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橋の彼方  作者: 千里空
君の知らないところで世界は動く
53/74

☆誰も知らない物語②

???

終着駅のお知らせを聞いて、やむを得ず列車を降りた。あれからどれぐらい経ったかは分からないし、自分がどこにいるかのも分からなかった。列車の中で、永遠に止まらなければいいと彼女は思った。しかし列車は止まった。都合のいい妄想から現実に引き戻された。

駅の構内を出て、回りを見回した。繁華街を通る人がほとんどなく、街灯だけがずらりと遠くへ並んでいき、寂れた街の姿を浮き彫りにした。遠くにある建物の姿は夜の闇に紛れ込んで、見えるのは黒い輪郭だけだった。ぼちぼち明かりのついた部屋から蛍のような光が漏れて、そこにちゃんと人が暮らしていることを教えてくれた。しかしそういった明かりは、今の自分とは無縁なものだ。

街の様子から見て、今は深夜の真っ只中である。どこまでも明るいけど、静まり返った街が却って不気味に思って、立ち止まるうちに恐怖や不安が段々募ってきた。少女は地面を見詰めたまま歩きだした。とにかく明るい場所から離れて、闇の中で姿を隠したかった。

繁華街を出て、しばらく歩くと公園があった。少しほっとした気持ちで、公園に入った。長い間歩いた気がするし、足の裏もじんじんと痛み出した。心も体もそろそろ限界であった。早くベンチを見付けて、一休みしたいと思った。公園の中をしばらくうろうろして、ベンチを見付けたが、生憎そこに先客がいた。ホームレスらしき中年の人がそこで横になって、寝息をかいていた。小汚い男を見る時点、彼女は公園のベンチで休むのを諦めた。例えまだ占拠されていないベンチがあっても、ホームレスどもと同じ空間にいる限り、安心して休むはずがなかった。

公園のもっと奥へ行き、緩い丘が目の前に現れた。その丘に木々が生え茂って、林になっていた。闇に紛れ込む木々の姿は細くて高かった。何の木なのかは分からないし興味はなかった。林を通る道に辿って先へ進んだ。丘を登りきって、下り坂になって歩くのが少し楽になった気がする。

林を抜けて、海に面した堤防に出た。道路照明灯は疎らに配置しており、その弱々しい明かりは回りのごく一部しか照らしていなく、真っ黒なコンベアベルトに等間隔についた白いシミのようだった。海の方を見た。夜と同化しているみたいに、ぼやけた輪郭しか見えず、穏やかな波音が静かな寝息のようにその存在を知らせてくれた。

少女は海を眺めながら堤防に沿って歩いた。疲れが溜まった両足は歩く度悲鳴を上げ、痛みが足元から脳髄まで貫通したように感じた。それでも足は止めなかった。止まってしまったらもう二度と起き上がる気がしなくて、そのまま夜の闇に消えてしまいそうだった。

目標もなくただ歩いて、どこか安心して休める場所を望んでいた。そうやって歩いていくうちに、不思議と落ち着くようになってきた。恐怖や不安が薄れて、過ぎ去ったことがどうでもよくなってきた。

どれぐらい歩いたかは分からなかった。ただ長い時間が過ぎたように思えた。最初は視界の隅っこにいた島も、よく見れば近くまで辿り着いた。島は陸の近くに位置しているみたいだ。間に挟まれた瀬戸は大きな川に見えなくもない。近くで見ると、真っ黒に塗り潰された島の影は高く聳えていた。空や海の闇より一層暗くて、まるで深淵の入り口がぽっかりと開いているようだ。

そして、左手側に唐突に海面へ突き出す橋が現れた。それは未完成な橋、あるいは欠落した橋だった。目の前の巨大な影に惹かれたように、少女はその橋へ進んだ。少し歩いたところで道は途絶えた。彼女と島の間に、当たり前のように瀬戸が横たわっていた。それは越えられない境界線のようだった。

その時、少女の体は限界を迎えた。戻る気力がなく、ただ欠落した橋の果てに座り、向こうの島の影を見詰めていた。

座った途端、溜まっていた疲れは眠気と化してじんわりと体中に浸透していった。知らない間に、彼女の意識は闇の中へ落ちた。

肌寒さを感じて目が覚めた時、夜の気配はすっかり消えた。色褪せのフィルムのように、回りは薄暗くて、空を見れば灰色かかった雲が空を覆い尽していることに気付いた。

これからはどうしよう。少女は茫然と考えた。

まず泊まる場所を確保しないと。しかし持ち金は三畳の部屋すら借りられるはずがない。ならば住み込みの仕事を探すべきか。それもすぐに否定された。現実はそれほど甘くない。まだ中学生である彼女を理由も聞かずに雇ってくれるはずがないし、家出の理由とか色々聞かれて警察に送られるのが関の山だろう。それともホームレスらしく公園でテントを張るか?それを考えるだけで、鳥肌が立つ程気持ちが悪かったので没にした。

