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橋の彼方  作者: 千里空
橋の彼方
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黒い潮

一樹

浅い眠りの中で何か気配を感じて目が覚めた。窓から差し込んできた光は月明かりか街の明かりかは判別できないが、そのおかげで視界は暗闇に塞がらずに済んだ。

美雪の姿は闇の中に薄く浮かび上がってきた。上半身が起きたまま、荒い呼吸を繰り返して、何とか平静を取り戻そうとしていた。目が少し虚ろで、冷や汗を沢山かいたようだ。

「大丈夫か?」

彼女の背中を摩り(さすり)ながら軽く聞いた。

美雪は軽く頷いただけ、何も答えなかった。しばらくして呼吸も落ち着きを取り戻した。

悪夢にうなされるのは子供の頃からよくあることだった。その頃、彼女は変な夢に取り憑かれて、よく僕の部屋に忍び込んで添い寝を要求した。その夢はとっくに終わったはずだが、彼女の悪夢は終わっていなかった。今度は何の脈絡もなく、悪夢は気まぐれに彼女を襲ってきた。

彼女は沢山の死を夢に見た。祖母の死、母の死、父親の死……死にゆく者達の姿を、彼女はただ立ち尽くして、静観していた。本当に経験したことと、夢にしか経験したことのない虚像が混ざり合って、彼女に混乱をもたらした。時に死者の喚き、罵りや助けを求める声を耳にしながら、黒い潮に飲み込まれていった夢も見た。

その黒い潮は“死”を意味すると彼女は言った。

父が消えて、ようやく幸せを手に入れたと思った矢先に、悪夢は再び彼女に取り憑かれた。そして悪夢の頻度が増えてゆくにつれ、彼女は日に日に消沈していった。心の病だと分かって、カウンセリングを受けることを提案したが、彼女にきっぱり却下された。

「カウンセリングというのは、カウンセラーと信頼関係を築かないと効果が薄いって。私が一樹以外の人間とそいう関係を築くわけがないでしょ」

「じゃあ、僕がカウンセラーを目指そうかな」

「いいよ。これはあくまで私の問題だよ。罪から逃れる罰として、私がしっかり受け止めないといけないものだから。一樹には自由に生きてほしい」

「自首する気はないか?」と喉まで出掛かって、その言葉を飲み込んだ。離れ離れになりたくないのがエゴからのもので、決して愛とは言えなかった。なんとなく彼女も同じ気持ちだということを察した。それを言っても決して首肯してくれないだろう。

「罪も罰も分かち合おうって言ったのに、どうして君ばかり罰を受けるのかな」

「それは私だけの問題だからだよ。一樹は十分罰を受けているんじゃない。こんな私に一生縛られるなんて、可哀想に」

「何を言っている?願ってもないことだ。余計な事を考えないで。ほら、着替えてこい」

汗でべっとりになった寝間着はいつの間にか冷たくなって、彼女の背中をそっと叩いて促した。

弱ってゆく彼女を見て、どうしようもない気持ちで切なくなった。僕じゃ彼女を救えないだろうか。彼女と共犯者になった時点から、僕らは毒入りの蜜を舐めながら地獄の底へとゆっくりと落ちてゆく運命だったんだろうか。

地獄への道のりは彼女と一緒なら僕は甘んじて受け入れよう。しかし、何より怖いのは、彼女が僕を置いて先にいくことだ。彼女の心の中に僕ですら踏み入ることを許さない聖域があり、それが彼女をどんどんこの世から遠ざける気がしてならない。

大層面白くない人生の中で、細やか幸せを求めていいじゃないか。何故それすら僕らは許されていないだろうか。

僕らが生まれてから罪を背負っているというのなら、人生のどこに救いがあるだろうか?己の罪を懺悔すれば救いは訪れるだろうか?それとも死することこそが唯一の救いであるのか?

「しわになっているよ。ここ」

先程の出来事が嘘のように、彼女はいつもの調子で指で僕の眉間につんつんした。着替えてきた美雪が別人になったように明るく笑った。

「少し気が紛れたか?」

僕は両腕を広げて、彼女を懐に迎えた。

「まだ少し。キスされたらよくなるかもしれない」

子供っぽく甘えてくれた彼女の要望に答えて、ゆっくり顔を近付けた。そして今まで何度もしてきたように、優しくキスした。

もし全てを忘れて、この瞬間を切り取り、永遠にしてしまえば……

そんな現実味のない考えが頭の中を過ぎった。

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