◆ 学院編 最初の従者
名を呼ばれデュボアから渡された卵を両手で慎重に受け取った。大きさは、片方の掌にすっぽりと収まるほど。表面は絹のようになめらかで、ほんのりとした光沢を帯びている。触れた瞬間ひんやりとした感触が指先に伝わり、その奥に、まるで水底で鼓動する心臓のような命の気配があった。
生きている。
これはただの卵ではない。
まだ殻の中に眠っているのは、これから自分と共に歩む存在――。
辺りを見渡せば、他の生徒たちもそれぞれに卵を手に取り、どこか神妙な面持ちでその存在を確かめていた。アルチュールは驚きや興奮を隠せず、ナタンは困惑をにじませていて、リシャール殿下は愛おしげに微笑みかけている。
やがて全員に卵が行き渡ったことが確認されると、第二寮『レスポワール』の寮監、ジャン・ピエール・カナードがひとつ息を吐き、首元に手を添え、青竹色のアスコットタイに軽く指を滑らせてから、ゆっくりと前へと進み出た。
とたんに空気がすっと引き締まり、周囲が自然と彼に注目する。
言葉を発する前から、彼の存在そのものが場を律する力を持っていた。
「それでは――コルネイユの卵への魔力の与え方について、このように木でできた模造卵を使い、実演を交えて説明する」
カナードは、背筋を伸ばしたまま、ジャケットのポケットから黒い卵を取り出した。
年齢は三十歳前後。短い薄茶色の髪を几帳面に撫でつけ、整った顔立ちに縁の細い眼鏡をかけている。その印象は一言で言えば「理知的」で、無駄な感情を排した静けさの中に、確かな自信と冷静な判断力が滲んでいる。
また、「彼の講義は明快かつ的確」、「一分の無駄もない洗練された言葉で綴られ、聴く者の理解を自然と導く力がある」と原作内でも評価されていた。生徒の間で密かに『インテリ眼鏡くん』というあだ名で呼ばれるシーンが何度か出て来たが――もっとも、それを本人の前で口に出来る者は一人としていなかった。
「今、皆の掌の中にある卵は、まだ未成熟の魔導生物。これに適切に魔力を分け与え、徐々に慣れさせ信頼関係を築いていくことで、やがてコルネイユは孵化し、君たちの最初の従者となるだろう」そう言って、カナードは掌の上の卵にそっと指先を添え、「まず、深く息を吸い……、自分の内なるサリトゥに意識を向ける。心を静かに。雑念は排除。次に、胸元に満ちる魔力を一点――この卵の中心にある核へ向け、糸を垂らすように送り込む」と続けた。
静寂が周囲を包む中、カナードの言葉に合わせるように、彼のベネンがふわりと淡く発光した。卵の表面には微細な紋様のような光が一瞬浮かび上がり、それが波紋となって静かに広がっていく。
「魔力は、強すぎてもいけないが、弱すぎても通じない。相手はまだ生まれていない命だということを忘れないように。はじめは自己紹介のつもりで、「自分はこういう者だ」と伝えればいい。大切なのは、支配と従属ではなく協調と対話、通じ合うこと」
その言葉には、どこか詩のような響きがあった。理論的でありながら感情を内包し、静けさの中に確かな情熱を感じさせる語り口。
しばしの静寂ののち、隣に立っていたルシアン・ボンシャンが優しく口を開いた。
「では、今から一分間、皆さんも自分の卵に少しだけ魔力を流してみてください。深呼吸して、焦らず……、感覚を探ることから始めましょう」
その声は、まるで風に乗る囁きのように穏やかで、しかし不思議なことに生徒全員の耳にしっかりと届いた。ひとつの指示が、静かに、けれども確かに、空間を包み込む。
生徒たちは一斉に、両手の中の卵へと視線を落とし、俺もまた、ゆっくりと目を閉じ心を鎮めた。
掌に感じる卵の重み。その奥に、かすかな命の鼓動を感じながら、胸の奥に渦巻く魔力を――そっと、静かに流し込んでいく。
――この卵から、どんなコルネイユが生まれるんだろう?
胸の奥に漂う期待と不安。そのふたつが静かに溶け合い、ひとつの想いとなって、そっと卵の核へと流れ込んでいく。
それがどんな姿を持ち、どんな性格で、どんな「声」で俺に応えてくれるのか。
だが、その疑問は、早くもその日の夕方、予想外の形で答えを得ることになる。
お読み下さり、本当にありがとうございます。
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