◆ 学院編 古代遺跡 -23-(※)
༺ ༒ ༻
服を着直した俺たちは、しばらく岩棚に腰を下ろし、火球の明かりの下で救助を待ちながら他愛のない話をした。
パイパーがルクレールの命令を破り俺を遺跡に連れて行かなかったこと。
俺がまた規律を破ってこんなことをしでかしてしまったせいで、今度こそ停学は免れないだろうということ。
ルクレールがすでに奇石通信で、自分と俺の無事を伝書使アッシュに報告済みだということ。
伝書使の網には城や学院、砦ごとに『閣下』『陛下』『猊下』と呼ばれる上位のコルネイユが三羽置かれていて、彼らが互いに通信を繋いでいる。
いわば、昔の電話交換手のようなもの。
いずれのコルネイユも、簡単な魔法を操ることができ、通信の中継や保護の術を担っている。
おそらく、アッシュからは騎士団のブノワ閣下へ、さらに各地へと連絡が流れているため、学院のゾンブル閣下をはじめ、今は地表にいる寮監含めた全員にはもう伝わっているはず。
ただ、アッシュの報告によれば、地下では正確な位置の特定までは難しいらしい。
それから、ルクレールの手首を飾るブレスレットには、使い魔である狼が封じられていて、彼が服を乾かしているあいだ、その狼が姿を現し俺の身体を温めてくれていたことも――。
「……礼を言いたい。呼び出してくれないか」
そう頼むと、ルクレールはふっと目を細め、ブレスレットに触れた。
「出でよ、イオンデーラ」淡い光が広がり、やがて一頭の狼が姿を現す。「デュランのガーロンよりは小さいが、速さならこいつは負けない」
毛並みは深い赤褐色で、火を思わせる色合い――鋭い金の瞳を持ちながら、その佇まいは不思議な温かさを宿していた。
「俺の使い魔、イオンデーラだ」
名を告げる声に応じて、狼は低く喉を鳴らし、俺のそばへ歩み寄る。
「ありがとう、イオンデーラ」
毛並みに触れると、ほんのりと体温が伝わり、胸の奥まで安堵が沁みわたった。
赤い狼はそのまま俺の前に腰を下ろすと、重々しい頭を膝の上へと預けてきた。金色の瞳を細め、撫でてくれとせがむように鼻先を押しつけてくる。その仕草に思わず口元が緩み、掌で毛並みを梳けば、狼は満ち足りたように喉を震わせた。
しばし無言で火球が弾ける音だけを聞いていると、
「……あの黒髪の子爵家次男には、気持ちは伝えたのか?」
ルクレールがぽつりと口を開いた。
唐突な問いに目を瞬かせる。
「いや……、全然。俺たちは、そういうんじゃない。友人だ」
「……あいつはお前にぞっこんだぞ。お前に触れようとした俺の手を、掴んで離さなかった」
「誰もかれもが、あんたみたいにすぐにひん剥いておっ始めるような男じゃないんですよ」
そう言いながら、俺の膝に頭を預けている狼の耳を撫でる。柔らかな毛並みの感触が指に絡み、イオンデーラは気持ちよさそうに目を細めた。
「なら――お前は、まだ誰のものにもなっていない」
「……そうなるね」
「でも、キスは初めてじゃないな」
「……なんでだよ」
「反応がこれっぽっちも初々しくない。品行方正な堅物のお坊ちゃんだと聞かされていたがな? 相手はリシャールか?」
転生前に、短期間だけど一緒に同人誌を作る彼女が居ました。童貞ですが、キスの経験はあります。
――とは言えない。言っても相手にはなんのことだか分からないだろう。
ていうか、なんで、男の名前が一番に出て来るんだよ。
「殿下じゃない」
「てっきり既にリシャールが手を出しているものだと思っていた……。そうしたら、ガーゴイル事件のとき、あんな黒髪の目つきの悪いのが出て来て、正直、驚いた」
「アルチュール、目つき悪いか?」
「俺には常に睨んで来る。でもまあ、殿下から横取りするのは多少は気が引けたが……、知り合いでもない相手からなら、なんの遠慮もいらない」
