熱くなる。


「……セレス……」

 ネージュに名を呼ばれて、初めて気づく。頬を、温かいものが伝っていることに。

 俺は、生きていた。そして、セレスタンも、生きている。

 場所は違えど、それぞれの世界で。

 しばらく、言葉が出て来なかった。

 淡い白の空間に浮かぶ映像は、静かに進み続けている。

 トキヤ――いや、セレスタンは、悠真に支えられながら、ゆっくりと歩いていた。

 一歩。

 また一歩。

 決して安定した足取りではない。それでも、確実に前へ進んでいる。


「……もう」

 俺は、喉の奥から言葉を引きずり出すように、口を開いた。

「もう……俺たちは、入れ替わることはないのか?」

 答えは、なんとなく分かっている。

 白銀の影が、わずかに揺れる。

『ああ』

 やがて、静かな声が返ってくる。

『既に、お前たちはそれぞれの身体に、深く定着している』

 胸の奥が、きしむ。

『過去の相手の記憶と混ざり合い、今のお前たちは――もはや、入れ替わった直後の存在ではない。境界を越えた瞬間のお前では、もうない』

 淡々とした口調だった。慰めも、飾りもない。

『ゆえに、戻ることはできない』

「……そうか」

 短く答えた。


 映像の中で、綾ちゃんが、ふと足を止める。

 トキヤを見て、朗らかに笑った。


 その笑顔を見た瞬間――胸の奥に、ひっかかっていたものが、すっとほどけた。


 俺が最後に見た、あの顔。絶望と恐怖に歪んだ、妹の表情。

 それは、もう、ここにはない。

 代わりにあるのは、未来を信じようとする、彼女の静かな強さだった。

「……良かった……」


『お前が知りたかったのは、これだろう。セレスタンの現状、いや、それよりももっと深い……セレスタンという一人の人間の人生が失われたのではないか。トキヤが奪ったのではないか。そういう問いだ』

 胸を、射抜かれる。

『答えは、否だ。お前たちは、それぞれ生きている。冥界を渡ったお前には、“リュミエール”が授けられた。死の縁に触れ、それでもなお戻った者に与えられる、生の光だ。世界に定着するための、補強のようなものだと思えばいい。――そして、セレスタンもまた、冥界を渡り切った。その経験が、彼の魂に“強い生命力”を刻みつけた。死の縁に触れた魂は、脆くなることもあるが……逆に、粘り強くなることもある』

 静かな声が、淡々と続く。

『彼、トキヤの身体は、峠を越え危篤状態から脱し、命は繋がった。お前が奪ったものは何もない。入れ替わったのではない。交差し、すれ違い、それぞれがそれぞれの場所で“生を続けている”』


 白い空間が、ゆっくりと薄れていく。

 病院の廊下も、トキヤの姿も、淡く溶けて消えていった。

 残ったのは、冥界の境界と、白銀のフェンリルの影。


「……ありがとう。これは、確かに俺が知りたかったことだ」


 シオンは、満足したように、ゆっくりと尾を揺らす。

『ならば、それでいい。問いを抱えたまま進むのは重い。答えが必要だっただけだ』

 影が、少しだけ遠くなる。

『さて……行くぞ』

 その声に、かすかな愉悦が滲む。

『この光る道を辿り――元の世界へ戻るとしよう』

 一拍、間を置いて、彼は続ける。

『その前に、ノルデュミールの籠を、二人とも、ほんの一瞬でいい。開けてくれ』

 俺とネージュは顔を見合わせ、同時にペンダントへ手を伸ばした。

『この氷の光線は、帰還のためにセレスが編んだ“道標”。籠の制御を外せば、瞬く間に辿れる。迷うことはない。扉の前に、すぐに辿り着く。あとは、元居た世界へ、戻るだけだ』

 シオンが、こちらを振り返る。

『これからは、お前たちの物語だ』

 光線が、足元で淡く輝きを増す。

 扉へと続く、帰路。


お越し下さりありがとうございます!

(* ᴗ ᴗ)⁾⁾. (♥ ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾

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