表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
123/151

◆ 学院編 アザレ座の怪人 -6-

 距離が近い。息が触れ唇が重なりそうになる。

 つま先で立ち、肩を持って押し返しながら咄嗟にもう一方の手を伸ばし、相手の口を塞ぐ。

 驚きで胸が跳ねた。けれど、不思議と――敵意は感じなかった。


「……お前、誰だ?」


 口を塞いでいた手を放し、頭の布を剥ぎ取る。

 赤い髪が舞台裏の光を受けてこぼれた。


「ルクレール!?」


 ゆっくりと、微笑がこぼれる。

「――攫いに来た、セレス」


 舞台の喧噪は遠くなり、胸の鼓動だけが残った。


「……違うだろ。本当は、なにをしにここへ」

 ルクレールは微笑を崩さない。

「想い人が女神を演じると聞けば、見に来て当然だろう」

「見たならもう帰ってくれ」

「つれないな」

「女物の靴のせいで、足が痛いんだ。俺は楽屋で休みたい」

「そうか」


 その返事の直後、体がふわりと宙に浮いた。

「ちょっ……おい、ルクレール!?」

 抗議の声を上げる間もなく、彼の腕が俺の膝の下と背中を軽々と支える。

 完全な、横抱き。


「足が痛いのなら、歩かなくていいようにしてやる。寒いなら、抱き締めて暖めてやる。暑いなら、俺が陽射しを遮って日陰を作ってやる。……お前のためなら、なんでもしてやる」


 観客のざわめきや拍手の残響がまだ舞台裏に残っている。

 その中で、ルクレールの声だけがやけに鮮明に聞こえた。


「セレス、俺のことが嫌いなら、ここで叫んで人を呼べ」


 胸の奥が、音を立てて軋んだ。

「……ずるいな」

 小さく息を吐きながら言うと、ルクレールの口元がわずかに緩む。

 仮面の奥で、赤い片眼がわずかに光を反射した。その視線が、ほんの一瞬だけ俺の目を捉える。

 そのまま彼は一歩、二歩と音もなく歩き出すと舞台袖を抜け、誰もいない奈落へと続く階段を軽やかに降りはじめた。


「ルクレール、どこに行くつもりだ」

「パイパーに会ってほしい」

 思いがけず出たその名前に、つい彼の胸の服を掴んだ。

「……パイパー? どうしたんだ?」

「お前と別れてから、日に日に元気がなくなったそうだ。パイパーの主、モーリス・ベルナールから、“銀の君を連れて来てもらうことは可能だろうか”と相談された――ロジェが」

「だったら、こんなまどろっこしいことをせずに、正面から言いに来いよ! 俺だってパイパーに会いたいから断るわけないだろう。それに、今このまま俺が行けば、水属性班の他の学年の出し物も見れないじゃないか――っていうか、相談されたのロジェかよっ!?」

「同じ属性の他の学年のものは準備中に見て回れただろう。明日からも祭りは続く。それに、正面から頼めば、余計なお供が何人も付いて来る。お前一人では来ない」

「そんなことのために?」

「そんなことじゃない。俺はお前と二人っきりで会いたかったんだ」


 奈落の通路はひんやりとしていて、微かな魔力の光が壁に流れている。

 ルクレールは俺を抱いたまま、その狭い道を迷いなく進む。奥のドアを開けると、広い通路が現れた。天井が高く、巨大な梁の間を幾筋もの魔法灯が照らしている。

 観客席の真下――舞台機材や道具を運び込むための搬入口。

 その中央に、装飾が施された魔法で動く大型の昇降籠(エレベーター)が設置されていた。


 ルクレールが装置の縁に立つ。

アペリオ (開け)

 呪文を唱えると、華やかな曲線を描く鉄の骨格が淡く光り、むき出しの歯車や滑車が動いて格子の戸が開いた。


「待て、ルクレール。本気で行く気か? 俺、ドレス姿だぞ? しかも、外出届も出していない。突然いなくなったら、皆が心配する。せめて奇石通信で伝書使(クーリエ)に連絡させろ」

「外出許可なら取ってある。既にデュボア寮監に提出し、水属性担当のジョベール・フォンテーヌ(おきな)にも報告済みだ」

「……はあ?」


 思わず彼の顔を見上げる。

 学院の外出許可書には、本人のサインが必要だ。サインにはベネンの痕跡が残るから、偽造はほぼ不可能。


「こないだ、なにかの紙にサインさせられなかったか?」

 ルクレールの声がやけに静かに響いた。


 あっ。


 脳裏に、数日前の光景がよみがえる。


 ――返却された本の貸し出しカードに署名が抜けていましてね……。


 そう言って、職員が差し出した紙に、俺は何の疑いもなくサインした。


「まさか、あれ……」

「ああ」ルクレールの唇がわずかに歪んだ。「ここのガルディアン(学校の)デコール(管理・警備員)に、|テネブリス・ノクターン《夜の影》の下部組織、カデ・ド・ノクターン(ノクターン候補生)のメンバーが一人、殿下の警備任務で入っている」

「ロジェに同じことを聞いた……」

「ジュール・ド・ベルモン。お前にサインをさせたのは、彼だ」

「でも、あのときサインを求めて来た職員は、ガーゴイル事件のとき怪我をした彼と顔が違う!」

「あの程度のヘボい剣の腕前で、あいつがなぜ、|テネブリス・ノクターン《夜の影》の候補生でいられるかというと、ジュールは認識阻害魔法の巧者(こうしゃ)だからだ。……化けるのが上手い」


 見ている相手に“今の顔”とは異なる姿を認識させる認識阻害魔法の術――。

 もちろん、高度な魔術師や常に警戒を怠らないルクレールのような騎士なら、違和感を察知して術を破ることもできる。だが、心の隙を突かれれば、誰でも簡単に騙される。

 声までは変えられないため、誰かに化けた場合、その者の知り合いには有効ではない。


「……図ったな!」

 思わず怒鳴る。

「いつも思うが、怒った顔も可愛いな」

「誤魔化すな!」

 彼は笑いを堪えるように喉を震わせたまま、レバーを操作した。


 滑らかな音を立てて、昇降籠(エレベーター)が昇っていく。やがて、わずかな衝撃とともに停止した。ルクレールの腕の中で体の重心がふわりと揺れる。

 籠から降りると彼は俺を片腕に抱え直し、もう一方の手で外へと続く重厚な扉の取っ手に手をかけた。

 風が、開いた隙間から流れ込んでくる。


(* ᴗ ᴗ)⁾⁾. (♥ ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾

いつもありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