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◆ 学院編 アザレ座の怪人 -5-

  ༺ ༒ ༻



 カナード寮監とのレッスンは、そこから数日にわたって続いた。

 夜ごとに訪ね、ヴァイオリンを弾く。最初はぎこちなかった指先が、少しずつ旋律を思い出していく。

 彼の教えは厳しいが的確で、姿勢の角度、弓の重さ、指の置き方――一つひとつの指摘が理屈を超えて、まるで“音そのもの”が身体に染み込むようだった。


 昼間は舞台の準備が続いた。大道具の設置、衣装の修正、立ち位置の確認。

 舞台装置は魔法で制御され、特に地下の水場のシーンでは、水属性の魔力が舞台の下から流れるように放出される。

 練習のたびに、劇場全体が生き物のように呼吸していた。


 衣装合わせの日、俺がドレスを着ると聞きつけて、リシャールとナタン、アルチュールがそろって見学に来たが、公演当日まで秘密だと衣装担当のユーグ・パラディとティボー・マルシャンが伝えると、三人とも名残惜しそうに退いた。

 ……ただ、一つだけ問題があった。

 キスシーン。

 それを知ったアルチュールが、その日の夜、寮室の扉を勢いよく叩いた。

 ネージュが寝床のバスケットでキラキラと目を輝かせる中、俺は額を押さえ、真似だけで実際にはしないと彼を説得するのに大変だった。

 仕方なく俺は、「俺に触れていいのは、お前だけだ」などと恥ずかしいことを言うハメになり、それを聞いていたネージュはというと、羽を震わせながら「ぐふぅっ」といつもの声を上げてバスケットの中で仰向けに倒れた。部屋の中は、色んな意味で修羅場だった。無理。しんどい。


 そんな慌ただしいある日、廊下を急いでいたときに学院職員のひとりに呼び止められる。

「コルベール君、少々よろしいですか。返却された本の貸し出しカードに署名が抜けていましてね」

「あ、すみません」

 差し出された書類にペンを走らせると、職員は笑みを浮かべて軽く頭を下げた。

「助かります。ありがとうございます」

 それだけの、なんでもない出来事――。


 何気ない小さな日常が積み重なり、時間はあっという間に流れ、ふと気づけばジューン・フェスティバルは目前に迫っていた。

 ホールに入ると、皆が本番前の熱気に包まれている。

 各々、衣装のチェックをしたり照明魔法の調整に余念がない。

 ヴァロンタンは相変わらずテンションが高く、仮面を着け「キスシーンはさ、“舞台の華”だよな」などと平然と言ってきて、俺は即座に持っていた台本で腹を殴った。頭を狙うには、こいつは少し背が高すぎる。あと、なにげにファントム姿が似合いすぎて、余計むかつく。


 それでも、準備は万端だった。

 舞台に立つ恐怖よりも、不思議な昂揚感が勝っていた。

 音が響き、おなじ班の生徒たちが笑い、すべてが一つの円になる。

 この学院で過ごして初めて、“仲間と何かを作る”という実感があった。


 前日の夜、部屋に戻るとネージュが枕元で羽を膨らませながら待っていた。

「明日は俺もレオと一緒に行くからな。セレスの晴れ舞台だ。絶対に見届ける!」

「緊張して間違えても笑うなよ」

「笑わない。だが、尊死はするかもしれない」

「するな」


 そんな他愛もないやり取りの中で、夜が過ぎていく。


 そして――当日。


 ホールは人で埋め尽くされ、立ち見の観客まで出た。

 開幕の合図が響き、幕が上がる。

 光が降り注ぎ、音が流れ出す。

 その瞬間、緊張も不安も溶けて、ただ旋律だけが残った。


 幻想的な水のカーテンの中、舞台は完璧に動いた。観客が息を呑む気配が伝わってくる。

 俺はヴァイオリンを奏で、役の中に溶けていく。


 ……そして、問題の“ラストシーン”。

 愛を請うファントムが跪き、手を差し出す。

 その指先に導かれるように、俺は顔を寄せ、そっと唇を重ねる――演技のキス。

 一瞬の静寂。

 舞台の上に流れる音も光も、すべてが止まったかのようだった。


 次の瞬間、歓声が波のように広がる。

 幕が降りるころには、指先の震えも、胸の鼓動も、役の余韻の一部になっていた。


 舞台は大成功だった。

 裏では仲間たちが駆け寄り、笑顔と歓声が飛び交う。

 「やったな!」「セレスタン、最高だった!」「綺麗だよセレス!」――口々に肩を叩かれ、頭をぐしゃぐしゃにされた。

 緊張が解けていくと同時に、足の力が抜けそうになる。

 喉が渇いて、ユーグから渡された水を受け取って一息ついたとき、初めて「終わったんだ」と実感が押し寄せた。

 手にしていたヴァイオリンと弓を、ティボーに預け、深呼吸をひとつ。

 胸の奥から、疲れと達成感がゆっくり混ざり合っていく。

 ……と思った途端、現実に引き戻される。足の甲が、女物の靴の締め付けでじんわり痛んだ。

「ちょっ、ヴァロンタン、靴がきついんで、先に楽屋に戻っていいかな?」

「ああ、勿論だ。今日、することはもうほぼない。簡単にここを片付けたら俺たちもすぐに行く。あとで他学年の催しを見て回ろう」

「悪い、感謝する」

 そう告げて、俺は熱気の残る舞台裏の通路へと歩き出した。


  そのとき――袖のカーテンの影から、仮面をつけたファントムが現れた。


 ヴァロンタン?

 さっき別れたばかりなのに、と一瞬考える。


 黒い布を頭から被り、見えているほうの顔を隠した影。

 違う……、ヴァロンタンじゃない、と直感したと同時に腕が伸びて来て、俺は抱き寄せられた。


お越し下さりありがとうございます!

(* ᴗ ᴗ)⁾⁾. (♥ ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾


かなり気温が下がりました。外出時に何を着ていいのか迷います。お体に気を付けて下さい。

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