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◆ 学院編 古代遺跡 -28-

  ༺ ༒ ༻



 翌朝。

 目を開けたとき、テントの中には誰も居なかった。

 隣の寝台は、きれいに片づけられているが、畳まれた毛布の端に残る皺とか、その上に置かれた枕の位置だとか、微妙な変化が、そこに誰かがいたことを教えていた。


 ――ロジェ、か。


 外からは、遠くのざわめきが風に乗って届く。

 足音、馬の嘶き。

 笑い声――は、生徒たちのものではなさそうだ。

 午前中の遺跡見学には騎士と砦の隊士は同行せず、午後にここを出立するため、その準備に残っているはず。


 寝返りを打つと毛布の中の空気が冷え、その途端、腹のあたりが妙に空っぽだと気づく。

 そういえば、昨夜は何も食べていなかった。


 幕の外で、軽い足音が止まった。

「――起きていたか。おはよう」

 低く落ち着いた声とともに、仕切り幕を開けてロジェが入ってくる。

 鎧は脱ぎ、簡素な外套姿。片手に小型の手提げ鍋、もう片方に木皿を持っていた。

「おはようございます」

 声が思ったより掠れていて、自分でも驚く。

「他の生徒たちはもう出た。セレスは休めとボンシャン寮監の指示だ。……腹、減ってるだろ?」

 言いながら、簡易机に鍋を置き、湯気の立つスープをよそう。

 野菜の甘い匂いが鼻をくすぐった。

「ありがとうございます」

「気にするな」

 そう言ってロジェは、俺に皿を渡してから隣の寝台の端に腰を下ろした。

 ふっと笑った顔に、どこか兄のような温かさが滲む。

「ゆっくり食え。あとで、少し外を歩こう」

「……はい」

「それと、服は椅子の上に置いてある」

「ありがとうございます」

「ございますを外して、もう一度」

「あ、りがとう……」

「うん」

 腹が鳴るのを誤魔化すように、スープをひと口すくって口に運ぶ。塩気と香草の香りが舌に広がって、空っぽだった胃が一気に目を覚ました。気付けば、もう一口、もう一口と匙が止まらなくなる。

「……うまいか?」

「めちゃくちゃうまい!」

「味付けは、デュラン副官だからな」

 そう言われて、丸薬のことを思い出した。

「薬もうまかったんですけど……」

「この場合、“副産物”って言い方をするのが正しいのかな……。彼には胃に優しい薬草を覚えなきゃならない切羽詰まった事情があった」

「あっ……」


 直属上司が拗らせているブラック職場だからな。


「気付けば、数々の混合調味料(シーズニング)を創り出していた」

 ロジェが肩をすくめるように笑った。

 思わず、俺もつられて吹き出した。


「今年の生徒は、当たりだ。飯が旨い。しかも、優しいだろ、彼は。デュラン副官がこの課外授業に参加した年の学生は、彼に憧れを抱く者も多い。見た目もあれだ」

「すごく綺麗……ですよね」俺は自然と頷いた。「静かで、穏やかな感じで」

「彼の母親は、極東の女性だ。なので、彼も少し雰囲気が違う」

「極東……!?」

「ああ。彼の父親が昔、一目惚れして連れて帰ってきたらしい。当時、この国では《絹虫疫けんちゅうえき》が流行して、カイコが壊滅的な被害を受けた時期があった。そのとき、極東の日出ずる国“ヤシマ”から、カイコの卵が産み付けられた蚕紙(さんし)三万枚が寄贈されたんだ。返礼として、ヴァルカリオンを二十五頭、ヤシマの将軍に献上するための使節団が組まれ、彼の父親は、その随行員の一人だった」


 セレスタンの記憶を探れば、家庭教師が教えてくれた外交史の中に、確かに同じ話があった。


「外交任務で向かった先で、神に仕えていた舞姫に出会い、帰還の折、彼女を伴って戻ったそうだ。妾腹だから、本人も母親も公の場にはあまり出ない。セレスでも知らなかったんじゃないか?」

「知りませんでした」


 神に仕えていた舞姫ということは、巫女か。

 まさか、極東の血が流れているとは――そう聞かされても、すぐには実感が湧かなかった。

 一見したところ、黒髪と細身の体つき以外は、ほとんどドメーヌ・ル・ワンジェ王国の人種に近い。

 原作にも“日系”の登場人物は一人もいなかったから、まるで想像もしなかったのだ。

 確かに――あの平安貴族のような雅な顔立ちと、無駄のない所作。

 シュッとしてはる、とは思ったが……。


 それにしても、この世界で言う「極東、ヤシマ」とは、やはり日本のことに違いない。


 少しの沈黙のあと、ロジェが思い出したように言葉を継いだ。

「そういえば――デュラン副官の名前を知ってるか?」

「いえ……『デュラン副官』としか呼ばれてないですね」

「言いにくいんだよ、あれ」ロジェが苦笑する。「グライシーヌ()に、“一番目の男児”って意味の名前だ」

「……藤一郎(とういちろう)?」

 ロジェは一瞬、目を見開いたまま固まった。

 驚きがそのまま表情に出て、息をするのも忘れたように俺を見つめている。

「なんで言えるんだ? というか、なんで分かった?」

「な、んとなく……、以前、極東の本を読んだことがあって」

 慌てて誤魔化す。

「そういうところは、噂にたがわず勉強家だな。ぶっ飛んだこともするけど」

「反省してます……」


 そのとき、ふっと、ロジェが遠くを見た。

グライシーヌ()で思い出した。昔な、デュラン副官のことを“ウィステリア”って呼んで、親しくしていた留学生がいたそうなんだが……」

「ウィステリア……」

「“グライシーヌ()”のルーザン・アルビオン語だ。彼は、短期交換留学生で、春にやって来て秋には帰国し、……噂では、のちに騎士になって任務中に亡くなったって話だ……」そう言いながら、ロジェは自分の心臓の上を、指先で軽く叩いた。「鎧のここらへんに、グライシーヌ()の紋章を刻んでいたらしい……まあ、詳しいことは誰も知らないけどな」


 掌が熱くなり、胸が強く締め付けられた。

 騎士の鎧の胸に刻まれた藤の紋章――察するところ、デュラン副官の名前であり、また、母方の家紋ではないのだろうか。


 友情よりも重い、感情の証。


 気付けば、目から一筋の涙が流れていた。

 それに気付いたロジェは、慌てて手を差し伸べて来る。


お越し下さりありがとうございます!

(* ᴗ ᴗ)⁾⁾. (♥ ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾


やっと副官の名前を出すことが出来ました。

フルネームは、藤一郎・ラウレンス・デュラン。

彼の父親は、ラウレンス・エティエンヌ・デュランです。

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