◆ 学院編 帰還 -17-
ダンサーが、短く小さな声で鳴いた。
俺のズボンの膝を引く。
「見てほしいのは、これだ」と、そう訴えるように。
そして、ノアールは再び、低く唸った。だが今度は、警戒ではなく畏れに近い。
その伏せた姿勢から視線を離さず、アルチュールは低く問いかけた。
「……これは、お前よりも上位の存在なのか?」
問いに、彼は吠えなかった。
代わりに、耳をさらに伏せ静かに喉を鳴らす。服従と警戒が同時に混じった、低い音。
答えは、それで十分だった。
ルクレールは一歩引き、確認するように自らのブレスレットに触れた。
短い詠唱。淡い光。
次の瞬間、呼び出された彼の使い魔、オオカミのイオンデーラも、洞を目にした途端、ぴたりと動きを止めた。
ノアールと、まったく同じ反応だ。
低く身を落とし、尾を地面に沿わせる。
「……二体とも警戒の仕方が一致しているな」
ルクレールが低く呟く。
俺は歩み寄り、イオンデーラの首元を撫でた。久しぶりに触れる毛並みから、変わらぬ温もりが掌に伝わって来る。
「あれが何なのか……お前たちが話せたら、いいんだけどな」
だが、三者――ダンサー、ノアール、イオンデーラ。
誰も敵意を示していない。警戒と畏れはあるが、排除しようという気配はない。
だったら。
「……俺が入る」
気づけば、そう口にしていた。
「セレス、待ってくれ。危険だ。中は狭いし、何があるか分からない」
即座に、アルチュールが言った。
「でも、このままだと、ダンサーはここから離れないんじゃないか?」
俺は視線を骨へと向けたまま続ける。
「それに……ノアールとイオンデーラが、あの反応だ。危険度は低いと俺は思うんだけど」
洞の入り口は低く、横幅も狭い。
アルチュールとルクレールが入ろうとすれば、体格的にぎりぎり。俺で、なんとか。
魔法で入口を広げる……、という選択肢が頭をよぎらなかったわけではない。
だが、誰も口にしないだけで、ここに眠っているものが神獣である可能性も否定できない。
しかも、つい先ほどまで結界が張られていた場所。その『守りの意味』も分からぬまま、力ずくで壊すわけにはいかないだろう。
短い沈黙。
ルクレールが、深く息を吐いた。
「……仕方ない。ただし、無理はするな。何かあれば、すぐ声を出せ」
「分かった。でも、アルチュールもルクレールも、すぐそばにいてくれるじゃないか」
ダンサーが、俺を見上げる。
大丈夫だ。
そう伝えるつもりで、艶やかな鶏冠の付いた頭を、そっと撫でる。
それから腰を落とし、身体を低くして、洞の中へと身を滑り込ませた。
洞の内側は、外よりも一段冷えていた。
なんなんだろう、この、どこか澱みがなく静かに張りつめている澄み切った冷たさは。
ひんやりとした空気が肌に触れ、呼吸のたびに、土と根の匂いが鼻を満たす。
視界が狭まり、足元の感覚だけがはっきりと残る。
俺は近づき、骨の状態を、はっきりと確かめた。
「……報告します」
外にいる二人へ向け、声を落として俺は言った。
「骨格はほぼ完全。欠損は少ないと思われ……、崩落や捕食の痕跡は……見当たらず。保存状態が異常にいい。ルクレールが言う通り、軟部組織が完全に失われているわりに、時間経過と合わない」
しゃがみ込み、肋骨の内側を慎重に覗き込む。
「胸腔……いや、ここ」
指で示しながら、言葉を選ぶ。
「本来なら空洞になるはずの場所に、器官がある。脈動している。形は……心臓に近く……いや、これは心臓だ。でも……生体というより、結晶化の直前みたいな……」
それは、異様なほどに美しかった。
損なわれていない。腐敗も、壊死もない。
「生きていると思われます」
そう告げながら、俺は慎重に頭骨へと手を伸ばし――微かに触れた、その瞬間だった。
胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
ペルル・ノワールの奇石が、確かに応えた。
視界いっぱいに白が溢れ出す。眩いというより、重く、抗いようもない光が迫って来た。
「――っ」
反射的に目を閉じる。だが、瞼の裏さえ白く焼き尽くされ、感覚が掻き消えていく。
足元が失われ、音が遠のき、身体の輪郭がほどけていった。
そして、再び目を開けたとき、俺は、真っ白な空間に立っていた。
上も、下も、分からない。
地面があるのか、宙に浮いているのかすら曖昧だ。
ただ、分かることが一つ。俺自身が、淡く光っている。
「……これ」喉が、ひくりと鳴る。「……来たときと、同じだ」
この世界に引き寄せられた、あの時。
暗闇だったが、感覚は、よく似ている。
どうすればいいのか分からず、ただ立ち尽くしていると、音もなく目の前に“それ”は現れた。
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