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◆ 転生したら当て馬だった

 良い時代になったものだ――そうしみじみと思いながら、俺、伊丹トキヤはパソコンの画面に表示された「カートに追加」のボタンを迷わずクリックした。


 待ちに待った神作家モノノイ・マリンボール先生の新刊であり最終巻が来週末に発売されることが本日、発表された次第である。

『ドメーヌ・ル・ワンジェ王国の薔薇 金の(きみ)と黒の騎士―10巻』

 通称『ドメワン』。


 漫画化もされている超人気BL小説。


 途中、連載の休止をはさみつつも、かれこれ六年ほどになるだろうか……。

 ようやく、『金の(きみ)』と呼ばれるはかなげで麗しきリシャール・ドメーヌ・ル・ワンジェ王太子殿下、カッコ、()()、カッコ閉じると、『黒の騎士』と呼ばれる辺境の子爵家出身でありながら実力で陸軍近衛師団に入団した眉目秀麗なアルチュール・ド・シルエット、カッコ、()()、カッコ閉じるが結ばれるのだ。


 そう、絶対に結ばれるのだ。

 これは確信だ。いや、むしろ信仰に近い。


 マリンボール先生は、連載開始当初の「学院編」のころ、最終話をどう着地させるか非常に迷っていらしたそうだが、先生の私生活に変化があり、ご結婚され、お子さんが生まれてからというもの、「ハピエンしかねぇだろう!」と宣言してくださったのだ。ヲタク冥利に尽きるというものだろう。


 ちなみに『黒の騎士』アルチュールは、前巻で近衛師団副団長に昇進。

 暴走した魔物の集団が押し寄せて来る――スタンピード――からリシャール殿下を守り抜き、大けがを負ったところで物語りはトゥービーコンティニュー、次回作に続くという形で終わっている。

 心臓をわしづかみにされたまま次巻を待ち続けたあの日から、ついにこの瞬間が来たのである。


 今回、デジタル版も購入するが、勿論、手元に紙バージョンも欲しい! これはさながら全国のヲタクなら、みな気持ちを理解してくれることだろう。


「昔なら人目を忍んで本屋に買いに行かなきゃならなかったんだろうな……、マジで良い時代だ」


 俺の場合、この道――『腐男子道』に進む要因となったガッチガチの腐女子の妹が居るから自分で出向かず買って来てもらうことも可能ではあるが、いかんせん、あいつとは「BLが好き」という一点だけが同じであって、萌えるシチュやハマるジャンルがことごとく異なる。


 どうせ、「またこんな王道読んでるの? 退屈じゃない?」と言われるだろうことは想像に難くない。


 ……王道、いいじゃないか! 王道は宝だろうが!


 俺はゆるく丸まった天パの毛先を左手の人差し指でくるりといじりながら、デスクの端に置いてあったタンブラーを右手で取った。

 タンブラーの側面には、漆黒の長髪を後ろでひとつに束ね、黒曜石のように輝く甲冑に身を包んだアルチュールが、肩幅に足を開き仁王立ちしている姿が描かれている。鞘に収めた剣を下に構え、その柄を前で両手で押さえる――まるで「お前だけは守る」と無言で誓っているようなポーズだ。

 うん、尊い。呼吸が止まりそう。たとえ印刷物の平面でも、アルチュールはアルチュールなのだ。そこに存在しているだけで、俺のHPが全回復する。

 一番くじB賞――なかなかのレア物だ。新卒サラリーマンの薄給から二万弱をつぎ込んだ甲斐があったというもの。


 思わず口角が緩む。

「……むふふふ」


 中身のカフェオレをひと口。

 ただのペットボトル飲料なのに、推しの加護でも受けたのかってくらい、格段に美味く感じる。


 まあ、日本の飲料はだいたいどれも美味いけどな。


 ――そんな、たわいもないことを考えながら『ドメワン』妄想にどっぷり浸っていた、そのとき。

 背後でノックの音がした……と思った瞬間、間髪入れずにドアが乱暴に開いた。

 確実に妹の綾菜(あやな)だ。鬼畜攻めとオラオラヤンチャ系受けが好きなだけあってか、やたらとガサツで困ったものである。顔はかわいいのにな。


「兄ちゃん、また廊下に落とし物!」


 振り向いた直後、顔面めがけて飛んできた片っぽだけの靴下を、左手でぱしっと掴む。さっき二階のベランダから洗濯物を取り込んで、一階の自室に持ち帰る途中で零れたらしい。


