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◆ 学院編 白いカラス

 初日の授業を平穏無事に終え、夕暮れの光が学院を茜色に染める頃、俺は、リシャール、アルチュール、ナタンと連れ立って食堂を後にした。

 道すがら、リシャール殿下は相変わらず気さくにナタンと談笑している。その笑い声は澄んでいて、いつもの王族然とした振る舞いとはまるで別人のようだった。時折り、ほんのわずかに屈託のない少年の表情を見せるが、これがきっと彼本来の素顔なのだろうと思う。

 ナタンの方はといえば、相変わらずのマイペースぶりだ。

 俺……、というより正確には「セレスタン・ギレヌ・コルベール」本体を、彼の中で最上位の(あるじ)として認識しているためか、王太子に対する態度はいたってぞんざい。敬語どころか、敬意のかけらも感じられない。

 それがかえってリシャールには心地よいのか、気を遣われることに慣れすぎた王子にとってナタンの歯に衣着せぬ言葉は新鮮な風……いや、暴風のように感じられているのだろう。

 かたや、俺の隣を歩くアルチュールは、始終変わらぬ穏やかな表情で、歩調をぴたりと合わせてくれていた。さっき食べた肉が柔らかかったとか、お代わり自由のスープが美味かったとか、そんな会話の途中、時折、こちらに視線を向けては優しく微笑むその様子に、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。……こっちは、ワンコの散歩かな。


 しかし、この淡々とした時間が、どこかやけに贅沢に思えた。

 推しと並んで歩ける日が来るなんて、ドメワンのページを何度も読み返していたあの頃の俺に教えてやりたい。


 今のところ、『腐』的な供給は全くない。アルチュールとリシャールの間には、原作にあったような甘い気配も、運命の糸も、残念ながら見当たらない。

 けれど、推しの近くに居られるというだけで、充分に活力となってくれる。


 やがて寮の三階、自室の前にたどり着いて、「んじゃ、また明日」と、俺が手を振ると、ナタンが「しっかり休んでくださいよ、セレスさま」と軽く頭を下げ、リシャールも少し声を潜めて「おやすみ、セレスタン」と言ってくれた。アルチュールは最後に「よい夜を」と、囁くように微笑んでから、名残惜しそうに背を向ける。

 そして、俺は自室のドアノブに手をかけた。


 ――と、その瞬間(とき)

 指先に、緊張が走り、ベネン(掌の魔法陣)がほんの僅かに熱を持った。

 気配を感じる。


 意を決してドアを開けると、室内の()(とう)壁面灯(へきめんとう)がふわりと柔らかい光を放つ。各部屋の照明機器は火属性の魔法陣を内蔵した魔道具で、陽が暮れると足音や気配を感知して自動的に明かりが灯るよう設定されている。もちろん、所定の呪文『アリューム』『エンドゥ』を唱えれば、点灯、消灯することも可能だ。


 静かで、整った空間。

 けれど、明らかに空気の密度が違っていた。肌を撫でるような、張り詰めた気配。


 ――何かがいる。


 そんな確信に近い直感に促されながら、俺はベッドに視線を向け、枕元の小さなクッションの上に乗せていた黒い卵を見て息を呑んだ。


 ――表面に、ひびが入っている。


「うそだろ。今朝、魔力を通したばかりだぞ? それも、一回……」

 思わず口に出し、慌てて傍に腰を下ろす。ひびは一箇所だけではない。蜘蛛の巣のように細かく広がっていて、その中心から微かな音が聞こえた。

 コツ……コツ……。

 規則的でありながら、心細い。けれど、それが確かに内側から発せられていることは間違いなかった。

「まさか……、今?」

 瞬きも忘れて見つめる中、卵の殻の一部がぱきりと割れ、白いものが覗く。

 驚いたことに、隙間から見えたそれは雪のような羽根だった。


 さらに、ぱらぱらと殻が崩れ落ち、はじめに小さな頭がのそりと動いたあと、殻は花が開くように綺麗に割れ、全身が真っ白な羽毛に包まれた掌に収まるほどの小さなコルネイユ(カラス)が現れた。


 だが、その白はただの白ではなかった。

 一枚一枚の羽根の先端には、まるで真珠を極限まで小さくしたような粒が付いていて、それらが灯りに反射し、淡く光を放つ。虹色のヴェールを纏ったような繊細で美しい輝きがあまりにも神秘的で、この世界の(ことわり)の外側から舞い降りてきたかのような気配すらまとっていた。


 しばらく呆然と見惚れていると、白いコルネイユ(カラス)が静かに目を開けた。

 驚くことに、瞳は、ルビーよりも赤く、まっすぐこちらを見上げている。

 小さな(くちばし)が、微かに動く。

 息を詰めたまま、そっと両手を差し出すと、コルネイユ(カラス)はしばらく俺の顔を見つめていたが、やがてゆっくりと首をかしげてから、ひょい、とその細い足で掌に乗った。

 柔らかくて温かい。


「……生まれた、んだな」

 俺の掌の中で、コルネイユ(カラス)は僅かに羽をふるわせ、真珠のような粒が、室内灯の光りで星のように瞬いた。

 ついさっきまで、たしかにただの卵だったもの。


 いや、ただの卵ではなかったかもしれないけれど、卵であったことは確かだ。

 しかし、今、俺の手のひらには、小さな命がいる。


 胸の奥が、じんわりと熱くなった。この美しい鳥が、俺――いや、セレスタンの伝書使(クーリエ)となる存在。


 滅茶苦茶カワイイじゃねえか! まさか初日に孵化するとは思わなかったけどな。


「……しっかし、見たことないぞ、こんなの。白だなんて。いや、そもそもコルネイユ(カラス)って黒いもんだろ」


 原作に、こんな個体はいなかった。


 規格外。イレギュラー。あるいは――光の属性、チート能力の影響か。

「……こっちも色々あったけどさ、お前も普通じゃなさそうだな?」

 小さなコルネイユ(カラス)は、じっと俺を見つめている。

「ようこそ」

 思わずそう口に出したとき、赤い瞳がぱちりと瞬き、一度羽ばたいたあと、俺の肩にちょこんととまった。

 まるで、そこが最初から自分の居場所であるかのように。


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