◆ 学院編 帰還 -18-
「扉……」
かなり大きい。
俺の身から漏れる淡い光に照らされ、その輪郭はまるで光と一体であるかのように浮かび上がって見える。
表面を覆う浮彫は驚くほど精緻で、翼を持つ存在、祈りを捧げる人々、絡み合う蔓草の意匠が、幾層にも重なって刻まれている。
近づき、そっと指先で触れる。
その冷たさと確かさを確かめてから、俺は振り返った。
だが、どちらが来た道なのか分からない。
そもそも、道という概念すら、ここには存在しないのではないだろうか?
「……戻ることが出来ないのなら、行くしか、ないか」
――それとも、これが元居た森の洞に繋がっているのか?
小さく呟き、俺はゆっくりと、力を込める。
重厚な扉は、きしむ音一つ立てず、静かに開いた。
その向こうは、深く、濃い闇だった。
光を拒むというより、呑み込むために在るような、底の見えない闇。
足場があるのかどうかすら分からない。だが、それは今しがた立っていた白い空間も同じことだ。
考えるより先に、俺は一歩を踏み出した。
ここまで来て、足元の不確かさを理由に立ち止まるつもりはなかった。
臆しても、意味はない。
だが、その直後――、
「セレス!」
俺の名を呼ぶ声が、はっきりと響いた。
「……え?」
反射的に、声のした方へ振り向く。
そこは、ほんの一瞬前まで、確かに何もなかった場所だ。
床も、壁も、境界すらなく、ただ空間が際限なく広がっていただけの“隣”に、俺が今、手をかけているものとよく似た扉が、あった。
同じ静けさを纏い、同じ荘厳さを帯びたそれが、向こう側から開かれている。
「セレス!」
再び呼ばれて、息を呑む。
扉の奥から、姿を現した一人の人物が、迷うことなく俺に向かって駆け出してくる。
その輪郭は、俺と同じように、淡い光を帯びていた。
目を疑うほどに美しい。
男……、だと思う。年齢は、十代後半から二十代の初めくらい。
首から上は、完全に人の姿だ。
整いすぎている、と言っていい。造形そのものが、均衡の極みにある。
白磁を思わせる肌に、切れ長の瞳。その色は、深く澄んだ、まるで宝石のようなルビーの赤。
髪はまた、雪のように白い。
真っ直ぐに落ちるその毛先には、小さな真珠の粒を思わせるものがいくつも連なり、動くたび、かすかに揺れる。
装飾品ではない。まるで、生まれたときからそこに在るかのように、自然だった。
耳の後ろには、数本の羽。
艶を帯びた完璧な白い鳥の羽が、髪に溶け込むように生えている。
そして――首から下。
体格そのものは人と変わらない。だが、腰骨の下から膝あたりまでが白い羽毛に覆われていた。
重なり合う羽は絹のようにしなやかで、走るたび、波打つように揺れる。
それでも、膝からつま先までは人間のものと同じだ。靴は履いていなかった。
裸足のままの足裏が、ためらいなく床を捉えている。綺麗に薄く筋肉のついた、長い脚が踏み出され、わずかな音もなく着地する。
ただ、走るたびに両方の腕が上下に揺れ、その動きが、どこか羽ばたきを連想させた。
彼は俺のすぐ目の前で急停止し、息を切らしたまま立ち尽くす。
赤い瞳が、まっすぐに俺を捉えていた。
知らない。
本当に、知らない。
人型で、喋って、こちらの名を呼ぶ人外。そんな知り合いに、心当たりは一切ない。
俺は無言のまま、彼を上から下まで、もう一度、じっくりと見た。
白い髪、赤い瞳、羽毛に覆われた腰元――、人の形をしているのに、人ではないと一目で分かる。
どう考えても、見覚えのある存在じゃない。
誰だ、こいつ。
「セレス、ここはどこだ? なんなんだよ、これ……」
そう言って、彼はわずかに肩を落とした。
声には焦りが滲んでいるが、同時に知っている相手に会えたことへの、微かな安堵も混じっていた。
真っ直ぐに、俺を見る赤い瞳。
……近い。
近すぎる。
思わず、後ずさりそうになる。
……いや、待て。
お前は俺を知っているのかもしれないが、ほんとに、俺はお前を知らない。
半人半鳥。喋る。若い。超絶美形。
そんな知り合い、記憶を深く探ってもどこにもいない。
神話に出てくる、ハーピーの男版か?
いや、あれは確か、もっと凶暴な存在だったはずだ。
逃げるか? だが、どこへ……?
それとも、ハーピーとはまったく別の何かなのか。
取り合えず、
「……誰だ、お前」
思考が追いつく前に、口が動いていた。
「え……」
目の前の美形が、完全に言葉を失う。
信じられないものを見るように、赤い瞳が揺れた。
一拍。
二拍。
次の瞬間――、
「ちょっ……セレス……!」
彼は慌てたように一歩詰め、両手で俺の二の腕を掴んだ。力は強くない。ただ、必死だ。
「どこかに記憶でも落としたか? なあ、冗談だろ……?」
そのまま言いかけて、はた、と動きが止まる。
彼の視線が、俺の二の腕を掴んだ自分の手へとゆっくり落ちた。そこで、完全に固まった。
次の瞬間、俺からぱっと手を離し、今度は、自分の両掌をまじまじと見つめる。
「……」
絶句。
それから、ゆっくりと、信じられないものを見るように両手を持ち上げる。
指を動かし、掌を返し、何度も確かめる。
「……あ」
声にならない声。
「……ちょっ……」
次の瞬間、空間の隅々にまで響き渡るほどの叫び。
「ちょっと待って! アッシの羽が……! 羽がっ……! 手に……なってるでやんすーー!!」
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