9日目:手仕事の店・フラワーベル
問屋通りは市場通りの真向かいにあり、ギルド前通りから南へ伸びる通りだ。奥へ行くと突き当りにサウザン川が流れているので、通りの長さはそこまで無い。
手仕事の店・フラワーベルは、こぢんまりとした小さなお店だった。窓辺に一輪挿しが飾ってあるような、優しく柔らかいイメージのお店。そのドアが開け放たれていることで、まだ営業時間内だということがわかる。
プリンさんはともかく、男3人が押しかけるにはちょっと可愛らしすぎるお店なんだけど、今はそんなことを気にしている場合ではないので、堂々と押しかけましたとも。そしてプリンさんはこれから仮眠を取るというので、案内して紹介だけしてもらって、そこで解散。これだけのためにつき合わせちゃって正直申し訳なかったけど、後ほどクエストについて詳しく教えるということで許してもらった。如月くんが。
だって僕とイオくんただの付き添いだもんね!
「急に押しかけてすみません、ちょっとお尋ねしたいことがありまして」
と切り出す如月くんに、グロリアさんはおっとりと「まあ、なにかしら」と問いかける。30代くらいの、ふんわりとした雰囲気の女性だった。眼鏡をかけていて、髪を丁寧にまとめている、真面目そうな感じの人だ。
「こちらのショールの持ち主に、縁のある方を探しているんです」
「……あら」
「女性で、ライラさんという方だということは分かっているんですが、お身内の方にお会いしたくて……」
グロリアさんには、ジンガさんのような表情変化は無かった。けれども心当たりがあるのか、小さく何度か頷いて、差し出されたショールを手に取る。それをじっと見つめてから、「ああ」と。
「確かにライラのショールです。こちら、どこから?」
「お知り合いですか?」
いや、僕たちのリアルラックとかじゃないから。如月くんこっちチラ見するのやめよう? ヒントが見つかればいいなと思ってここまできたけど、まさか直の知り合いだと思わないじゃん。偶然だねー。
僕が小さく頭を振って「僕のせいじゃありません!」と主張している間にも、グロリアさんの言葉は続く。
「隣の家のお姉さんだったのよ。私より16歳年上で、編み物が上手な素敵な人だったわ」
「ご遺族の方は、今……?」
「ええ、私の家の隣に住んでいらっしゃるわ。よろしければ、私が届けるけれど……」
「お願いします」
如月くんは即座にショールをグロリアさんに託した。やっぱり、見ず知らずの人の家を訪ねてあなたのご家族の遺品です、と手渡すのはかなり勇気がいることだからね。ジンガさんみたいな反応をされたら精神的にもとても切ないし。
「……この柄の名前がね、ライラというの」
グロリアさんは優しく微笑んで、ショールを丁寧に広げた。小花が散っているような柄で、薄紅色の綺麗な糸で編んであるショール。
「ライラさんが考案した柄、ってことですか?」
聞いてみると、グロリアさんは「そうよ」と頷いた。
「図案を描いて、名前をつけて商会に登録するの。編みたい人はその図案を購入して、代金のいくらかが登録者に渡るわ」
「へえ、そういう仕組みなんですね」
「ライラはとても編み物が上手だったの。私も小さい頃に教えてもらったから、今こうしてお店をやっているわ」
「親しかったんですか? 結構歳が離れているように思えますけど……」
「ふふ、そうね。あの頃のライラに、私は今年追いついたばかりよ」
グロリアさんは、懐かしむように言う。その眼差しに悲しみはなく、その声に後悔はない。ただ、ただ、優しい響きがあるだけだった。
「戦争が終わって、たくさんの人が死んだけれど、彼らの成したことは無駄ではないもの。国が続けば、故人を想う人たちがきっと彼らを忘れないわ」
その言葉は、ついさっき聞いた言葉だ。ジンガさんのお母さんが言っていたという言葉と同じ。「人が死ぬときっていうのは、すべての他人から忘れ去られたときだ」……覚えている人がいる限りは、その人は生きている。この世界の人たちの中で浸透している考え方なのだろう。
「続いていくんですね」
「ええ、ふふふ、良い言葉ね。そうよ、彼らの魂は川を泳ぐけれど、彼らの痕跡は続いていくの。例えばこの柄の編み図は、まだ商会に登録されたままよ。この柄を素敵だと思う人がいる限り、ライラは続いていくわ」
丁寧にショールを畳んで、グロリアさんはただただ微笑む。
「だから、あなた達がそんなふうに、悲しみを背負うことはないのよ」
言われて、如月くんがはっとしたように息を呑んだ。僕は……うん、多分僕も同じような顔をしていたのかもしれない。なんかこう、悲壮な顔っていうか。痛ましいような顔を。
当事者でもないのに。
「優しい子たちね。この世界を守るために戦った人たちを、悼んでくれてありがとう。大丈夫よ、世界はこれからも続くの。世界が続く限り、英霊たちも続いて行くのよ。だから、悲しまなくていいの。彼らが残したものがそこら中にたくさんあるのだから。勇者様たちを称えるように、すべての命を称えていくの。生きている限り、未来へ向かうのだから」
「グロリアさん」
「ええ、大丈夫よ。この世界の人たち、結構強いのよ?」
ふふふ、とグロリアさんは笑う。朗らかな微笑みだった。
強い人だなあ。
*
グロリアさんは、編み物だけではなく、刺繍やレース編みなどもこなす女性だった。
フラワーベルの店内に掲げられている大きなタペストリーは、勇者達の英雄譚を描いたもの。これを見たプリンさんが勇者の話を聞きたいと言って情報収集をしたらしい。
「魔王の国、魔国は、元々は大樹に覆われた自然豊かな国だったのよ」
僕たちもお話聞きたい! と言ってみると、グロリアさんは快く了承してくれた。
「魔力に満ちたところで、フェアリーやエルフたちが好んで住み着き、共和国を作っていたのだけれど。それが故に異世界からの介入を受けてしまったのね。その時魔国に住んでいた住人たちは、皆散り散りに周辺諸国へ逃れたというわ」
魔王に占拠されちゃったってことか。
「魔国というのは、今はどうなっているんだ?」
この質問はイオくんから。確かに、魔王が討たれた今、その支配下にあった国はどうなっているんだろう。周辺の国に分割統治されるとか? 一番手柄をたてた国が領土をもらうとかもあり得る?