「チッ、またキャッチしやがった」

 悔しそうに妹がつぶやく。

「動体視力と運動神経【だけ】には自信があるものでね」


 もし俺がドメワン王国の貴族にでも生まれていたなら、剣豪アルチュールの良い稽古相手になっていた……かもしれない。剣道やってたし。


 ……いや、盛ったな。これは自己評価がちょっと高すぎた。


「兄ちゃん、昨日はパンツ落としてたでしょ。なんでこうも、ポロポロポロポロ落とし物ばっかりするかなぁ……」

「アヤちゃんは俺と違ってキッチリしてるし、しっかり者だもんな」

「私はね、いつもボーっとしてる兄ちゃんの行く末がまことに心配なんだよ。一日も早くスパダリ攻めの彼氏作って、下にも置かない勢いでデロンデロンに愛されて、全部面倒見てもらいな」

「いやいやいや、アヤちゃん。俺、腐男子だけどソッチじゃねぇから。ていうか、なんで俺が受けなの? 前から言ってるよな? リアルで好きなのは〇物語の羽〇さんの乳だから。おっぱいだから」

 じとり、と妹が俺を睨む。

「兄ちゃん、いい加減にしな。羽〇さんはリアルじゃない」

「嘘だ! いるもん! 羽〇さんいるもん! あの乳の谷間に顔をうずめてクロールするまで俺は絶対に死ねねえ!」

「げーんーじーつを見ろ! 兄ちゃんには、(おす)っパイがお似合いなんだよ!」


 ……などと、日曜の夕食後にどこの兄妹でも交わしていそうな(?)会話のキャッチボールをしていた、その時だった。


 唐突に――パァーーーン! と凄まじいクラクションが響き渡る。

 アスファルトを削るタイヤの悲鳴が続き、その直後、猛烈なスピードで何かがこちらへ迫ってくるのがわかった。


 大型車だ。


 同時に俺の部屋の窓が人工的なヘッドライトとおぼしき光で隅々まで照らされていく。

 直後、轟音が家を揺らした。


 い、痛い……、痛い、痛い!!!!


 クラクションは鳴り止まない。


 なん……、だ、これ!?

 まさか、自宅にトラックが??

 狂うほどの耐えきれない痛みから脳を守るように意識が薄れていく。


「に、兄ちゃーーーーん!」

 瞼が落ちる寸前、驚愕と動揺を浮かべた妹、綾菜の顔が俺の瞳の中に飛び込んできた。

 ああ、アヤちゃんは無事だ。良かった──。


 そして、俺の意識は、完全に闇に溶けていった。





 蜘蛛の糸ほどの微かな光さえ差し込まない、漆黒の空間を、俺は歩いていた。

 いや、歩いている――という感覚だけがあって、足の裏には何の感触もない。まるで空中を踏んでいるみたいだ。ここに「道」なんて存在するのか?

 上下の感覚すら曖昧になっていく。


 ……ああ、やっぱり俺、死んじゃったんだな。


 そう思ったそのとき、ふと、誰かの肩と俺の肩が擦れ合った気がして、歩みを止め振り返ったが何も見えなかった。俺の進む方向と逆方向に向かっているのか?

 気になりつつも、再び歩を進めた、その瞬間――。


「……いさま……」まだ幼さの残る少女の涙声が聞こえて来た。「……にいさま」

「うっ……」

 別の誰かも泣いている。一人や二人じゃない。何人ものすすり泣きが、薄闇の中に響いている。

「……おにいさま……」

「……ううっ……」

「……おくさま、どうかこちらに……」

 声と嗚咽のする方へ、俺は導かれるように進んだ。――と、次の瞬間、目の前が、眩いほどの光に包まれた。


 ああ、まぶしい……。


「お、……おにいさま!」

「セレスタン!!」

「セレスさま!」

「ぼ、ぼっちゃま!」


 目を開けると、視界に飛び込んできたのは顔、顔、顔……!

 しかも、どれもこれも、まるで彫刻刀で彫ったような整った顔立ちの人々が、ぐるりと俺の周囲を取り囲んで上から覗き込んでいた。


 なんだ、これ……? ここ、病院じゃないよな?

 俺、ふっかふっかの上質なベッドに寝かされてるんですけど???


