◆ 学院編 名前
「セレス?」
レオが小さく首を傾げてこちらを見ている。
デュボアも心配そうに眉を寄せ、重厚な声で問いかけて来た。
「コルベール、どうかしたか? ――無理もないか。こんな異例の事態は。俺も初めてだ」そう言って椅子からゆっくり立ち上がると、部屋の奥の棚を探り革張りのバスケットと小袋を取り出して来た。「先ずは、寝床だが……、少し古くてすまないが、このバスケットは寒さも魔力の干渉も防げる特製品だ。しばらくはこれを使ってくれ。袋には浄化魔法をかけた清潔な巣材が入っている。後日、また新しいのを渡す。餌は、孵化直後のコルネイユ用に調合されたものを使うんだが……、これは、あとで隣の薬草研究室にレオに取りに行ってもらって鳥籠も届けさせるから心配はいらない」バスケットを手渡しながらデュボアは俺をまっすぐ見つめる。「お前が不安になるのも当然だ。けれど、これは異例ではなく特例。珍しいというだけで、排除されたり孤立したりすることはない。明日には他の寮監とも情報を共有して、正式に対応を協議する」
その声には、どこか人としての温かみがあり確かな責任感と信頼が込められていた。威圧でも慰めでもない――。
デュボア先生、ご心配をおかけして申し訳ございません。腐男子鳥との出会いに舞い上がっていただけです……、とは言えない。
あと、転生前にドメワン友達がネットでデュボア先生のことを『陽だまりのゴリラ(褒めてます)』って呼んでて、うっかり共感してしまった過去もお許しください……。すみません。
……と、心の中で土下座していると、目の前のその人は真摯に正面から俺を見つめていた。
「お前は、ただこの雛鳥を大切にしてやればいい。あとは、俺たち大人の仕事だ」
頼れる大人の気遣いに、一瞬、言葉に詰まったが、俺は笑顔を作って答えた。
「はい。ありがとうございます」
そっと掌の中へ目配せを送る。すると、まるで通じたかのように、雛は小さくくちばしを鳴らし、再び丸くなって羽毛を膨らませた。
どうやらさっきの「尊い」と呟いた声は、レオやデュボアには届いていなかったようだ。もし聞かれていたら、確実に説明がつかない。しかし、この世界に来て、初めて出会った『腐仲間』かもしれない相手がまさか自分の伝書使とは……。
白い雛鳥がくくっと喉を鳴らした。それが、どこか得意げに聞こえたのは、きっと気のせいではない。
「それから、割れた卵の殻は部屋にあるな?」
「はい」
もちろん。
魔力を注がれ孵化したあとのコルネイユの卵殻は、極めて希少な素材。それを魔法で一塊にすると、主と伝書使専用の通信稀石となる。この知識は、魔法学院の生徒はもとより、王都や辺境の住民にとっても常識。
原作では、学院に通うキャラクターと伝書使たちは皆、いつも身に着けやすいものに加工して肌身離さず持っていた。
まさか、今こうして自分がその現物を手にする日が来るなんて――。思わず、胸の奥がじんわりと熱くなる。無理、死ぬ。
「細かい破片も全て取っておいて、明日、また授業が終わったらここに持って来るように。『ソルスティス寮』寮監のルシアン・ボンシャン先生が魔力を込めた専用の瓶を用意しておく」
「分かりました」
デュボアは視線を落とし、低く静かな声で続けた。
「――で、名前は、もう決めたか?」
「名前……」
思わず聞き返すと、彼は俺の手元に視線をやりながら、言葉を継いだ。
「名を与えるってのはな、ただの飾りじゃない。主が己の使いに名を付けるってことは、その存在をこの世界に刻むってことだ。誰でもない『それ』が、お前の『大切な存在』になる瞬間。まあ本来、命名までの時間は、せめて二週間以上あるはずなんだが……、直ぐに決めなきゃならないのは少し気の毒だとは思っている」
レオが隣で穏やかに微笑んだ。
「セレスなら、きっと素敵な名前を付けるさ」
俺は、雛鳥を見つめた。ふわふわの羽毛は、雪のように白い。
確かこの世界の言葉で『雪』って……、
「……『ネージュ』っていうのは、どうでしょう?」
俺の提案に、赤い瞳が、まっすぐこちらを見つめ返してくる。
――気に入ってくれたらしい。
レオが笑みを深める。
デュボアも腕を組んだまま、ゆっくりと頷いた。
「白いやつに、よく似合ってるな」
俺の中に、小さく、でも確かに何かが灯った気がした。




