9日目:とある学者の話
サザルは、あいつは、本当にだめな大人だったよ。俺が小さい頃に見ていた頼れる大人たちとは全然違ってさ。
エルフってみんな、あんなふうに浮世離れしてるものなのかな。ナツさんもなんだかそういうところがある気がするし。……え? あはは、それは失礼。
あいつと初めて会った時、俺は6歳くらいだったかな。その頃にはもう戦争が始まっていて、サンガは国境近くのジュードほどの緊迫した状況じゃないにしろ、だんだんと余裕がなくなってきている、って感じだった。俺が6歳の頃、あいつはとっくに大人に見えたよ。きらきらした金髪の、宝石のような緑色の目をした、綺麗なやつだったが……。
知ってるかい、ヒューマンでは王族以外に金髪や銀髪は生まれないんだが、エルフは逆に金髪や銀髪が多いんだ。鬼人たちは全員黒髪だし、ドワーフは茶色が基本で、それ以外が生まれることは殆どない。最近じゃあトラベラーさんたちが色々と変わった姿をしているから、そういった規則性なんかも曖昧になってきているけどね。
サザルは元々、そういう色彩遺伝を研究する学者だったんだ。
それに熱中するあまりに、まあ、生活力がなくてね。しょっちゅうその辺で行き倒れていたのを、俺が拾ったことがきっかけだった。
あはは、そう思うだろう? でも実際拾ったんだよ、道の真ん中に落ちてたんだ。
俺も流石に驚いて、死んでるのかと思って慌てて駆け寄ったら、いびきをかいて寝ているだけだったからさ。子供じゃ大人を運べないし、寝てるし、どうしたら良いのか分からなかったから揺すったりして起こそうとしたんだけど、全然起きないし。運ぼうとして持てなくて、落としたら頭を打ったみたいで、それで目覚めて第一声が「少年、何か食べ物を恵んで欲しい……」だぜ?
金髪のきらきらした王子様みたいな男がさ!
それで、うちに連れ帰って母さんのスープを食べさせて、その男がヨンドから来た学者だってことがわかったんだ。
トラベラーさん達の世界にも戦争はあるだろう? 情報というのは、いつの時代でも重要なんだ。サザルは元々遺伝の研究をしてたんだが、国からの要請を受けて魔物の生態研究を行うことになった専属チームの一人だった。すべての街に学者チームが派遣されて研究を行っていたんだ。サンガなんかはまだ良い方だったけど、最前線のジュードへ行ったチームは……苦労を推し量ることは難しいな。
学者さんのチームは、みんな、冷静で頑固で真面目って感じだったかな。そんな中でサザルだけは、なんだかふわふわと浮足立っているように見えたよ。一人だけエルフだったから無駄に美形だったのも浮いていた原因かもしれないが、好奇心旺盛でなにか興味深いものを見つけてはすぐどこかに駆けて行くし、なにかに熱中しだすとずっとそればっかりで、朝から晩まで飽きもせず葉っぱを眺めていた事もあったっけ。そんなふうだから、俺みたいな子供にしょっちゅう叱られてた。
大人なのに、頼りなくて、なにもできなくて、飲食さえよく忘れる。
戦時中の大人たちってのは、全員頼もしい人たちだった。子供たちから見ればヒーローさ。だらけたくても時代がそれを許さないってのはあったかもしれない。でも、あの時子供だった俺から見たら、大人たちはみんな尊敬できる、かっこいい人たちだったんだ。
だというのに、あいつはなあ。……なんてさ、思っていたんだ。
でもあいつは変わらなかったよ。俺がどんどん成長して、身長もあいつに追いついて、他の大人たちから剣や槍の使い方を学んでいる間も、サザルは、ずっと、変わらなかった。
俺はさ、サザルが変わらないことを、心のどこかで喜んでいたんだ。
街が破壊され、親しかった人たちが戦いに出て、死んだり怪我したりして。実家も壊れて仮設住宅住まいになって、食事もままならなくなって、美しく活気に溢れていたサンガの街が変わって行って。そんな中で、変わらないサザルのだめな所が、あの時、一番俺に日常を思い出させてくれる要素だった。
サザルはいつだって、研究してわかったことを本にまとめて、それを学者チーム内で発表する前に俺に教えてくれた。この魔物はここが弱点なのだ、とか。この魔物はこうすることで足止めができるのだ、とか。ナツさんに見せたあの本は、当時学者チームがまとめていくつか複製を作ったものの一つだ。本来はサザルが持っていた本なんだが、あいつがいなくなってから、あいつの部屋にあるものは全部俺が引き取っていたから。
ああ、そうだよ。
あいつ、身寄りがなくてさ。いや、エルフなんだからどこかにエルフの隠れ里でもあって、そこにいるかもしれないけど。50過ぎてまだ独身だと周りがうるさいから街に出てきたとか言ってたっけ。エルフとフェアリーは魔力の多い種族だから他に比べると寿命が長いんだよ、俺たちの3倍くらい長生きするものらしい。だから俺が爺さんだなってからかうと、エルフ基準ではまだまだ若いのだ! とか、よく言ってたっけ。
どんどん年を取っていく学者チームと合わなくなって、サザルはほとんど一人で動いているようなものだった。戦況の悪化に伴い、みんなピリピリしてたし、仕方ないよな。自分の宿舎に戻ると他の学者と顔を合わせるからって、それを嫌がって俺の家に泊まり込んでいたから、家の母さんにとってはサザルはもう一人の息子みたいなもんだった。
