◆ 学院編 帰還 -2-
「……え」
一瞬、静止。
「エルは既に彼氏気取り……、いえ、これは夫気取りですね……、坊ちゃま」
苦笑混じりにそう言ったのは、マルセルだった。その視線はダンサーではなく、すぐ傍らに立つアルチュールへと向けられている。
アルチュールは、眉根を寄せてわずかにため息をついた。
「エルの羽で飾られたセレスはとても綺麗だが……、文句のつけようはないんだが、どうしても素直に喜べない……複雑な気分だな」
「しかし、器用ですね……」
ナタンが純粋に感心したように呟き、「似合ってるよ、セレス。とても美しい」とリシャールが完璧な笑みを浮かべて言った。
その横で、ルクレールは無言のまま口を引き結び、視線を逸らす。
剣を収めた後の騎士というより、静かに負けを認めた男の顔だった。
「……鳥に敗北感を覚えたのは、さすがに初めてだ」
いや、待って。そこまで深刻になることか、これ……。
横目で見ていたジュールが、肩を震わせている。
唇を噛み、視線を床に落とし、必死に笑いを飲み込んでいた。
俺は、そっと指先で羽に触れる。
「……なかなか、いかしたことしてくれるじゃないか」
そう言うと、ダンサーは片目をすがめたあと、羽をふわりと広げて一歩下がった。
そんなダンサーを優しい目で見つめながら、マルセルはしゃがみ込んで視線を合わせた。
「……元気でいるんですよ、エル。ちゃんと食べて、ちゃんと休んで……。それから、入っちゃ駄目って言われた場所には、近づかないこと。これから行くのは学院です。勉強している人がたくさんいる場所ですから、静かに、ですよ。邪魔をしないように。あとですね……セレスさまも、私と同じでカピカピに乾いたゲッコーは召し上がりませんからね。間違っても、プレゼントなんてしちゃ駄目ですよ」
一瞬、ダンサーが、ぴたりと固まった。
そして、「えっ? 食べないのか?」とでも言いたげに、口を開けて目を丸くする。
「乾いてなくても食べませんからね! 捕まえて貯め込まないように」
「……貰ったことあるんですね、マルセルさん?」
思わず俺がそう訊くと、どこか遠い目をしてマルセルは頷いた。
「はい……。助けたお礼に、後日、頂きました……」
「マルセル。虫もいらないって、ちゃんと言っておいてくれ」
横から、アルチュールが真顔で追撃する。
その後、マルセルは思い付く限りの注意事項を、指折り数えながら淡々と言い聞かせた。
ダンサーは、その一つ一つを逃すまいとするように聞き、最後に一度だけ、こくりと頷く。
「ホームシックになったら、いつでも連絡をください。迎えに行きますから。それじゃあ……行ってきなさい」
ダンサーが胸を張り羽を整えると、マルセルは小さく笑って何も言わずに立ち上がった。
扉が静かに閉まり、御者の声がかかる。
次の瞬間、馬車はシルエット家の人々に見守られながら、ゆっくりと動き出した。
༺ ༒ ༻
ほどなくして、街道の景色がなだらかに後ろへ溶けていった。
夏の風は穏やかで、タイヤを巻いた車輪の音さえ子守歌のように一定だ。石畳の継ぎ目も柔らかく受け流す。走っているというより、まるで滑るよう。
さすがはサスペンション、路面からの衝撃や振動を吸収してくれる装置なだけあって、車内は驚くほど快適です。
しかし、それが仇となったのか――。
昨夜の晩餐で少々飲み過ぎたこと、加えて今朝は早起きだったことも重なったのだろう。
ジュールは出発してほどなく、背もたれに身を預けたまま、すっかり眠りに落ちていた。
首がかくりと前に倒れ、また戻り、やがて完全に動かなくなる。
行きの道中は、何かと物珍しく、誰かが話し誰かが笑い、車内も自然と賑やかだった。
対して帰路では、沈黙が気まずさではなく、心地よさへと変わる。
緊張がほどけたあとの安堵が、静かに広がる頃合い。
旅の、あるあるだな。
「……しかし、こいつ……自分が殿下の護衛ってこと、忘れてるな……」
呆れたように言ったのは、向かいに座るルクレールだった。
「赤い豹、カミュエルが居るから、すっかり安心してるんじゃないのか?」
俺がそう返すと、ルクレールは一瞬きょとんとし、それから小さく笑った。
「俺のこと、ちゃんと評価してくれてるんだな、セレス」
「そりゃあな」
俺は軽く肩をすくめる。
お越し下さりありがとうございます!
(* ᴗ ᴗ)⁾⁾. (♥ ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾
折角、寒さが緩んだのに、また寒波が来るみたいです。どうぞ、お気をつけて。




