閑話:約束は守られた。
如月くんの閑話です。
思い出は美しいかもしれない。悲しいかもしれない。
確かなことは、その思い出というものが、確かにそこに……心に、残っているということだけ。
リアル時間で午後3時、昼寝を終えた俺、ことキャラクター名「如月」がアナトラに再接続したとき、一緒にサンガまで馬車に乗ってきた他の3人は全員ログアウト中だった。その事実に少し落胆を覚えつつも、仕方ないか、と切り替える。
待ち人でもある幼馴染の睦月は、「金が貯まらない!」とかいいつつまだイチヤを彷徨っている。まああの男のことだ、どうせ買い食いのし過ぎか、無駄に派手なロマン武器を求めているのか。拳士なら派手な防具だろうか。どのみちサンガにたどり着くまではまだ時間がかかるだろうな、と判断する。
あいつと一緒に行動すると本当に疲れるから、たまにはこうして一人行動を楽しんでみたわけだが、正直もうソロでもいいかなとすら思える。……いや、睦月を見捨てないけど。でも一人って楽だな、本当に。
しかし一人だと時間を持て余してしまうことも多くて、そこはやっぱり複数人いたほうが良い点だ。やろうと思えば雑談だけで数時間潰せるし。
せめて、ナツさんかイオさんがいたらなあ。
と考えてから、首を振る。あの2人とは大分仲良くなれた気がするけど、一緒にいると調子が狂うというか。別のゲームに巻き込まれている気配がある。ナツさんが事ある事に送ってくるフレンドメッセージを読むと、イオさんにまで特殊スキルが発現したとか、なんなんだあの2人。幸運とかそういう次元の問題なんだろうか。
若干遠い目になりつつその特殊スキルの詳細を見たけど、流石にこれは流行らないな、と判断した。
そもそもパーティーがメンバーを変えずにずっと存続する事自体が難しい。
リアルでよほど仲が良くない限り、ゲーム内の人間関係なんてすぐに崩壊するようなものでしかない。他人とずっと一緒に行動するのは、価値観が違うと難しいものだ。でも、あの2人ならこの先の発展スキルも出すんだろうなあ、という妙な確信があった。
気の合う相手というのは、結構、得難いものだ。巡り合うのも、維持するのも。
「如月」
ふと、呼びかけられて顔を上げると、ギルドの待合室に見知った顔が手を振っていた。
「あれ、ジンガさん」
つい先日、手帳を渡したときのことが頭をよぎった。あの時、この人が感じていたのは悲しみだったのだろうか、それとも他のなにかだったのだろうか。ダークな世界観を売りにしていたブレファンをプレイしていたときよりも、アナトラをプレイしているときのほうが色々と考えさせられる気がするな。
出会いと別れって、いつの時代も普遍のテーマなんだと思わされる。
「こんにちは。どうしたんですか?」
「いや、如月に伝えたいことがあったんだ。ナツとイオは一緒じゃないんだな」
「あの2人は休憩中ですよ」
「そうか。じゃ、如月から伝えておいてくれないか」
クエストの話かな、と理解した。
あのクエストは俺が受けたものだから、ナツさんたちはあくまで手伝いであって、メインの受注者じゃない。だったら何か追加のイベントがある場合、俺に起こるのが自然だろう。
だけどこの話は、一人で聞くのが少ししんどい。
実のところ、悲劇というものがあんまり好きじゃない。
俺は物語はハッピーエンドがいいと思うし、映画はコメディが見たい方だし、ドラマのハラハラするような展開は見ていて疲れてしまい、途中で視聴をやめてしまうところがある。特に人情物とか感動系とか、そういうのがだめだ。
物語とかゲームとか映画とか。そういう現実ではないものでは、誰もが幸せでいてくれてもいいのにな。悲劇がイコールでドラマチックであるとは限らないのだし。明らかに狙ってこっちを泣かせようとしてくる展開が、俺はどうしても好きになれない。白けてしまって、他の人達と同じ感覚で見続けられなかった。
絶望が希望とワンセットなのは、分かってるつもりけど。
その点アナトラは、そこでその人が生きているという感覚が強すぎて、逆についつい感情移入が捗ってしまう。
ドラマでこういう話を見たらきっと白けて「どうせ感動の押し売りをしてくるんだろう」と思ってしまうような展開だ。でも、VRゲームという性質上なのか、まるでジンガさんの身に起こった悲劇が、隣のお兄さんに起こったことのように感じてしまって、だめなのだ。