「奥様! ぼっちゃまが! ぼっちゃまが目を開けられました!」

 驚きと共に泣き崩れた顔で俺の顔を凝視していた高齢の男性が、バタバタと部屋の隅に置かれたソファーへと駆けていく。

 そのソファーには、無駄にスカートが膨らんだ布面積の多すぎる服を着た女性がハンカチを手にうつむきで横たわっていた。


「誰か、お医者さまを呼び戻せ! まだ間に合う、早くしろ! 馬車には乗っていないはずだ!!」


 お、低音でよく響く良い声だな。血○○線のク○ウスさんみたいだ。


「はい、旦那さま!」

 後方に居た何人かのメイド服を来た女性たちが一斉に蜘蛛の子を散らすように動いた。


 なるほど。こちらのク○ウスさんがここの当主なんだな。

 で……? ここはどこなんだ?


 さっきソファーに走っていった高齢男性に支えられながら、ふらふらと近づいて来た銀の巻髪の女性がベッドサイドに立って俺を見下ろす。三十代半ばぐらいだろうか?

 小さくなっても頭脳は……に出て来る黒の○織のベル〇ットを彷彿とさせる凄い美人だ。瞳は濡れ、ハンカチを握りしめている。


「セレス……」


 ……あれ? この人、というか、この一家、俺は全員知ってるぞ。っつーか、セレス、セレスタン……?


 セレスタン・ギレヌ・コルベール???

 コルベール公爵家の長男!!


 ――ちょっと待って!?


 俺はガバリと起き上がると、部屋中をぐるりと見回し、大理石のマントルピースの上に飾られた金彩の華やかな鏡に向かって走った。

「ど、どうしたんだ、セレスタン!」


 いや、ク○ウスさん――じゃなかった。シャルル・ギレヌ・コルベール公爵閣下、今は自分の顔を確認したいだけなんです!


「お、おにいさま?!」


 うん、君は確か……フォス! フォスティーヌだ。挿絵や表紙にもあまり出番はなかったけど、俺は端役の名前も全部覚えている。ヲタクを舐めんなよ。


「ぼっちゃま!」


 ってことは、あんたは……セバスチャン! 執事じゃねぇか!


「セ、セレス??」


 あなたはマーガレット・ギレヌ・コルベール公爵夫人!


 だとしたら、俺は……、まさか俺は?!


 足元がもつれて危うく前のめりになる。たたらを踏みつつ鏡の前に立ち、そこに映る姿を凝視した。

 驚きはあったが、その瞬間にはもう確信していた。


 やっぱり……。


 王立の寄宿制男子校ゼコールリッツ学院入学時の身長175センチ、これはアルチュールと同じ。卒業までに3センチほど伸びるのも同じだが、鍛え上げられた体つきはアルチュールのほうが一回りがっしりしている。

 俺のほうは同じ剣術仕込みでも、引き締まった細マッチョ寄りだ。


 肩より少し長めの銀色の髪は、ほんのわずかに毛先がだけが柔らかくクセづいている程度で、ゆるやかな巻き毛というよりは自然なウェーブに近い。澄んだ緑の瞳が印象的。

 見ているだけで足が震えるほどの整いすぎている顔立ち。

 もはや人類というより二次元の造形美。


 鏡に映っていたのは、紛れもなく――、

 BL小説『ドメーヌ・ル・ワンジェ王国の薔薇 金の君と黒の騎士』に出て来るキャラクターの一人、コルベール公爵家嫡男(ちゃくなん)


 セレスタン・ギレヌ・コルベール。


 キャラクター概要:ドメワン王国で王家に次ぐと言われる名家出身。ゼコールリッツ学院で、アルチュールの多肢にわたる才能と努力、そして実力を心の内では認めながらも、どうしても貴族階級の格差というものに捕らわれ、かなり刺々しい態度を取ってしまう。

 長年、『金の君』に想いを寄せている。

 また、周囲からは、髪の色や冷静で淡々とした振る舞いから『銀の(きみ)』と呼ばれる。


 ――そう、スパダリであるアルチュール、カッコ、()()、カッコ閉じるの文武のライバルであり、恋のライバルでもある当て馬ポジションのセレスタン……。


「俺が……?」


 もはやこれは『異世界転生』というものなのだろう。ヲタクは馴染むのが早い。爆速だ。

 右頬に手を当てると、鏡の中の冷ややかなイケメンも左右逆だが同じ動作をした。


 そうか……、なるほど。

 自室にトラックが突っ込んだ結果、最終巻を読めなくなった俺を憐れんだ神さまか仏さまかマリンボール先生が、ドメワンの世界へ転生させてくれたんだな!


 よし!


