11日目:4等星のバル家
しん、と沈黙が満ちたのは、ほんの僅かな間だけだった。
「クアラ」
と名前をつぶやいたテアルさんがペンにもう一度視線を向けて、じっと見つめて、
「そうか」
と短く言葉を吐き出して、それから。
「そうか……そうか!」
テアルさんの瞳が輝いた。ハイデンさんに抱きついたときのように、興奮がその顔を染め上げていく。
「そうか、帰ってきたか!」
その声には一欠片の悲しみもなく、ほんの僅かな曇りもない。大切そうに握りしめたペンを胸に抱くようにして、テアルさんは勢いよく立ち上がった。
「ロワ! 宝物の目録を用意せよ! クアラが10年ぶりにバル家に帰還した。礼をせねばならん!」
大声でそう告げるテアルさんに、廊下で待機していたらしい執事さんがすっと部屋に入ってきて、差し出されたペンを恭しく受け取る。それから、「すぐにご用意します」と告げて下がった。
ちょっとあっけにとられていた僕たちへ向き直って、テアルさんは更に言葉を続ける。
「よく、届けてくれた。感謝する」
様々な想いのこもった言葉なのだと思う。形見のペンを、クアラさんは帰ってきた、と表現した。終戦後の10年の間、ずっとその帰りを待っていたのだろうなと、そう思わせるような言葉だ。
「あ、いえ、あの。俺もマロネから頼まれただけです。ナツさんとイオさんにも手伝ってもらってますし、そんな大げさなことでは……」
「何を言う! 我々ではマロネのいるところへ行くことすらできんのだ。トラベラーにしか出来ない、大事なことだろう」
「それは、」
「目と鼻の先だ。城壁を出てほんの少し。だというのにそのほんの少しが、この世界の住人にとってはとてつもなく遠い」
テアルさんがソファに座り直し、紅茶を一口飲む。息を吐き出して心を落ち着けようとしているのが分かった。
そりゃあ、もどかしくてたまらないだろう。ほんの少しの距離なのに、すぐそこに見えているのに、そこに到達できないというのは。マロネくんの周囲にたくさん立てられていた簡素なお墓は、あの場所から動けなかった人たちのものだ。彼らだって、ほんの少し先に正道があるのを分かっていて、それでも動けなかった。その道に辿り着こうとして歩き出した瞬間、道が見えなくなり全てを失うから。
怖い呪いだな、道迷いの呪いって。しみじみとそう思う。
「クアラはサンガを守ることに命を賭けた。4等星のバル家として、正しく、潔く、誇らしい生き方だった。生きて戻ってきてくれたら、嬉しかっただろう。親としてはもちろん、そうだったらと何度も願った。だが現実として、クアラの骨の一欠片すら我々には残されなかった」
テアルさんは力強く言う。責任のある立場の人が言う言葉だと思う。
「何も無かったところに、戻ってきた物がある。それだけで十分だ。お前たちには礼をしたい」
「ああ、それは如月に渡してくれ。俺とナツは付き合っただけだからな」
「えっ!? いや、イオさんたちのお陰で全員に届けられましたので、そういうわけにはいきません!」
如月くんは慌ててそう言ったけど、クエスト受注したのは如月くんだしなあ。後から気になって勝手に首突っ込んだ僕たちがお礼までもらうのはなんか違う感がある。イオくんが言いたいのもそういうことだろう。
テアルさんはそんな僕たちの様子を楽しげに見て、
「3人は砦の救出も行っている。礼はいらんと言われてはこちらの面子も立たん。何、もらって損はないだろう、もらえるものはもらっておけ」
とのこと。
……それもそっか! 今僕たち金欠だしなあ。
というわけで、テアルさんの執事さんから目録をもらってバル家を辞すことになった。
帰り際にちゃんと忘れずにお守りも渡したよ。実は忘れてそのまま帰りそうになってイオくんに肘で突かれたけど。わざとではないし思い出して渡せたので僕は許されます!
時間もまだ昼前だしってことで、一旦ギルドのフリースペースでもらったものを確認することにした。帰り道でイオくんがマロネくんの知り合いがいるらしいって話を如月くんにしてくれたので、サラムさんに会いに行くのは如月くんも一緒に行くってことで話がまとまる。とはいえ、これから如月くんも僕たちもそろそろお昼休憩で一旦落ちるから、またログインしてるときにって感じ。
クエストを半端に進めちゃって途中で時間が空くのはいやだからね!
