◆ 学院編 白いカラスの謎
「……さて、これからどうすればいいんだ?」
俺は溜息をついた。
孵化は本来、もう少し先。早くて二十日、遅くて一カ月はかかる。それが初日にしてこの状態。
イレギュラーであるのは間違いない。
肩の上のコルネイユは身体を丸め、俺の首筋に温もりを預けてきた。
現実問題として――どうしたらいいのか、お手上げだ。
先ず、誰もこんなに早く殻を割って出て来るとは微塵も考えていなかったから、寝床もエサも、水も、何ひとつ用意されていない。
元々、コルネイユの成長は早い。生まれて大人になるまで、たったの一カ月足らずだが、その間は、主となった生徒が寮室で世話をし、育て上げることになっている。食事を与え、魔力を与え――成長の過程全てにおいて主が関わり、共に過ごすことで、絆を育んでいく。
そうして築かれた信頼関係は、成鳥となり、寮の時計塔にある専用の小屋や、中庭で他の仲間たちと過ごすようになった後も、決して消えることはない。彼らは主の呼びかけに応え、命じられれば知性ある魔術的存在として働く。勿論、人語を理解し流ちょうに操る。
それが、この学園における原作設定にも出て来た育成課程だが――それも『通常の孵化スケジュール』の話。
卵を受け取ったその日に生まれたこの個体に関しては、まったくの例外。
今、俺と共にいるこの白い雛鳥は、既にその常識から大きく外れている。
両隣の二人とナタンに相談するべきか……、いや――。
「……ここはグラン・フレールだよな」
俺は割れた殻もそのままに、肩の上の雛鳥を左の掌に誘導し、制服姿で部屋を出た。階段を降り、幸いにも誰とも出くわさずにレオの部屋の前までたどり着く。
「失礼します。セレスタンです」
軽くノックをすると、間もなくして内側からノブが回る音がしてドアが開いた。
「どうした、セレス?」
扉を開けたレオは、丈長の白いリネンの部屋着に鮮やかなティールブルーのナイトガウンを羽織って、目元に僅かな疲れの影を滲ませながらも相変わらず砕けた調子でそう言った。だがその視線が、白いコルネイユに届いた瞬間、眉を跳ね上げる。
「おい、ちょっと待て、それって……」
「勉強中でしたか?」
「そうだが、丁度、休憩をしようと思っていたところだ」入り口からは、奥のデスク上に山積みになった本が見えていた。「――って、そんなことはどうでもいい。兎に角、俺の予想が当たっているのなら、それは拾ったとかではなく、まさかとは思うが……、もう孵ったのか? 初日、一番初めの授業で伝書使の卵が配られる。つまりそれは、今朝、受け取ったばかりだろう?」
俺が小さく頷くと、レオは一瞬だけ唖然としたような顔をしてから、直ぐに「よし、中入れ。話はそれからだ」と笑った。
「お邪魔します」
「散らかってて悪りぃ。課題やってたけど、セレスが帰寮後に制服のままルームシューズにも履き替えずに来たってことは、ただ事じゃないってことだからな」
俺は軽く礼をしてから促されるまま中に足を踏み入れた。
「ようこそ、弟くん。さあ、座って」
レオは、デスクの上にあった本を脇に避け、今しがた自分が座っていただろう椅子を俺にすすめた。そして、本人はベッドサイドに置いていたオットマンを引きずって来て腰を下ろす。丸く膨らんだ座面の縁には金糸の飾り紐がぐるりと巡らされている。
「で、状況は?」
「朝に一度、魔力を与えただけで、ついさっき殻を割って出て来ました。特に何かしたわけでもなく、ベッドのクッションの上に置いていたら、勝手に……」
「白い羽毛に、赤い目か……。見た目からして異例だな。伝書使になるコルネイユの卵ってのは、配られる前、個体の差異が大きく出ないよう、こと細かに性別鑑定に至るまで事前に魔術で均一に管理されている。ってことは、つまり――」
「特異な個体、ということですよね?」
俺が言うと、ああ、と静かに頷いた。
「……まあ、そうなる。だけど、特異ってのは悪い意味じゃない。セレス、何か呪文でも唱えたか?」
「いえ、なにも」
「そうか」
レオは小さく笑って、身を乗り出した。何故か目を輝かせている。
「楽しんでます?」
問いかけると、レオは口の端を上げていたずらっぽく笑った。
思わず、「#ふつくしい」のタグを付けたくなる表情だ。
「魔術絡みの不可解な現象ってのは、何かの兆しだったり、新しい発見の種だったりするからな。しかもセレスの伝書使は白――全身、真っ白だろ? 色素欠乏って風ではなく、明確に『白』ってのが面白い」そう言って、レオは俺の手の中の雛鳥に、人差し指でそっと触れた。「――セレス自身が、何か相当変わった魔力の持ち主ってことかもしれない」
俺のグラン・フレールは、中々の慧眼をお持ちらしい。
「孵化まで最低でも二十日かかるってのは、エネルギーの蓄積と、個体の準備期間込みってことだ。それを約半日で突破したとはな。凄いな」
撫でられているコルネイユは羽をふるりと揺らし、目を細めた。雛特有のふやけた表情が庇護欲を掻き立てられる。
「……はは。かわいいじゃねぇか、コイツ」
レオが楽しげに笑うと、コルネイユが小さな声で「ぐふぅ」と鳴いた。
……今、「ぐふぅ」って言ったか? 言ったよなこいつ……?
どことなく満更でもなさそうな表情で、レオの指に頭をすり付けている。
……男子寮に配られる卵は、雄――。確かに原作でもそうだった。雌ではない。はずなのに、何この懐き方は……?