正直俺がここまで人情に厚い人間だとは、自分でも思っていなかった。
ジンガさんは、大きく息を吸って、吐いて、それから俺に向き直った。
「手帳、母さんにも見せたよ」
まず告げられたのは、そんな事だ。
俺は返事をするのもためらって、小さく頷く。
「ボロ泣きされてさ、俺もつられて大泣きして。でも、良かったって母さんは言ってた」
「良かった、ですか?」
「ああ。家族を偲ぶものなんて、多ければ多いほど良いって」
前向きだな、と思う。
この世界の人達は、みんな、そんな感じだ。自分だったらここまで前を向けるだろうかと考えると、ちょっと難しい。親しい人の死なんて経験したことがないから、自分がどんなふうに感じるのかも想像しにくかった。
でも、良かったと思ってくれるなら、俺も届けて良かった。
「これ」
ジンガさんは、手帳を差し出す。その最後の1ページを。
「これを、見つけて」
走り書きのメモのような文字列だ。けれど不思議と、その文字を、美しいと思えた。
親愛なる家族へ。ただいま。行ってきます。魂の流れ着く先で、また会おう。
「……帰ってきたんだ、って」
静かに、ジンガさんが言う。
その声にどれほどの感情が込められているのかは、わからないけど。
「俺達はきっと、ずっと、その言葉を待っていたんだ。ただいまって、そう言ってあいつが帰ってくるのを待っていたんだ。だから、ありがとな。見つけてもらえて、本当に良かった。俺は、ようやっとあいつに、お帰りを言えたよ」
泣きそうな顔で笑ったジンガさんの表情から、何かを読み取るには俺はまだ子供なんだろう。大きな損失も痛みも経験したことのない、甘やかされて育ったただの高校生には、ちょっと難解過ぎる。
悲しい話とか、全然好きじゃない。
その後の希望が大きくなけりゃ、やってられないだろう。
でもきっと、ジンガさんはその文字列を見て、大きな希望を感じたんだろうなと思った。だからわざわざ、俺のところまで報告をしに来てくれたんだ。
「……そうですか。じゃあ、サザルさんは約束を守ったんですね」
良かったですねというのも違う気がして。
おめでとうというのはもっと違う気がして。
じゃあなんて言ったら良いのかわからなくて、考えた末に出てきた言葉がそれだった。戻って来ると約束して戦場へ向かったその人が、運命の日に何を思っていたのか、やっぱり俺には全然わからない。
でも、サザルさんだって、戻りたかったに決まっている。絶対に戻ると決めていたはずだ。だからこのメッセージを残したんだろう。戻りたくて戻りたくて残した言葉が、ジンガさんに「お帰り」を言わせたのだとしたら、そんなのはもう、サザルさんの勝ちだ。
「そうだなあ」
丁寧に手帳をしまいながら、ジンガさんは言った。
「約束は守られた。だから俺はまた、サザルは俺達に嘘をつかないって、信じることが出来るよ」
「新しい約束もありますしね」
「うん。あいつ、運動全然だめだったから、そんなに遠くまで泳げないし。きっとすぐ見つけられると思うんだ」
ジンガさんは笑う。
その笑顔を見て、なんだか少し泣きたくなって、今日寝る前にはちゃんと家族にお休みを言おう、と思った。朝起きたら、おはよう。家を出るときは、行ってきます。戻ってきたら、ただいま。最近面倒くさく思って省略していたそれらの言葉を、ちゃんと言おう。
だっていつまで言えるか、わからない。
「会えたら、何を言いたいですか?」
問いかけに、ジンガさんは小さく息を吐いた。
「なんだろうなあ。そういうの、結構考えてたはずなんだけど、一番言いたかった言葉が言えちゃったから、今は何にも浮かんでこなくて」
「ああ、確かに」
「まあ、あいつに会えるのはまだ先だろうから。これから考えるよ」
穏やかなジンガさんの横顔が、きっと今、しっかりと未来を見ている。サザルさんがそう願ったように、先のことを考えている。
「ずっと、考え続ける。そしてあいつが待たせすぎだって文句いうくらい、待たせてから会いに行こうと思うんだ。そのくらい時間をかけたらきっと、俺も何か良いことを言えると思うんだよ」
あいつばっかり、こんな綺麗な言葉で締めくくってさ、ずるいじゃん。
そんなふうにぼやくジンガさんは、やっぱり、隣のお兄さんみたいだな、と俺は思うのだった。
約束は、守られたから。
魂の流れ着く先で、ちゃんとその人は待っている。