「フォス! 今日は何年何月何日で俺は今、何歳だ?!」

「えっ? お、『俺』? お、おにいさま??」


 あ、セレスタンの一人称は『僕』だったか……。まあ、今は細かいことにはこだわらない。


「いいから答えて!」

「こ、国紀二六〇〇年三月二十五日、風の曜日で、おにいさまは十八歳ですわ」


 この物語り内では、学校は四月スタート、日本と同じ。

 そして、国紀二六〇〇年、これはリシャールとアルチュールがドメーヌ・ル・ワンジェ王国の最高高等教育機関ゼコールリッツ学院の入学式で出会った年!


「…………っしゃあああああ!!」

 俺は、両手を高く突き上げて天を仰いだ。


 おお、神よ仏よマリンボール先生よ!!


 全世界の腐女子と腐男子の元気が、いま俺の元に集まって来る。気がする。……気のせいか。

 しかし、これから俺は当て馬キャラという超絶最高においしい立場で、『推しカプ』――黒の騎士×金の君の出会い、そして、あんなこんなや、更にそんなどんなを経て、二人が結ばれるところをリアルで見れるのかぁぁああああ!

 無理! しんどい!

 尊すぎる……、尊死ものだろこれ!


 ふと気づくと、体全体でXの人文字を作りながら感極まって悦に浸ってる俺を掘りの深い顔をした人たちがドン引きの表情でガン見していた。


「む……息子よ……」

「セレス……」

「おにい、さま……」


 なんか……、ごめん、コルベール公爵家のみなさん。


「ほっ、本当に、蘇生されている!?」


 ……ん?


 いつの間にか戻って来ていたメイドさんたちの真ん中に、一人、初老のイケオジが増えていて言った。

 なるほど。あの人がきっとお医者さまだな。


「まさか……、奇跡だ!」

 俺を見たイケオジが、ぽかんと口を開けたまま、膝から崩れ落ちるようにその場にへたり込む。


 え? なにが?





 あとで周囲の会話を繋ぎ合わせると、どうやら俺……、ではなくこの体の持ち主であるセレスタン・ギレヌ・コルベールくんは、昨日、城下町で開催されていた『フルール・ドゥ・ペーシェ()祭り』で、突風に飛ばされた屋台骨の下敷きになりかけた少年を間一髪で助け、石畳に頭を強く打って意識不明となり、優れた回復魔法が使える医師の治療をもってしても、ついさっき、一度は完全に息を引き取っていたらしい。


「わたくしがお祭りに行ってみたいなどとわがままを言わなければ、おにいさまがこんなことにならなかったのに。本当に申し訳ございません」

「いや、フォスは何も気にすることはないよ。悪いのは突風と、あの屋台骨だ」

 セレスタンは可愛い妹の些々(ささ)たる願いを叶えるため、少数の使用人を連れお忍びで町に降り、事故に合ったと――。

 うん。基本、好敵手アルチュール・ド・シルエットとさえ絡まなければ、良い奴なんだよな……こいつ。


 そういえば、原作にもこの日付のセレスタンに関するエピソードが出てきていたな。ただ、その時は、俺ことセレスが大切な式を前に、今回の事故ではなく、珍しく体調を崩して寝込んでいたという話で、入学式の日、リシャール殿下がわざわざ心配してお声をかけられ、既にカンストしていたセレスの殿下に対する大好き指数が限界を突破して上昇するという状況だった。


 もしかして、この世界は隅々に至るまで原作に忠実……ではないのか?


 ……まあ、悪改変は許せないが、この程度なら問題はないはず。目をつぶろう。

 多少の違いはあれど、俺はただのんびりと推しカプ二人の恋路をこの『銀の(きみ)』として、余すことなく味わえればそれでいい。それだけでいい――。





 そして、四月一日、風の曜日――早朝。


 深夜まで屋根を千の(ばち)で叩くように降っていた雨は、まるで嘘のようにすっかりやんでいた。

 空は青く澄みわたり、雲ひとつない快晴。


 窓を押し開けると、庭に点在するフルール・ドゥ・スリジエ()が一斉に花開いていた。昨日までは堅い蕾だったはずの枝が、いまや一面、退紅色(たいこうしょく)の霞に包まれている。

 息をのむような、幻想的な景色。


「まさか、こんなに一気に咲くなんて……」

 スリジエの木は、学院の正門から正面玄関に至るまでと、式が開催される中庭の四隅に植えられている。本日、これから起こるリシャール殿下とアルチュールの出会いという、伝説の『推しカプ』誕生イベントに、これ以上ない舞台装置だ。


