表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
120/125

◆ 学院編 アザレ座の怪人 -3-

 もっとも、これはただの文化祭ではない。

 魔法、剣術、音楽、工芸――それぞれが日々の研鑽(けんさん)の成果を披露する祭典。

 風・火・水・土、四つの属性ごとに一日ずつ催しが行われ、学院中が熱気と魔力に包まれる。

 祭の幕開けを飾るのは、水属性。

 静けさと流れ、始まりの象徴だと、昔から言われている。

 俺は腹をくくって、午後の練習と準備に全力を注ぐことにした。


 舞台衣装や小道具は、学院の倉庫に保管されているものを使用できるという。

 指定された場所に向かうと、すでに扉が開け放たれていた。

 中では、上級生を中心に何人かの生徒たちが劇の準備をしているらしく、色とりどりの衣装や帽子、壁に掛けられた数々の仮面を手に取っては賑やかに相談している。

 倉庫というより、まるで舞台の幕が上がる直前の楽屋のようだった。


 皆で先客に「失礼します」と声をかけ、中に足を踏み入れると、そこはまるで別世界だった。

 北側の高窓から差し込むわずかな光を受けて、ドレスやマントの布地がわずかにきらめいている。


「……なにこれ、小道具保管庫っていうより、貴族のクローゼットだな」

 思わず呟くと、隣でヴァロンタンが愉快そうに笑った。

「宝の山だな。――さっそくだが、ほらセレス、これなんかどうだ?」

 そう言って彼が手に取ったのは、深紅のドレスだった。

 濃い赤の絹に黒いレースが重ねられ、胸元には銀糸で繊細な刺繍が施されている。光を受けて、まるで焔のように輝いた。

「派手じゃないか?」とマチアスとルシアンが眉をひそめる。

「俺はこっちの水色のドレスがいいと思うな。弦の女神らしいじゃないか」

 意見を挟んだのはオクタヴィアン・ド・ルフェーヴル。

 遺跡見学の際に「担当騎士が怖すぎる」と嘆いていたあの彼だ。警部補役を演じる。

「水色か……。まあ、両方とも舞台映えはするな」

 俺は腕を組みながら、深紅と水色のドレスを見比べた。どちらも手の込んだ仕立てで、布地の艶が光を受けて揺れている。


 ――どちらを選ぶか。舞台映えを考えれば、水色も悪くない。


 そう思いかけたとき、ふと背中に柔らかな視線を感じて、俺は振り向いた。

 倉庫の入り口に立っていたのは、ガルディアン(学校の)デコール(管理・警備員)の副官、藤一郎デュラン。


「副官!」

 俺が声を上げると、周囲の生徒たちが一斉に姿勢を正した。

 デュランは軽く手を上げて笑う。

「そんなに固くならなくていい。前を通ったら扉が開いていてね。中をのぞいたら――君たちがあまりにも楽しそうだったから、つい眺めていた」

 その穏やかな声音に、場の空気がより一層、和んだ。


「……一年、水属性は『アザレ座の怪人』をやると聞いたが?」

 こちらにやって来るデュランの視線が、ラックにかかるドレスにゆっくりと移る。

「ええ。衣装を選んでいるところです」

 ルシアンが頷く。

「そうか。少し一緒に見てもいいかな?」

「もちろんです!」

 マチアスが嬉しそうに答えた。


 この双子は、遺跡見学のとき、ヴァルカリオンの疾走訓練で体調を崩し、デュランに介抱されて以来、彼には特別な親しみを抱いているところがある。


 優しいもんな、藤一郎・デュラン副官。

 綺麗だし、落ち着いた物腰。彼のあの静かな思いやりに触れて、憧れないほうが難しい。

 ……いやしかし。

 こうして双子と副官が(つど)っているところを見ると、なんというか――これこそ受けの花園。

 思わずそんなことを考えてしまい、自分で苦笑した。


 それから俺たちは、ゆっくりと衣装の間を歩いた。時おり手に取った布を光に透かし、縫い目の細やかさや色の深みを確かめる。

 やがて、デュランが一着のドレスの前で足を止めた。

「……これだな」

 その声に全員の視線が集まった。


 それは、白のレースで仕立てられた美しいドレスだった。

 胸元には繊細な銀糸の刺繍が施され、スカートの裾には青い光沢のある布が重ねられている。

 まるで夜明け前の空気のような透明感があった。


「これはいい」と、オクタヴィアンが感嘆の息をもらす。

「うん、まさに“弦の女神”だな」

 ヴァロンタンがうなずき、双子が「華やかすぎず、上品」、「今回の劇にぴったりです」と評する。


 そんな中で、デュランが瞼をわずかに伏せ、静かに、ふっと微笑んだ。

「……懐かしい」

「ん?」と俺が首を傾げると、デュランは言った。

「これは、カナード寮監が学生時代に『アザレ座の怪人』で“弦の女神”クリスティーヌ・ダーエを演じたときに着たドレスだ」


「…………ええっ?」

 全員が一斉に固まる。

 一拍ののち、ヴァロンタンが一番先に口を開いた。

「え、まさか……カナード寮監って、あのジャン・ピエール・カナード寮監ですか?」

「ああ。学院中が沸いたよ。凄まじかった。客席は満員で立ち見まで出た」


 衝撃のあまり、誰も言葉が出なかった。

 あの厳格で真面目を絵に描いたような教官が……ドレスを着てヒロインを演じただなんて。


「カナード寮監が……弦の女神……?」

 俺がもらした言葉に、デュランが小さく頷き、懐かしそうに笑った。

「そうだ。ヴァイオリンも見事だった。もし何か困ったことがあったら、彼に相談してみるといい」


「ヴァイオリン……、カナード寮監……」

 口の中でその二つの言葉を転がしながら、俺はぼんやりとドレスを見つめた。

 まさか、女神を実際に演じた人物が、こんなに身近にいたとは思わなかった。


 ……それなら。


 もし、少しでも手ほどきを受けられるなら。

 完璧でなくてもいい。水属性班の仲間たちが作り上げようとしている舞台のために、できる限りのことはしたい。

 デュランはそんな俺の様子を見て、軽く肩を叩いた。

「安心しろ。彼は、面倒見がいい。担当属性が異なっても、喜んで協力してくれる」



  ༺ ༒ ༻



 その夜。

 俺は小道具倉から借り出したヴァイオリンを抱えて、カナード寮監の自室の前に立っていた。黒革のケースには、淡い銀色の魔法陣がうっすらと刻まれている。劣化防止と調律保持の陣――蓋を開けたときに漂った松脂のやわらかな匂いからも、手入れが行き届いているのが分かった。小道具にしては、やたら上等だ。


 拳を軽く二度、扉に当てる。

 コツ、コツ。間を置かずに中から足音が近づき、鍵が外れる音。


お越し下さりありがとうございます!

(* ᴗ ᴗ)⁾⁾. (♥ ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾


いつもご反応ありがとうございます。心から感謝いたします♥

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