だったら自分はどうしたらいいでしょう。目的もなくただ歩き回って、野宿するわけにはいかない。父親が死んでいることがばれたら、犯人が自分であることはすぐに割り出されるだろう。警察に見付けられ、逮捕されるかな?もし父親が一命を取り留めた場合、またあの人の元へ送り返されるのか?それを想像するだけでぞっとした。

どの道、未来は真っ黒だった。

いっそのこと、ここで死ねばいい。

目の前は海である。一思いに飛び込めば、幾ら後悔しても、泳げない自分は抗う術がなく、溺死してしまうだろう。必要なのは前へ一歩踏む出す勇気、後な成り行きに任せて、死という安寧を手に入れるだろう。

欠落した橋の果てから立ち上がって、俯いて下方の水面を凝視した。体は緊張で微かに震えている。心にまだ幾分迷いが残っているようだ。

「そこで何をしている?!馬鹿なことはやめなさい!」

後ろから男の怒鳴り声が聞こえた。

びっくりして、振り返って見た。スーツを着ていた男は小走りでこっちへ向かっている。

男は少女に近付くなり、勢いよく彼女の腕を掴んだ。欠落した橋の縁から離れるように側に引き寄せた。

「自殺なんてばかなことを考えていないだろうな」

図星を言われて、男の責める視線に耐えなくて、少女は黙って目を逸らした。

「なんてばかなことを。親から授かった大切な命を粗末にしちゃいけないよ」

“親”という言葉を聞いて、思わず冷笑した。

「親なんて、ないよりマシだ」

心が冷え切ったその一言に一瞬訝しんだ男であったが、少女の悩みの根源がそこにあるのをすぐに気付いた。

「家出したのか?」

少し和らいた口調で彼は質問した。

少女は無言で頷いた。

「頼れる親戚とかは?」

少女は無言で頭を振った。

男は顎に手を当ててしばし考えた。

「私のマンションに来ないか?時々泊まりに行くけど、しばらく借してやってもいい」

少女は疑い目付きで男を見た。どういう意図かを推し量っていた。

それを見て男は苦笑いした。

「余計なお世話だったみたいだね。なかったことにしよう」

「行くよ」

その一言の後に継ぐ言葉はなかった。

その男が何を企んでいても、少なくとも好意を見せてくれた。身寄りもなく流浪することより危険が少ないだろう。それから少女は男の後ろを黙々と歩き、遠くない場所に止めてあった車に乗った。

車は堤防沿いに走り出し、少女は海を眺めながら男に話しかけた。

「どうしてこんな場所に?会社へ行かないの?」

男は前を集中しながら、気まずく笑った。

「昨日は大学時代の友達と飲んでね。二人とも酔い潰れたから近くのホテルに泊まった。起きて家に帰るつもりだけど、気まぐれにドライブでもしようと思って、そこで君を見かけたわけだ」

「嘘だね。アルコールの匂いがしない」

酒を飲んだ人が発するアルコールの匂いが嫌という程嗅がされたから、拙い嘘は彼女にすぐに見抜かれた。

男は苦い笑いした。

「そういうことにしておくと助かる」

「そう」

それ以上深入りする気はなかった。彼女は黙ったまま外の風景を眺めることにした。

「君はこれからどうするつもりだい?警察に助けてもらうか?」

「やめて。そうするつもりなら今すぐ飛び降りるよ」

「わかった、わかった。馬鹿なことはやめなさい」

堤防を走り抜けて、曲がりくねた道を幾つ通って市街地に入った。その間二人は何も喋らず、思い思いに考え事していた。

「ね、どうして見ず知らずの私を助けたの?」

長い間の考えの末、少女は一番素朴な質問をした。

「放っておけないさ。仮にでも私はある学園の理事長。教育者の立場で、かわいい生徒と同い年の子が行き詰っているところを見て、助けたいのが当然だろ」

「それだけ?」

「あとは、そうね。これは下心だが、君は美人であるからね。美人を助けるのが男の夢だよ」

「そう」

冗談風に言う男の言葉は彼女の心にあまり響かない。冷たい返事が精一杯だった。

「ね、取引しないか?」

交差点に差し掛かって、ちょうど赤信号になって、車は一旦止めた。

「取引?」

「そう。約束してくれれば、君の過去は不問にする。新しい身分証明書も作りましょう。その手のコネはある。学校も通わせる。どうだ?」

「条件は?」

「私の愛人になること」

少女は男を見直すように凝視した。彼は至って平静な顔だった。どういう気持ちでそれを言ったのか分からなかった。

男の言っていることはつまり自分の体を売ることであるだろう。何故かそれほど抵抗はなかった。父親に犯されるや路頭に迷って何処の馬の骨も分からない男に犯されるよりはましだった。せめて選ぶ権利はあると思った。この男から逃げたいなら今すぐ車のドアを開けて降りればいい。

「いいよ。でももう一つ条件がある」

「言って御覧。私のできる範囲なら満足しよう」

「私、絵画を学びたい」

「それならお安いご用だ。ちょうど美大の知り合いがある。そのうちに話を付けよう」

かくして、思いも寄らない出会いに、彼女新たな道へ進んだ。

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