 俺は隣室のバスルームに移動し、念入りの(みそぎ)を終えたあと、微力ながら風魔法が使える同年代の侍従(じじゅう)、ナタンに髪だけは乾かしてもらった。

 この世界の貴族は、本来なら、服の着脱も体を洗うのも全て複数の使用人に手伝ってもらうのが常習だが、現代社会で生きて来た俺に、それはちょっと無理な話しだ。


 今後、学院では全部自分のことは自分でやるんだから慣れておきたいと言って、色々と断っているせいか、使用人たちからは「頭を打たれたせいで、お人が変わられた?」と噂されている。そりゃそうだよな。一人称も『僕』から『俺』に変わったし。


 ――目覚めてから、丁度、一週間。


 セレスの記憶が頭の中によみがえり、既に彼に関する幼少期から今までの個人史(バックグラウンド)は履修済み。

 セレス本人は完璧主義だったから、使用人から見ると色々と大変だったことだろう。

 それでも嫌われていないのだから、あまりにも無理難題な仕事を押し付けたり、理不尽な要求はしない性格だったとうかがえる。


 基本、好敵手アルチュールとさえ絡まなければ、ほんとマジで良い奴じゃないか……。


 枕元の横の椅子に置いてあった制服を手に取って姿見の前で下着の上から身に付けていく。


 推しカプと同じ制服、推しカプと同じ制服、推しカプと同じ制服……。


 胸の奥から湧き上がる「ハァハァ」を、必死に喉元で押し殺した。侍従のナタンがすぐ隣にいるのだ。踏みとどまれ、落ち着け、俺。変な顔はするな……。


 なお、ナタンの名前を知ったのはこの世界に来てからで、それまでは原作の断片的な記憶にちらりとだけ登場していた存在だった。


「お似合いです、セレスさま……うっ」


 いや、なんでお前がハンカチで目頭押さえてんの? お母さん?

 ああ、そういえば俺……いや、セレスが祭りで子供を助けて頭を打った時、ナタンはすぐ目の前にいて、未熟な風魔法で屋台の骨組みが俺と子供に落ちないよう必死に支えていた。

 ちゃんと魔法を学んでいない現在の能力で、よくあれほど頑張れたものだ。火事場の馬鹿力といったところか。いや、本当に偉いよお前。

 そしてセレスが一瞬、心肺停止した時は、部屋の前の廊下で他の使用人たちと泣き崩れていたと聞いた。

 そりゃあ、今日という日を迎え、感極まるのも無理はない。

 なんだか……色々と心配かけてしまったな。


 俺の本来の家族もナタンと同じ気持ちを味わったんだろうか。そんなことを考えていたら、ふと、アヤちゃんの顔が頭に浮かんだ。と、同時に、俺を「にいちゃん」と呼ぶ声が頭の中に響く。


 ――目を覚まして、にいちゃん……。


 え?


 ほんの短い時間、右掌に人肌の温もりを感じたあと、それはゆっくりと消えた。

 どういうことだ……?


「どうされました?」

「い、いや……、何でもない」


 今のはなんだったんだろう……?


「さ、朝食のお時間ですよ、セレスさま」

 とはいえ、考えている暇はなさそうだな。

 ナタンに促され、二階の自室から一階に降りて食卓に着く。


 公爵邸から学院までの距離はさほどないとはいえ、今までのように家庭教師を呼んだり王立士官学校に自宅から通ったりするわけではないので、家族と一緒に食事をする機会は今後しばらく遠のいてしまう。

 少し寂しそうな顔をしている公爵家ご一家たちと何気ない会話を繋げながら団欒で過ごす。


 折角、推しカプの動向を見届けるチャンスを貰ったんだ。

 俺はセレスタン・ギレヌ・コルベールとして、ここで公爵家の人々に対して、ちゃんとやるべきことをし、この恩に報わなければならない。勿論、これから出会う学友や、他の登場人物たちに対しても――。


 この日、ゆったりとした朝の時間を楽しんでから、俺は門に用意されていた馬車に乗って皆に見送られながら公爵邸をあとにした。




 ──で?

 なんでナタンが同じ制服を着て、俺と馬車に乗ってるんだ??!!


 いや、これ、マジでマリンボール先生が創作されたドメワンの世界なの???!!!



お読みいただき、ありがとうございます。

(。-人-。) (* ᴗ ᴗ)⁾⁾

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