お茶会
K
「あっ、ちょっと待って」
一束の向日葵を抱えながら、茂みから抜け出して、彼女はその一言を言い残して小屋へ戻った。
彼女と目が合った瞬間、頭が真っ白になって、しばらく何も考えられなくなった。妙な反応に自分も訳がわからなかった。
折り返して来る彼女はプチケーキを乗せた皿を持ってきた。紅茶を入れ直して、湯気の立った紅茶を俺の前に置いた。畑の真ん中にお茶会をすることになった。
回りはどこを見ても向日葵、しかも花弁は一様に畑の中心に面している。まるでここが世界の中心であると物語っているように思えた。一面の金色と緑がスポットライトをこちらに当てるように、御伽噺の場面に出くわしたかと思った。
戻って来た彼女はアームカバーを外し、先程少々乱れた前髪や鬢を整ってきた。嬉しそうな笑みを浮かびながら自己紹介した。
彼女の名はユキだそうだ。俺も自分の名前を教えた。
「K?何だか変な名前だね」
案の定名前で笑われた。くすくす笑う顔が向日葵のように眩しかった。
「皆そう言うよ。名前を付けてくれた奴のせいでね」
「もっとましな名前に変えると思わなかった?」
「名前なんて所詮記号でしかいないし、拘りはないよ」
「ならあなたにとって、拘るべきことは何?」
彼女は真っ直ぐにこちらを見て、その眼差しに期待と好奇心が溢れている。
「それは、まだ内緒」
確かな答えはない。ぼんやりと感じてはいるが、それを言葉にする程はっきりしていない。
「ええ?」
期待を裏切られたようにがっかりする表情を見せた。
「その話はともかく、ここはどういう場所だろう?」
「ここ?ここはここ以外の何ものでもないよ。花畑と言ってもしいし、霧境と言ってもいいよ」
どうやら言葉の行き違いがあるようだ。
「聞き方が悪かった。言い方を変えるわ。ここはこの世界のどの辺りにあるのか、分かるか」
ユキ戸惑いそうに首を傾げた。
説明不足と気付き、俺は話を続けた。
「ここへ来る前に、俺は出口を探して川でボートを漕いでいた。その途中で暗闇に落ちた。目が覚めるとここに居たわけだ。この辺りは川とかあるのか?」
ユキは軽く頭を振った。
「あなたを見付ける時はうちの前に倒れていた。ボートは見たことないけど」
「おかしいな」
川とここは連続していない空間とでも?だとしたらあの暗闇は両者を結ぶトンネルとでも言うのか?馬鹿げた発想である。しかしこの世界で経験した事を振り返ると、常識外れの一つや二つ、今更驚く事もない気がする。
ならばここへ来る意味は何だったんだろう。出口を求めた自分が辿り着けた場所が見当違いだと?
その時、ユキは差し指で俺の眉間のしわを突き、考えに耽る俺を現実に引き戻した。
「しわ、できているよ」
面白い顔をして、何度かつんつんした。
気楽そうにしていた彼女に影響されたか、無駄な考えをやめた。
何もかも闇の中に、文字通りになった気がする。意味とか考えるのをやめた。目の前にいる彼女とこの不思議な花畑をただ現実として受け入れることにした。
「ここは君一人しかいないのか?」
「あなたが来るまでに、ね」
「こんな広い畑で一人で管理しているの?大したもんだな」
「それほどでもないよ。私は種を蒔いただけ。後は花達が勝手に育って、咲くようになった。やることは精々雑草を毟り取ったり、土をひっくり返したり。花が咲いたら適当に摘んで部屋に飾るの」
彼女の部屋を思い出した。花の香りがするのはそのせいか。さっき彼女が持ち帰った向日葵を部屋のどこかに飾っているとすれば、あの部屋の雰囲気も幾らか明るくなるだろう。
「こんな生活は、君にとっての幸せだったのか?」
今まで出会った人達に一通り聞いてきた質問を彼女にも聞いた。彼女はその人達と似た答えをくれるだろうか。それとも俺と同じように、答えが分からないまま時間を無駄にしてきただろうか。期待と不安を半々に、返事を待っていた。
「幸せ?」
思いも寄らない言葉であるとでも言うように、彼女は首を傾げた。
「花は好きじゃないのか?」
「好きだよ。趣味で花畑の世話をやっているもの。他に絵を描いたりもするが、楽しく感じることもある。しかしそれだけじゃ物足りない気がする。大切の何かを欠けている気がする」
意外な話で俄然興味が湧いてきた。
「実を言うと、俺もそうなんだ。大切の何かを欠けている。他の奴らが幸せそうに暮らしているところを見て羨ましく思ってね。それを見付けるために旅に出た。俺の場合、その大切の何かすらはっきりしないから、随分迷っていた。参考までに、君にとっての、大切な物とは何か、聞かせてくれるか?」
ユキは残念そうに頭を振った。
「私も分からないわ。ただ急ぐことでもないと思って、ゆっくりした日々を送って待っていたの。花畑の世話をしたり絵を描いたりして、そのうち自ずと答えがやってくるんじゃないかなと思って」
彼女はゆったりした笑顔でそれを言った。その笑顔に迷いなどない。
「それは羨ましい。俺はじっとしていられなかった。ここでの時間を無駄に浪費して、何も分からないまま終わるなんて考えると、落ち着いてはいられなかった 」
「時間って言うと、あなたの時間は動き出したか?」
懐中時計を取り出して確かめる。依然として、針は6の数字からやや右に傾いただけだった。それを彼女に見せた。
「少しだけ動いたかも」
それを見て不思議そうな表情をした彼女が、自分のを見せてくれた。
「私の時間なんか、20分に止まったままだよ。ここへ来て随分時間が経った気もするが、何故か針はびくともしなかった。多分だけど、大切な何かを手に入れるまで、時間は動かないかな、って」
この世界の時間の物差しは懐中時計が示す数字しかいない。彼女は言っていることは本当であれば、人はそれぞれ時間の流れは違うし、大切な物を見付けられなければ永遠にここから出られないことだって有り得る。
こんな訳の分からない世界に永遠に閉じ込められる。想像するだけでぞっとした。
「またしわができているよ」
彼女はまた俺の眉間につんつんした。
「心配しなくても、いつか見付かるよ。もう少し肩の力を抜いてみない?」
そう言いながら無邪気な笑顔を見せてくれた。その笑顔に影響されただろうか、彼女の言葉を信じてみようと思った。