フリースペースに座ると、ホームからテトがぴょいんっと出てきて僕の膝に乗った。おとなしくしてた! という強い主張……美味しいもの食べさせるって約束したからねー。
「何がいいー? ドーナツ? マドレーヌ? ご飯がよかったらイオくんが作った炊き込みご飯もあるよー」
あまいのー!
テトは本当に僕似だなー。インベントリから大量買いしているドーナツを出した。僕たちはテアルさんの家で紅茶とお茶菓子頂いたからね。テトにだけ小さくちぎりながら食べさせる。
「普通に何でも食べるんですか?」
不思議そうに問いかける如月くん。リアルで動物に人と同じ食べ物をあげてはいけません! って言われるから、最初は戸惑うよね。
「契約獣屋さんにちゃんと確認したけど、契約している場合は僕の魔力だけあれば十分で、食べ物は嗜好品の部類らしいよ」
「あ、なるほど。ピーちゃんは食べてなかったから驚きました」
「そう言えばそうだったね。テトは一応、卵のときに「僕たちといっしょに美味しいもの食べてくれる子!」って募集条件だしてるので福利厚生なのです」
「凄くナツさんらしいと思います」
めっちゃ頷かれた。ちょっと解せぬ。
「で、テアルからもらった目録なんだが」
そうそう、お礼としてもらった目録ね。2つ折りの厚紙で、開くと内側にもらえるものの一覧が載ってるんだけど、なんとこの一覧から1人2つももらえるのだ。
「何か良さそうなのあった?」
「武器類めっちゃ惹かれますけど、なんかアイテム系も充実してて目移りしますね」
「ナツに言われてたし、1つは盾もらうか」
「僕の安全のために盾はもらっといて」
この目録、手にした人が装備できる武器からランダムに10個、防具類をランダムに7個、装備用アクセサリをランダムに8個、その他の分類をランダムに5個、合計で30個の中から2つ選択する方式。僕だったら杖は間に合っているから武器はいらないし、同じカテゴリから2つ選んでも大丈夫。
いや、杖も色んな杖があるなーって一応目は通したけどね。やっぱり耐久値∞以上に魅力的なものは無いかなと思う。聖なるヤドリギの杖だとかオニキスの錫杖とかなんかすごそうな名前のものたくさんあるんだけど、物によっては装備制限があったりするし。ユーグを成長させるって決めたからには、浮気はせずに行きたい。まだ強化もしてないしね。
「注目してるのはその他カテゴリだ」
「その他?」
なんで? と思いつつ物品を確認。イオくんが注目していると言うからには何か良いものでも会ったのかなーと思ったわけなんだけど……。
「……ん? これ共通じゃないのかな」
「ランダムだから多分全員違うものが表示されてるはずだ」
「イオくん何があった?」
「安らぎ枕、破邪の聖水、退魔札、刀剣指南書、エンシェントエルフの秘薬」
「えっ」
秘薬! なんかすごそうな響き! どんな効果があるんだろう。
「秘薬は全ての怪我を治しHP・MP全回復状態で復活できるエリクサー的アイテムだ」
「あー、なるほど。消費アイテムならそれほど旨味ないか」
トラベラーには必須じゃないかも。僕は良いアイテムをどうでもいいところでサクッと使っちゃってラスボスはレベルで殴る派だから、エリクサー系にはあんまり惹かれないなあ。
「結構中身違いますね。俺のは、水中呼吸ポーション、スキル講座受講券、宝の地図、防風マント、ナルバン王国の歴史書、です」
「あー、それは悩ましい。宝の地図も気になるけど受講券は良いもの……!」
「そこ迷いますよねー。いや、俺は武器優先で選んでから……」
「イオくんは何にするの? 枕?」
「いや一番ねえわ」
枕大事じゃん、枕。一応全部の説明文を見せてもらったところ、枕はこれを使って眠ると睡眠中にわずかに経験値が得られるという謎仕様だった。わずかにってどのくらいだろう。わかんないけど多分いらないね、たしかに。
聖水は呪われた人に使うとこの世界の全ての呪いを解呪できるアイテムで、退魔札はゴースト系の実態のない敵にあてると浄化してくれるというアイテム、100枚1セット。でもこの前聖属性付与の魔法を覚えたばっかりだし、札もいらないな。刀剣指南書は、これを読むと刀武器のアーツを覚えられるという本らしいんだけど、イオくんは剣だし。
「聖水かな?」
「しかないな、この中なら。それよりも呪いというのが気になっているんだが、これ道迷いの呪いにも効くんだろうか」
