終わらなき物語
K
まだ何も生えず、黒い土しかない花畑の中で、勤勉に種を撒くユキがいた。その後ろ姿を、花畑中心のテーブルの隣に座って、呑気に眺めていた。手伝いを申し出たものの、彼女に「私の楽しみを奪わないで」と言われ、畑から追い出された。それで紅茶とお菓子を堪能しながら閑人を勤めさせてもらった。
ここへ戻ってからずっとこの調子だった。暇を持て余して、彼女が畑仕事している間は目で彼女の姿を追うこと以外することはなかった。もちろんそれは嫌じゃなかったが、自分だけやることがないのがなかなか落ち着きがなかった。
ふと彼女の部屋の机の上に置いてあった原稿用紙のことを思い出した。彼女に文章を書く習慣がないらしいが、そんな物は誰かのために用意したのだろうか。考えまでもない。
今度は何かを書こう。
あの真実の図書室で俺は“自分”を取り戻した。自分の役目もはっきり理解しているつもりだ。彼女との暮らしが全てであり、その中で俺のために用意された物があるとすれば、きっとそれはここでやらなければならないことだ。
書く内容は決まっている。俺があの真実の図書室で読んだもう一つの世界の物語だ。ぱくりではないかという疑惑があってもおかしくないかもしれないが、それは俺の真実で、俺のための物語だったから、ぱくりのうちに入らいないと思う。そもそもあそこの本は一種の媒介にしかず、本人の真実を示した後意味がなくなる。だから空白になった。そしてこれからやることは、自分の言葉でもう一つの世界について語ること。
何のために?
あの真実の本は向こうの“僕”の記憶を取り戻すための媒介としたら、僕が書こうとした物語はもっと根本的に、二つの世界を繋ぐ架け橋となるはずだ。その橋の彼方に、何があるだろう?
そもそも、“僕”はどうやってここへ来んだろう?この世界の始まりは向こうの終わりからする物として、この世界の終わりの先に何かあるだろう?
因果の混乱……
思考が迷宮入りした。
この世界は独立した存在だ。向こうの世界と繋ぐために「橋」が必要で、それは予め用意した物語であり、片道切符でもある。向こうの“僕”は手順を踏んでここへやってきた。ならば僕が書こうとした物語もまた、向こうの世界への片道切符であろう。
問題なのは、この記憶は過去からの物なのか、それとも未来の出来事なのか?
いや、そんな生温い物ではないはずだ。二つの物語。片道切符が二枚。
その意味を理解した瞬間、言い様のない切なさが胸を襲った。
それは愚かな選択だった。やはり僕罪深い人間であった。
何千何万回繰り返しても、やはり僕は同じ選択をした。誰かの幸せを願って、荒唐無稽な世界を作り、その人の姿を求めてこの世界に飛び込んだ。それでも満足できずに、終わりを迎えてなおこの先その人と共にいることを願って、茨の道を選んだ。
その度に自分の愚かさを嘲笑った。嘲笑って、また同じ道を進む。やはり僕は僕のままだった。
ここはゴールであり、始まりでもあった。二つの世界はメビウスの輪の裏と表のように、延々と繋がっていた。
これはもはや呪いのようなものだ。それを知ってなおも罪を重ね続けてきたから、俺は忘却を許されていなかっただろう。
思考に耽る間、ユキの畑仕事は一旦終わり、満足した顔でこっちへ近付いてきた。
その笑顔を見て、思わず「幸せか」と聞きたかった。
しかし今はまだだ。まだその時じゃない。
これからの道はまだ長い。十分過ぎる長くて、果てしないように思われる。だから急ぐ必要はない。
「私の顔に何かついてる?そんなにじろじろ見て」
「いや。綺麗だなって」
「やだ。からかわないでよ」
はにかむ表情を見せて彼女は言った。
あどけない彼女を見て、負い目や悲しみや満足の気持ちがこんがらがって、何とも言えない心境になった。それを彼女に悟られていけない。その気持ちを心の奥底に隠して、俺は彼女に微笑みかけた。
「お茶飲むかい?」