「なんだよ、それ」
ルクレールの赤い瞳が炎を映して揺れる。
「俺は諦めないってことだ」
言うが早いか、後頭部を押さえつけられ、唇を深く塞がれた。
やめろと言う気持ちを込めて目の前の男の胸板を両手で叩くが、鍛え抜かれた本物の騎士はびくともしない。それに俺は、急性魔力虚脱からまだ完全復活しているわけではなく、膝にはイオンデーラが居て動けない。重い。
しかし、ほんとこいつキスが上手いな……なんなんだよ、溶けそうだ……。
角度を変える度に、俺の口の端から甘い声が洩れる。
綾ちゃん……、兄ちゃんはどうやら快楽と言うものに流されやすい体質のようです――。
いや、そもそもヤリチンの経験値、半端ねぇ……。
と、半ば感心していると、ルクレールが俺の左手を取り、自分の股間へと押し当てた。
熱い。硬い。
はっきりとした存在感が掌に伝わり、背筋に戦慄が走った。
俺の口を塞いでいたルクレールの唇が離れる。息が触れるほどの近さで耳元に囁かれた。
「男相手に、こんなふうになるのは初めてだ。……寧ろ、今までで一番、興奮してる」
吐息混じりの言葉に心臓が跳ねる。次の瞬間、再び唇を奪われ、頭の芯まで痺れるような熱が流れ込んできた。
俺の口を塞いでいるルクレールの唇がにやりと歪むのが分かる。
ちくしょう、余裕かましてんじゃねえぞっ。
胸板を片手で押し返しながら心の中で毒づく。
……よし、もごう。これは、もげ、ということだな。
いいだろう、もいでやるっ。
必死に握り込んだその瞬間――、
「――お取込み中のところ、失礼」
涼しい声が頭上から降ってきた。
ルクレールがようやく唇を放す。
俺は彼の腕の中で、弾かれたように顔を上げた。そこに舞い降りてきたのは、巨大な風蛇ザイロン。その背に跨っていたのは、第二寮『レスポワール』の寮監ジャン・ピエール・カナードと、デュラン副官。
声の主はカナードだった。
デュランの胸鎧に埋め込まれた魔導灯が、淡い金色の光を放っている。その光がザイロンの首筋を掠め、鱗の一枚一枚を浮かび上がらせていた。
ザイロンを目にするのは、これで三度目になる。
あまりに静かに飛ぶのが不思議で、以前、わざわざ文献を探して調べた。
彼らは羽ばたくたびに、口からごく微細な音波を放っているそうだ。その音が周囲の空気を震わせ、羽ばたきの音や風切りを覆い隠す。音を音で包み、かき消す仕組み。
この世界の研究者たちはそれを「沈黙の息」と呼んでいる。けれど俺には、それが何を意味するのか分かっていた。
正に――音を以て音を隠す、『マスキング効果』。
そのせいで、すぐ頭上に降りてくるまで、接近にまったく気づけなかったのだ。
デュランが急ぎザイロンから飛び降りると、鋭い声を張り上げる。
「はっ、離れなさいヴァロア!」
そのまま俺の腕をぐいと引き寄せ、がっちりと捕獲された。急性魔力虚脱の後遺症のせいか、まだ足元はふらつき気味で、抗う余地もない。立ち上がった足元ではイオンデーラが、くーんと短く鳴き、心配そうに鼻先で俺の脛をつついた。
「セレス、大丈夫か!? あのケダモノは、おっ始めなかったか!? 合体は、合体はしなかったか!?」
……なんとも、答えようがない。
おっ始めました。合体寸前でなんとか回避しました。
そんなこと、俺の口から言えるわけがない。
しかし、無言は肯定に繋がる。
「合体は……、してません」
真っ赤になりながら、絞り出すように言うと、デュラン副官は心底ほっとしたように胸を撫でおろした。
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折角、オベール警備官と離れてゆっくりできると思っていたデュラン副官でしたが、やはり今日も厄日です。
 




