◆ 学院編 古代遺跡 -30-(※)
ロジェの背中が石の列柱の向こうに消えると、急にあたりが静かになったような気がした。
風が、崩れかけた柱の隙間を抜けていく。
俺とアルチュールは、しばらくそこで無言のまま立ち尽くしていた。
どちらから話しかければいいのか分からず、石畳を見つめていると、横から穏やかな声が落ちてきた。
「……本当に、大丈夫なんだな?」
その言葉に顔を上げる。アルチュールはまっすぐこちらを見ていた。
真剣で、どこか確かめるような目だ。
「ああ。平気だ」
「よかった……」安堵の声。「昨日、あの時……、何もできなかった自分が悔しかった……。あの眼帯騎士は自らおとりになってセレスを守ったのに、俺は、担当騎士に守られる立場で――戻ってくれと言っても聞き入れられず……くそっ」
言葉の終わりと同時に、アルチュールの拳が強く握られた。指の関節が白く浮き上がるほど力がこもっている。
「それは仕方ない。俺たちは学生だ。守られる立場なのは当然だし、責めることなんて何もない。あのときは、集団行動を乱したり騎士や他の誰かを危険に晒すことのほうが問題だった。俺のやったことは、よっぽど間違っている」
そう言いながら、俺は彼の顔を見つめた。握り締めていた拳は微かに指の力が抜けているものの、まだ多少、眉間に皺が残っている。
見ていると、何かしてやりたくなった。
「……なあ、ちょっと、歩かないか?」
アルチュールは頷き、静かに並んで歩き出した。
崩れた石畳の上を踏みしめる足音が、静かな遺跡に溶けていく。
やがて視界の先に、長いアーチ形の回廊が現れた。
「……すごいな」思わず声が漏れる。「中に入ろう」
「ああ」
幾重にも重なる影が、まるで時間そのものを刻んでいるようだ。
息をのむような空間に、アルチュールも一歩一歩を確かめるように歩みを進めた。
直後、ふとした瞬間に互いの指先が触れる。
そのわずかなぬくもりが、胸の奥に静かな波紋を広げた。
俺は、ためらうように、けれど自然な動きでアルチュールの指に自分の指を絡めた。
彼も、驚いたように一度まばたきをしてから、ゆっくりと握り返してくる。
それから、俺たちは足を止めた。
「セレス……」
アルチュールが小さく声をひそめる。
「ん?」
俺が横を向くと、彼は少し俯き、そのあと顔を上げて言った。
「俺は、騎士を目指すことにした。勿論、この学院に来た最初の目的も、忘れていない。けれど、自分の力で、セレスを守りたい。お前のほうが剣の腕はまだ上だが……近いうちに、絶対に勝ってやる」
「じゃあ、俺も益々腕を磨くよ。あとな……、俺は、守られるだけじゃいやなんだ。俺も、お前を守りたいと思っていることを覚えておいてくれ。ちゃんと、頼って欲しいと思っている。そして、ノアールの復活を、手伝わせてほしい」
そう言いながら、俺はそっとアルチュールとの距離を狭め、彼の肩に額を預けた。
アルチュールは一瞬、息を止めるように固まった。
胸の奥で、戸惑いと動揺が混ざっているのだろう。
「セレス……こんなことをされたら、俺はひどく勘違いしてしまう」
小さな声だが、そこには正直な困惑が滲んでいた。
俺は少し口角を持ち上げながら、額を彼の肩に押し当てたまま言う。
「それは、勘違いじゃないと思う」
そのまま、俺は静かに目を閉じた。
彼の体温が、じわりと額越しに伝わってくる。
心臓の鼓動が、触れ合った部分から互いに伝わり合うようで――どちらの音なのか、もう分からなかった。
しばらくの沈黙のあと、アルチュールが小さく息を吸った。
「……セレス」
呼ばれて顔を上げると、すぐ目の前に鋭いが優しい瞳があった。
深い碧を帯びた黒い虹彩に、陽光が反射して揺れている。
その眼差しはまるで猛禽のように真っすぐで、けれど獲物を狙うような冷たさではなく守りたいものを見つめる強さを宿していた。
――ああ、本当に、いい男だな。
思わず、そんな言葉が胸の奥に浮かんだ。
ネージュ、お前の言う通りだったよ。
ごちゃ混ぜだった感情が、どうやら一つに纏まってしまったようだ。逃げっぱなしではいられない。俺は、無理・しんどいラインを突破したらしい。
ごめんな、元のセレスタン。本当にごめん。
一瞬、お前のことを考えて、もしかしたら原作通り、俺はルクレールを選ぶのが正しいんじゃないかと思ったんだ。実際、本音を言えば彼のことは嫌いじゃない。あんなに大胆で自由奔放で、しかもあんなに強い男から「お前に会いに来た」と言われれば、俺の心だって揺れる。しかも、俺のために命を投げ出すことに、ほんの少しの迷いも見せなかった。それがたとえ、騎士としての使命だったとしても、惹かれないわけがない。
彼を選んだら……、俺は大切に甘やかされて、そばに居るときは片時も離れず、とても幸せになれるんだろう。目を離せば不安になるほどに彼は俺を愛し、きっと、溺れるように抱きしめてくれる。
けれど――、
彼に告白されたとき、俺の頭に浮かんだのはアルチュールだった。
あの瞬間に、もう答えは出ていたんだと思う。
俺は、この男が欲しい。欲しくてたまらない。
次の瞬間、アルチュールの瞳の奥がふっと揺れ、彼の手が俺の頬をやさしく包む。
距離が、ゆっくりと、けれど確実に縮まっていく。
息が触れるほどの近さで、俺はかすかに笑った。
その瞬間だった。
彼の唇が、噛みつくように俺の唇を塞いだ。
驚きよりも先に、体の芯が震えた。
火の精霊に祝福されたかのような熱が、唇から喉、胸の奥へと染みていく。
彼の指が、頬から耳の後ろへと滑り、優しく髪を撫でた。
息を吸うたびに、陽の当たる石の匂いと、燃えた木の香りが混ざったような――懐かしくて、どこか切ない匂いがした。
離れ際、ほんの一瞬、唇が名残惜しそうに触れ合った。
アルチュールは息を乱しながら小さく囁く。
「……セレス」
俺は微笑み、首を縦に振った。
そのすぐ横に、回廊の影へと続く細い通路が見えた。
俺は彼の手を取って、静かに誘う。
「……こっち」
細い通路の奥は、ほとんど陽の届かない薄暗い空間だった。
崩れた石壁が互いに寄り添うように傾いて、そこだけ外の喧騒がまるで届かない。
ふたりの呼吸だけが、空気を震わせている。
お越し下さりありがとうございます!
(* ᴗ ᴗ)⁾⁾. (♥ ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾
少し遠回りしましたが、本命に辿り着きました。




