第十九話・第四節:世界の敵に相応しい者とは
エリシアが回復したことで、俺たちはダンジョンの探索を再開した。
崩れかけた回廊での休息は短いものだったが、それでもエリシアの顔色は幾分マシになったように見える。
「……もう大丈夫?」
「ええ。心配してくれるのね、珍しい」
俺は何も言わずに前を向く。
「今は戦力が必要なだけだ」
「ふふっ、そういうことにしておくわ」
軽く微笑むエリシアを横目に、俺は闇の刃を構える。
この先に、何が待ち構えているか——
そんなことは考えるまでもない。
そして、次の瞬間——
ドンッ!!
地響きのような音とともに、巨大な影が降ってきた。
「……またお前らか」
見上げれば、そこにいたのは異形のカボチャ頭。
それも、これまで見たどれよりも巨大な——まるで、腐った太陽のような怪物。
口からは粘ついた闇が滴り、目は赤黒く濁っていた。
「来るぞ!」
俺は即座に駆け出し、闇の刃を展開する。
カボチャ頭の巨体が振り下ろされる前に、その腕を——
「はぁっ!」
エリシアの光の投げナイフが飛ぶ。
それがカボチャの顔面に突き刺さると、僅かに動きが鈍った。
その隙を逃さず、俺は腕から生えた闇の刃を振るう。
カボチャ頭の腕が裂ける。
が、こいつはまだ倒れねえ。
どす黒い瘴気が、傷口から噴き出すように漏れ出し、再び巨体が持ち上がる——
——そして、気がつけば、その首は斬り落とされていた。
スパアッ!!
カボチャ頭の身体が、一拍遅れて崩れ落ちる。
「……今のは?」
振り返ると、闇の中から、黒髪赤目の女がゆっくりと姿を現す。
「……いつからそこにいた」
「さあ、最初から? それともあなたたちが気づいていなかっただけ?」
女は笑みを浮かべながら、俺の前に立った。
黒い蝙蝠の羽が揺れ、影に溶け込むような佇まい——
こいつは、まるでダンジョンそのものに溶け込んでいるかのようだった。
「……何が目的だ」
「ふふ、そう警戒しないで。今は少しだけ、あなたに教えてあげようと思って」
女は目を細め、妖艶に微笑む。
「あなたの記憶、消されたものがあるでしょう?」
「……!」
俺は無意識に仮面に触れる。
その仕草を見て、女は満足そうに頷いた。
「オルド・ノクスが、あなたの記憶を消したの。研究施設や、オリジン・コアに関する記憶をね」
オルド・ノクスが——俺の記憶を?
「なぜそんなことを」
「それは簡単なことよ」
女の赤い瞳が、深い奈落のように俺を見つめる。
「自分を”普通の人間”だと思い込んでいる者の方が、“世界の敵”に相応しい進化を遂げると判断したから」
その言葉に、俺は思わず息を呑む。
「……進化?」
「ええ。あなたがオルド・ノクスに奪われた時、彼らは決めたの。あなたが”世界の敵”として進化するために、過去を捨てさせる必要があると」
「……ふざけんな」
怒りが、喉の奥から込み上げる。
「だが、あなたは思い出した。少しずつ、少しずつ……ね」
女の視線が、俺の仮面へと向けられる。
「それが、その仮面を被るたびに、少しずつ記憶を取り戻した理由。あなたは”自分が何者だったのか”を思い出しつつある」
俺は仮面に手を触れた。
記憶が戻るたびに、何かが変わる感覚——それは、確かにあった。
俺は、何者だったのか。
「さて、話はここまで」
女はくるりと踵を返す。
「あなたが本当に何者だったのか、それはあなた自身が思い出せばいいわ」
「……」
俺が何かを言う前に、女は影へと溶けるように姿を消した。
まるで、最初から存在しなかったかのように——
「……蒼真?」
エリシアが心配そうに俺を見つめている。
「どうしたの? 今の話……」
「……いや、なんでもねえ」
俺は仮面から手を離し、闇の刃を握り直す。
進むしかねえ。
記憶が戻ろうが、何者であろうが、今はただ——
「行くぞ、エリシア」
「……ええ」
俺たちは再び、ダンジョンの闇へと踏み込んだ。