「あー」
全ての呪いっていうんなら効くんだろうか。でも「この世界の」って所が気になる。
「魔王マヴレって、異世界から来たんだったよね」
「ああ。……そうか。だとすれば魔王マヴレの使った呪いはこの世界の呪いではない可能性が高いな」
「だと思う。だって、効くなら使わないわけないもん」
たった一人しか呪いが解けないのだとしても、一人だけでもいいから外に取り残された人たちを街へ連れて帰りたかったはずなんだ。きっと呪いを解くために色々なことを試して、呪いを解く事ができなかったから今、こうして目録に載っているんだろう。
ちょっとしんみりした気持ちになりつつ、テトも僕の目録を一緒に見たそうにしているので見せてあげながら、自分の分も読み上げる。
「えーと、僕のその他カテゴリは、遺跡の地図A、アプの実、エル・ドラドの宝水、アカデミア・ローズガーデンの鍵、タクトクロスの仕立て券……」
あっ、なんかこれはあれだ。超気になるのがこの中に2つあるわけですがどうしよう。と一人でそわそわしていたら、イオくんが胡乱な眼差しを僕に向けた。
「で、どれがレアイベント用だ?」
「そういう聞き方良くないと思います!」
「なんか詳細聞くの怖いんですが」
「何にも怖くないよ! 僕無害!」
そもそもこんなものを目録にいれるテアルさんが元凶だと思います。
「テトどれが気になるー?」
これー。
「お目が高い。エル・ドラドの宝水は妖精郷の湧き水と言われており、飲んだ人の魔力を増加させる効果があるんだって」
「待てこら、テトに説明して終わるな、全部説明読め」
「はーい。遺跡の地図はゴーラ方面の遺跡の地図。今も入れるかどうかはわからないって。アプの実は僕たち一回食べたことある、スキルレベルを3上げるやつ。タクトクロスの仕立て券は、首都ナナミにある冒険服屋さんで最高級の冒険服をタダで仕立てられる券で、最後のアカデミア・ローズガーデンの鍵っていうのが宝水と並んで僕のセンサーに主張してくるやつなんだけど……」
「詳細は?」
「ヨンドの何処かにあるローズガーデンの鍵。そこにいけばとある人に会える」
「……完全にレアイベントそれだな」
だよねー、僕もそう思う。
誰に会えるか明言してない当たりが、いかにもって感じだよね。でもここで宝水と鍵を両方取ったら他のものが取れない……。だとすると、鍵が優先かなあ。
「とりあえず鍵は取るよ。ヨンド行ったらローズガーデン探してみよう」
「そうだな。じゃあ俺はこの盾と聖水にするか」
「聖水取るの?」
「呪いはまだ直面したことないからな。対応策を持っておく」
なるほど、さすがイオくん色々考えてくれている。えらい。
新しい状態異常って、初めてかかった時の焦り半端ないもんね。今はまだ<土魔法>の【リフレッシュ】しか使えないし、対抗手段は多い方が……あ。<原初の呪文>で【解毒】とか出来ないかな? 機会があったらやってみよう。
「じゃあ僕は鍵と……物理防御力+5のシャツを」
「PP振れ」
「だが断る!」
無駄になるところにPPを振るのは絶対に嫌です。
「2人ともさくさく決まりますよね……」
そして如月くんはスキルレベルを上げる時と同じ様に迷っているらしい。慎重派なんだなあ。僕は何にも考えてないだけで、イオくんは頭の回転が早いだけだよ。
「武器そんなに迷うの?」
「あー、武器は決まったんですけど、他が。宝の地図ってどう思います?」
「罠じゃないのか?」
「んー、ごめん、自分のじゃないからシックスセンス的なものが働かないんだ」
「ですよねー!」
確かに宝の地図って響きは完全にロマンだけどねー。
特にブレファンを通ってきている如月くんになら分かると思うんだけど、この手の地図って大半地雷というか、労力の割に対価が渋いことが多いんだよねー。アナトラではそんな事無いのかもしれないけど、今までの経験上……!
「大人しくスキル受講券取りますか……」
「あ、そう言えばちょっと特殊なスキル取れたよ。<原初の呪文>っていうやつなんだけど」
「えっ」
「掲示板に書けないやつらしいけど、如月くんには教えておくね。このスキルは――」
「まっ、ちょっと待ってください!」
「これだからナツさん怖い!」
うーん、流石に引きの良さを自覚しているので、これについては許します。




