カイト
K
目の前に一人の少年が立っていた。ベージュのコートにホワイトのセーター、紺色のズボン、幼げな顔や発達してない体から推測すると、およそ十歳くらいの子供だろう。
暫くの間、二人は一言もなく、舐めるようにお互いを見ていた。少年は好奇心に満ちた眼差しでを俺を見て、さながら新大陸を発見したように興奮気味な笑顔をしていた。そんな彼に対し、俺は戸惑わずにはいられなかった。
「俺はカイト、君は?」
少年が朗らかに話しかけてきた。
「分からない」
「そっか、名前くらい覚えていると思うが、君は真っ白の方か……」
少年はそう言いながら俯き、何かを考えているような素振りをして、暫くしたら急に頭を上げてやや高いトーンで宣言した。
「Kにしよう。これから君の名前はKなんだ。」
「ケー……」
思わず鸚鵡返しした。変に思わなくもないが、何度繰り返して呼んでみると、それほど嫌じゃない。誰かに名前を問われる時に名無しと名乗るよりはましだと思い、取り分け彼が付けてくれた名前に異論がなかった。
「で、カイト、ここはどんな場所なんだ?」
「げっ、いきなりそれか……」
しょうがないと言わんばかりにカイトは苦笑いを浮かべて、そして続けた。
「その質問について、俺は分からないとしか答えられない。たぶんここにいる皆もそうだ。この世界は一体何なんだってことについて、推論しかないから確かな答えは存在しないと思う」
「そうか……」
「まぁ、そんなにがっかりしなくていい。ちょっと変わった場所ではあるが、危ないことは起こりゃしない。ここの生活に慣れればかなり居心地よい場所になるから、そんなことを考えなくていい」
「そうは言うけど、気になるんだ。俺にはそういう義務があるような気がする」
そうとは思わないね、と言いたげな顔でカイトは肩をすくめた。
「もうちょっとしたらそう思わないさ。さ、行こう。宿に連れていくから」
そう言ってからカイトは大通りに向かって歩き出した。
彼の姿を見失わないように俺は彼の後を追った。数歩歩き出して、振り返ってみたら、先程の歩道はもう見えなくなった。
しばらく歩いたら、ようやく建物らしき影が見えるようになった。建物自体は霧の中に姿を隠していたが、たまに尖った屋根が空中に浮かんでいたように突然現れ、そこに建物があるという事実を教えてくれた。屋根から見ればこれらの建物はかなり高いと思う。もう少し歩いていたらぼんやりと建物の輪郭が見えてきた。
足を止めて街を見渡す。ぼやけた建物の影がずらりと並んで遠くまで伸びていき、その果てに一際広い屋敷がどっしりと構えていて、まるで自分が特別であると宣言しているように、その屋敷は明らかに他の建物の配置と違って、すごく目立っていた。
言わずともここは街である。が、建物の高い影以外の物の気配はないし、回りは不気味なほど静まり返っていた。
「人が住んでいるのか、ここ?」
そう問わずにはいられなかった。
「もちろん。まぁ、みんなはそれぞれの居場所があり、やることもあるし、街にぶらぶらしている人はあんまりいないから、そう思わせるのも無理もないさ」
「それでも静か過ぎるんだよ」
「それがここの特色だよ。霧によって隔てられるように全ての音は遠くまで届かない。それで近くの物音しか聞こえないんだ。まぁ、それはそれで、邪魔は入らないでしょうね」
「寂しく思わないのか?」
記憶がないとは言え、世界は沢山の音があって、色々な音が飛び交っていたような気がした。
「いつれ君も慣れるようになるよ。今は戸惑いするかもしれないが、馴染んだらそんな細かいことに一々気にしないと思う」
カイトは歩きながら慣れることがいかに大事なのかを説明してくれた。
自分はそれに納得していないが、まだ何も分からないくせにそう決め込むのはよくないと思って、あえて何も言わなかった。
「ついた」
目の前に聳えているのはねずみ色の煉瓦造りの建物で、とても古いように見えなくもないが、あの川辺の欄干と同様、よく手入れされているようで、独特な雰囲気があった。まるでお洒落な老紳士のようだった。壁の真ん中には三メートルほど高さの門がある。チャコールグレーの門は木製でとても重そうに見えた。その門は固く閉めていたわけではなく、片方だけ開いていた。建物の中を覗いてみたが、中は暗くて近くの床しか見えなかった。
「さぁ、入ろう」
カイトの後ろについて中に入った。
廊下はとても暗くて、ドーム型の天井に暗闇が溜まっていて何も見えなかった。湿っぽい風が壁から滲んできたように涼しく肌を撫で、涼しさが血液の中にそっと溶け込み、心臓まで運ばれていき、ざわめく心を鎮静してくれた。斜め上の壁には何メートルごとに蝋燭台が置いてあり、その上にまだ灯ったことのない蝋燭は置きっ放しになっていた。
廊下の両側にある部屋の見た目は違いなどなく、白いペンキを塗った木製のドアはしっかり締まっていた。突き当たりにかなり大きな窓があり、それは外側向きに開いていて、差し込んできた微かな光が近くの床を白く透明な色に染めた。その右手に二階へ通じる階段があった。
右手の階段から上へのぼった。二階の部屋の配置は一階とは逆だった。俺の部屋は階段のすぐ隣だった。
鍵はかけてないようで、ドアノブを軽く回しただけでドアがあっけなく開けた。
「今からここは君の部屋だ」
案内され、中へ入って、部屋を見回した。結構広い部屋だった。裏側には大きなベッドがあり、ベッドの右側に高さ2メートル、幅1.5メートルほどのタンスが壁に凭れていた。左側、少し離れたところに簡素な机があって、手前に何も置いていなかった本棚があった。机の反対側は普通の窓で、それを開けてみたが、案の定、目に映る物は白い一面の霧や霞んだ建物の影だけだった。
「どうだい、気に入った?」
「素質な部屋だね、かなりいい感じ」
俺の返事に満足したか、カイトは頷いて、机の上に置いていた鍵を取って俺に渡した。
「この部屋の鍵だ。今この建物には君一人しか住んでいないから、他の部屋を自由に使っていいよ」
「本当?」
こんな広いところに俺一人しか住んでいないなんて、ちょっとびっくりした。
「ここではよくあることさ。人より建物の方が多いから、最初の居住者はその建物の主になるんだ。だからこの建物はもう君の物だ」
「気前いいね」
「ここでは大した価値のない物だよ」
「そうなのか?よくわからないな」
「しばらく休んでおいて。後でまた来るから」
そう言い残して、カイトは去っていった。
聞きたいことはまだ沢山あるが、何も急ぐことはない。ここでは時間は持て余すほどあるようだから。
俺は余計な考えを捨て、歩き回った足を労うためにベッドに潜り込んだ。そしてそっと目を瞑った。




