◆ 学院編 アザレ座の怪人 -1-
༺ ༒ ༻
――やっちまった。
いや、ほんとにやっちまった。
あの流れで止められるわけがないだろって、心のどこかで開き直ってる自分もいるけど、それにしたって……。これ、もう次の段階、つまり「合体」しか残ってねえ……。
いや、ちょっと待って。あと一つ段階は残っている。言わないけど。ただ、それであのおねだり上手で待てが出来ないワンコが納得してくれるんだろうか……。
どうすんの俺。
当のアルチュールのほうはどうかといえば、彼はやたらと堂々としている。
目が合うたびに、あの時の記憶を思い出して俺は顔が熱くなるのに、彼は何事もなかったかのように涼しい顔で過ごしている。
ちょっと前までルクレールの下半身逸話を聞いて頬を染めていたくせに。その自信はどこからくるんだ……? 攻め臭っぱねえ……。
ナタンの視線も痛い。絶対、何か気付いてる。
食堂で俺とアルチュールの座っている距離が、ほんの数センチ詰まっただけで、眉がぴくって動くの見逃してないからな。
……ていうか、俺、こんなに快楽に弱かったのか。
何あれ。反射的に体が反応するの、完全にビッチ受けじゃねぇか。
ビッチ……、いやいやいや、認めちゃ駄目だ。認めたら、もう戻れない。
幸いなことに、リシャールはまったく気付いていない。
彼の場合、元のセレスタンのことを、なんか――神聖視してる節がある。まるで、推しの女性アイドルはトイレなんか行かないって本気で信じてるファンみたいな。
俺が汗ひとつかかないと思ってそうだし、エロいことなんて考えないとでも思ってるんじゃないか。
多分、彼のセレスタンに対する想いは、尊敬とか、憧れなんだろうな。
……ごめんな、リシャール。今のセレスタンは、わりと俗っぽい。
両肘を机につき、指を組んでそこに額を置く。
前髪の隙間から机の木目をぼんやりと眺めながら、俺は心の中で溜息を吐いた。
そのとき、前方から響くモンレーヴ伯爵家の双子の声が現実に引き戻した。
「――では、この意見に反対の人は?」
「いなかったら決定しますよ」
ガヤガヤとしたざわめき。
顔を上げると、前の黒板にびっしりと書かれた文字が目に入った。
『ジューン・フェスティバル 初日 水属性班 出し物案』
目をこすりながら焦点を合わせた瞬間、視界の中に自分の名前が見えて――思わず硬直する。
『アザレ座の怪人』
ファントム役:ヴァロンタン・マルセル・ガルニエ
弦の女神・ヴァイオリニスト役:セレスタン・ギレヌ・コルベール
「……はぁ?」
「では、満場一致で決定!」
「一年、水属性班、出し物会議、これで終了いたします」
「お疲れさまでした」
「では、解散」
パチパチパチと拍手が巻き起こる。
周囲の笑顔。
どよめく水属性班の生徒たち。
俺は机に手を突いたまま、乾いた声でつぶやいた。
「え……なにこれ?」
隣の席で、ヴァロンタンが楽しそうに笑いながら話しかけて来る。
「いやぁセレス、絶対にドレス姿が似合うと思うよ? 弦の女神!」
――いや、どういうこと?
思わず体が反応して、俺は勢いよく立ち上がった。
「反対!」
「おいおい遅いって。もう決まった」
ヴァロンタンが呆れ顔で笑う。
「既に決定しました」
「却下します」
双子が声を揃えて言うのを聞いた瞬間、俺は拳を握りしめて叫んだ。
「取り合えず、ヴァロンタンぶっ殺す!」
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それから俺は、いつもの四人で夕食を終えて寮の自室に戻った。空気が少し湿っている。
ジューン・フェスティバルの準備が始まるこの季節は、外気がぬるくて制服の襟もどこか重たく感じる――と、さっきリシャールが言っていた。本当にその通りだ。
扉を後ろ手に閉め、椅子を引いて机の前に座ると、ベッドの上でネージュが首を傾げた。
「どうした、セレス。今日は剣の鍛錬はなしか?」
「ああ。……ちょっと、これに目を通さなきゃならなくなった」
俺は手にしていた紙束を机の上に置く。
表紙に刻まれている文字は、『アザレ座の怪人 脚本』――。
飛んできたネージュがのぞき込んで綺麗な羽をふるわせた。毎日一緒に居るとあまり気付かないが、既に彼には雛のころの面影はほぼなく、翼もしっかりと伸びて、すっかり大きくなっている。
「……なんだ、これ?」
「ジューン・フェスティバル。水属性班の出し物が決まった」
言葉にした瞬間、さっきの光景が頭をよぎる。
教室でのざわめき、双子の拍手、ヴァロンタンの楽しそうな顔――そして俺の名前が書かれた黒板。
ああ、思い出しただけで胃が痛い。
「出し物会議が終わって、食堂へ行こうとしたときに呼び止められ、これを渡された」俺は台本を軽く指で弾いた。「中身を見たら、もう配役は出来上がっていた。何年かに一度は上演されている人気作品だから、台本自体があるのは理解できるが、それにしたって用意が良すぎる」
「つまり?」
「つまり――ヴァロンタンたちが最初から俺を“弦の女神”クリスティーヌ・ダーエ役にするつもりで仕組んでたってことだ」
天井を仰いで溜息をつく。
まさか、異世界転生して劇でドレスを着せられヒロインを演じさせられるとは思わなかった。
――確かに、セレスタン本体はヴァイオリンが弾ける。幼い頃、王立楽団の指導者に手ほどきを受けていた。何度かリシャール殿下の誕生日に、殿下の要望で演奏を披露している。
その場に、双子もいた。
辺境貴族のヴァロンタンがどこまで把握していたかは分からないが――この配役の理由は、多分、そこだ。
……まあ、俺にドレスを着せてみたかった、という好奇心も混ざっているのだろう。
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急に涼しくなり、着るものに迷います……。
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