「良い質問ね。魔国は閉ざされ、今は統治神スペルシア様の結界により封印されているのよ」
「封印か。野放しにはできない土地ということか」
「そうなるわ。瘴気が強くて魔物を生み出しやすい土地になってしまったから、開放してしまうとその処理だけで手一杯になってしまうのですって。スペルシア様の結界で閉ざし、その結界の神気によって少しずつ浄化を試みているところよ」
イメージとしては汚染地帯みたいな感じかなあ。そのままでは人が住めない土地ってことだよね。
「魔王マヴレが宣戦布告をした時、周辺諸国は皆で話し合って交渉し、なんとか戦争を避けようとしたのだけれど……。魔王にとっては戦うためにこの世界に来たようなものですからね、こちらの要望は受け入れられなかったわ」
グロリアさんのタペストリーは、縦長に物語を描くように続いている。魔王との交渉をするような場面もあった。この青いドレスで刺繍されている女性が、救国の乙女ルシーダさんだろう。
「竜人たちがスペルシア様に知らせようともしたのだけれど、運悪く連絡が取れなかったため、住人たちで知恵を絞って対抗策を考えたの。それで、聖獣である竜たちが己の力を託すに相応しい者を探し出し、祝福を与えて勇者として送り出されることになったというわ」
タペストリーに色とりどりの竜が描かれている。僕これ、ちょっと不思議だったんだよね。
「あの、聖獣が力を貸してくれたっていうのはわかったんですけど、どうして聖獣が戦わなかったんですか? すごく強そうなのに」
だって、竜の眷属たる竜人たちは戦ったんでしょ? それなのにその上司が戦わなかった理由ってなに? 竜が戦っていたらこんなに長く戦争が続くことは無かったんじゃないかなあ。
そう思ってした質問に、グロリアさんはゆったりと微笑んで答えた。
「竜の力が強すぎるからよ」
「強すぎる?」
「そう。この世界には大気中の魔力を取り込んで暮らすような種族もいるわ。竜の魔法はその大気中の魔力を吸い上げてとても強いエネルギーを作るの。でも、あまり乱発すると魔力が枯渇して、植物が枯れ、人の活動力を低下させてしまうの」
えーと、バキュームみたいな感じ? 空気中の魔力を吸い上げてエネルギーを……酸素に置き換えると分かりやすいのかな。確かに酸素が根こそぎ使われて不足したらとてもまずいことになるね……。
「聖獣たちは確かに強いわ。けれども巨大な力には反動とリスクがつきまとうものなのよ。魔王から世界を守ったとしても、守った世界に人が住めなくなっては本末転倒ね」
「ごもっともです」
「その強さ故に、聖獣たちは自然の中でひっそりと暮らし、他者を攻撃しないように気をつけているの。彼らがちょっと攻撃するだけで、山一つ簡単に消し飛んでしまうのだもの。だから聖獣たちは力の一部を人に貸すことで、世界を壊さないように配慮したのよ」
え、えらい、ちゃんと色々考えてる……! こんなふうに考える余裕があったのも、ルシーダさんが頑張って時間を稼いだからなんだなあ、流石救国の乙女。
「聖獣たちに認められ、祝福を授かった勇者たちは6人。例えば『鉄壁』のドロワは地竜の祝福を受け取り、その防御力を劇的に上げたというわ。それぞれが己の最も得意とする項目について、祝福を授かったの。けれども祝福は生まれたばかりの子供にしか授けられないものだから、我々は選ばれし勇者たちを、そこから育て上げねばならなかった。それが、魔王の討伐に20年もの歳月が必要だった理由よ」
「なるほど……!」
すごく納得した。
聖獣たちが勇者に祝福を与えたのに、なんで勝利まで20年もかかったんだろうって思ってたんだけど、そういう事情だったんだ。子供に戦ってこいとは言えないし、戦いのノウハウなんかも教えないと、祝福のゴリ押しじゃ勝てないんだろうね。無事に勇者たちが育って、戦いの経験値を積んで、その結果として魔王に勝利したんだ。
「すごいですね、勇者って」
僕が感心してそう呟くと、グロリアさんはそうでしょう、と頷いた。
「もちろん、勇者たちはこの世界に住む者たちの誇りだもの。でもねトラベラーさん、あなた達も私達にとっては英雄なのよ。魔王の呪いをものともしない、頼もしい存在だわ」
優しい笑顔で、グロリアさんは言った。
「ナルバン王国へ来てくれて、ありがとう。あなた達は私達の希望の光よ」




