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◆ 学院編 古代遺跡 -31-(※)

 手を引かれるままにアルチュールが一歩踏み込む。

 壁際まで下がった俺の背中が、冷たい石に触れた。

 その瞬間、彼の両腕が俺を囲んだ。


 至近距離で見つめると、アルチュールの瞳は光を吸い込んだように暗く、けれど底に熱を孕んでいる。

「……セレス」

 低く、かすれた声。

 返事をしようとした唇を、再び塞がれた。


 今度は先ほどとは違う。迷いも、なにもない。

 唇が深く重なり、息が混ざる。

 名を呼びたいのに、そんな隙すら与えてくれない。

 彼の指先が頬から首筋へ滑り、腰を掴んだ手が、服の上から俺を抱き締める。


 胸の奥が焼けるように痛む。その痛みさえも、心地いい。溶けてしまいそうだ。

 俺は、アルチュールの頭を掻き抱いた。

 指先が、彼の髪を束ねていた紐に触れる。俺が使っていたものだ。そう考えた瞬間、また心臓が跳ねた。

 愛しい。

 こんなにも誰かを想うことが、幸福そのものだなんて、知らなかった。

 世界の輪郭がぼやけて、互いの体温だけが鮮明になる。


 唇が離れ、また唇が重なる。

 どちらからともなく身体を寄せ、押し寄せる波のように熱が高まっていく。


 石壁が背中を冷やし、その冷たさがかえって彼の体温を際立たせる。

 肩で呼吸をする音が交わる。やがて、彼がゆっくりと唇を放す。

 アルチュールの額が俺の額に触れ、しばらく二人とも何も言わなかった。


 ほんの少しして、彼が囁くように言った。

「……好きだ、セレス」

 俺は笑って、彼の胸に指を押し当てた。

「キスする前に言えよ」

 そう言うと、彼も微かに笑って、もう一度唇を重ねてきた。

 風が崩れた回廊の隙間を抜けて、ほんの一瞬だけ二人の髪を揺らす。


 そのとき、野営地のほうからラッパの音が響いた。

 出立準備の合図だ。

「行かないと……」

 まだ鼻先が触れあっている相手に名残を断ち切るようそう呟くと、アルチュールが目を細めて頷いた。

「ああ……」


 崩れた柱の間を抜ける陽が少しずつ昇り始めていた。

 指先を繋いだまま、冷えた空気の中に残る互いの体温を確かめるように、しばらく無言のまま俺たちは並んで歩いた。


 やがて野営地が見えてくる。

 アルチュールは歩調を緩め、ちらりと俺の顔を覗き込む。

「やっぱり、救護テントまで送る」

「大丈夫だ」俺は軽く笑って首を振る。「ちゃんともう平気だから。……アルチュールは自分の班に戻れ。出発の準備があるだろ。それに、担当のデュボア寮監には剣の稽古場も借りている。彼に面倒はかけられない」

 アルチュールはまだ何か言いたげに唇を開いたが、結局、諦めたように息を吐いた。

「……わかった。あとでまた砦で会おう」

「ああ」

 互いに短く頷き合い、そこで道を分かれた。


 野営地に戻ると、すでに撤収の気配が満ちていた。

 焚き火の跡は土をかぶせられ、騎士たちが淡々とテントを解体している。

 帆布(はんぷ)が折り畳まれ、支柱が抜かれ、矢を入れる(えびら)に似た細長い筒状の拡張袋へと吸い込まれていくたびに、ここにあった小さな街が音もなく消えていくようだった。


 救護テントの前では、数人の騎士とロジェが手際よく作業を進めていた。

 彼は俺を見付けるとすぐに椅子の上に置かれていた俺の革袋を手に取り、歩み寄ってくる。

「お帰り、セレス。表面に付いていた塩水の汚れも落としておいた」

「ほんとだ。ありがとう」

 受け取った革袋は、まるで新品のように滑らかで、手に吸い付くような質感だった。

 その細やかな気配りに、ロジェにはきっと妹か弟がいるのだろう……、とふと思った。

「――で、黒髪の彼とはいい話、できたか?」

 からかうような声に、「えっ」と、思わず言葉を詰まらせる。

 無言のまま、頬のあたりがじんわりと熱を帯びていく。

 ロジェは俺のそんな様子ににやりと笑い、「図星か。まったく、若いってのはいいな。……恋せよ若人、ってやつだな」と小声でつぶやいた。

「ロ、ロジェだって若いじゃないですか」

「俺か? ……あー、俺はそういうのは向いてないんだ」

 そう言ってロジェは軽く息を吐いてから、ぽん、と俺の頭に手を置いた。

 大きな掌が髪を優しくかき混ぜる。笑っているのに、瞳の奥に微かな陰が差したように見えた。

 背後では、解体の音が次々と重なっていく。

「さて、生徒はそれぞれ自分のヴァルカリオンのところで待機だ。ここが片付いたらすぐに発つぞ」

「……了解」

「先に行って、パイパーのところで待っていてくれ。朝の点検で顔を合わせたら、あいつ、セレスじゃないのかって顔でしょんぼりして、鼻をひっかけてきやがったからな」

 軽く肩を叩かれ、俺は思わず笑いながら頷いた。

 ロジェは小さく息を整えると、踵を返し、指示を飛ばしながら作業に戻った。

 その背中を見送り、俺は革袋を腰に付け、パイパーのいる場所へ向かう。


 厩舎の解体もすでに終わっており、ヴァルカリオンたちは、来たとき同様、それぞれの主である騎士の属性に合わせて整列していた。

 周囲の空気の中には鞍の革の匂いと、グリフォン隊の翼を広げる風圧の音が混ざっている。

 パイパーは俺を見つけると、小さく鳴いて首を振った。

「おはよう、パイパー」

 その額を撫でると、ひときわ明るい鳴き声が返ってくる。

 その瞬間、背後から軽い足音が近づいてきて聞き慣れた声がした。


お越し下さりありがとうございます!

(* ᴗ ᴗ)⁾⁾. (♥ ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾


ようやくここまで来れました。皆さまのおかげです。いつもご反応、ありがとうございます♥

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