身だしなみに無頓着で、だらしなくて、放っておくといつまでも研究を続けるような男だ。部屋には書き損じの紙と片手間に食べたらしいオレンジの皮が散らばってて、掃除をするにも一苦労だし。最初のうちは年上だからと色々遠慮していたものも、長く一緒に過ごすほど遠慮が無くなる。寝る時はベッドに蹴り飛ばして、食事を忘れているときは無理やり食わせて、「お前は本当にだめな大人だな」なんて、呆れて口にしてさ。
だから、あいつが壁の外のキャンプ地に居を移すなんて言い出した時には、俺は本当に驚いたんだ。あいつが一人でキャンプで暮らせるなんて、全然、想像できなかった。
近々大型の魔物か大量の魔物の軍勢が来襲する、とサザルは言った。終戦間際のころだったかな、戦況がだいぶ連合軍の優位になっていたころだ。
ああ、連合軍っていうのは、ナルバン王国と他の国々が協力して編成した魔王に対抗する軍隊のことで……先の戦争はつまり、魔王率いる魔国と、それ以外の周辺国連合の戦いだったというわけだ。このまま倒される前に、魔王マヴレは悪あがきの攻勢に出るだろう、というのが、サザルの見立てだった。
サンガは崖の上にある要塞都市だ。防衛隊は主に東に主力を置いていた。北は竜人たちの集落があったらしくて、そっちから来る魔物はほとんどいなかったんだ。西から南にかけては大部分が崖だから、そっちへ配属されたら崖付近のキャンプから崖を登ってくる魔物を狙い撃つ遠距離攻撃が主になる。
サザルはエルフだったから魔法が得意で、学者としての研究の傍ら、よくこのキャンプ地に混ざって崖の防衛をしていたらしい。それで、魔物たちの増援が予測されるから、キャンプに移り住みたいと。
なんで、と俺は思った。あいつは学者だ。学者に期待されることは、戦力じゃないはずだろう。だけどサザルは笑って、「サンガには守りたいものがありすぎる」って言ったんだ。
なあ、みんな。俺はさ。
サザルにだめな大人のままでいてほしかったんだ。ずっと、手間のかかるなにもできない男でいてほしかった。そうすれば、そんな奴が戦場に出ることなんて無いだろう? ただ、ずっと、あいつが楽しそうに研究なんてしてるのを、偶に小言を言いながら世話して、それで戦争が終わったらさ。ヨンドになんか戻らないで、面倒な学者チームを抜けて、ずっとここにいればいいって、思ってたんだ。
あいつは、だめな大人だったよ。でも、一度も約束を破らなかった。自分の誕生日すら忘れる男だったけど、俺と母さんの誕生日は毎年祝ってくれた。俺がわからないことを、言葉を噛み砕きながら根気強く教えてくれてさ。ずっと、口にしたことはないけど本当の兄みたいに思ってた。
昔からものづくりが好きだった俺に、陶芸家っていうものがあるって教えてくれたのもサザルだ。サンガは美食の街なんだから、戦争が終わったらきっとまたたくさんのレストランが立ち並ぶようになるだろうって。そうなったら食器やカトラリーは必須のものだから、そういうのを作ったら良いんじゃないか、って。
あの頃は、誰もが戦争を終わらせることだけに必死で、その先を見越して考えていた人間なんてほとんどいなかった。それどころじゃなかったし、本当に勝てるのかすらまだ分からなかった頃だ。だからサザルが、必ず勝てると思っていたことを、勝った後にどうするべきかを考えていたことを、俺は心から尊敬していたんだ。
サザルが出ていった日、あいつは、必ず戻るって約束した。
今まで嘘をついたことのないサザルがそう言ったから、俺は信じようと思った。
信じていたかったんだ。でも、戻ってこなかった。魔王の呪いが住人に降り注いで、探しに行くこともできなくなってさ。分かってたんだ、あいつがもういないって。分かってても、分からないままでいたかった。
母さんは、「人が死ぬときっていうのは、すべての他人から忘れ去られたときだ」って言うんだ。そういう意味では、サザルはずっと生きている。これからだってずっと生きていくだろう。
それでもさ、今でも思うよ。
あの時泣きわめいてダダを捏ねて、行くなと言えば良かったんだろうかって。だってあの日、サザルを見送ってから、ほんの数週間後だったんだ、戦争が終わったのは。青空が目に痛いほど、よく晴れた日だった。ちょうど、ちょっと強い風が吹いてサザルが積み上げたまま残していった本の山から一冊だけ崩れて落ちてさ。それで、なぜだかああもうあいつは戻らないんだなって、そう思った。
落ちてきたのが、俺のためにサザルが何処かから調達してきた本でさ、『初めての陶芸』っていう、初心者向けのやつ。あいつがこれを読めって言ったように感じたよ。それで、前を向けって。戦争の先のことを考えろって。
「それで、俺は今、食器を作ってる」
静かにそう語り終えたジンガさんは、ゆっくりとした動作で葉巻に火をつけた。
大きく吸い込んで、ふーっと息長く吐き出して、行儀悪く頬杖をつく。
「トラベラーさんたちの世界ではどうだかわからないけど、この世界では、人は死んだら川を泳ぐと言われているんだ。魂の流れ着く先の彼岸は一つではなくて、いくつでもあって、その中で自分が一番会いたい人がいるところに流れ着くって」
僕たちで言うところの、三途の川かな。こっちでは渡るものだけれど、この世界では泳ぐものなのか。そういった違いもちょっと興味深い。
「だけどあいつ、ちゃんと泳げるかな。労働は私の仕事じゃないとか言って、サボって沈んでやしないかな」
ほんの少しおどけたように言って、ジンガさんは顔をあげる。手帳を最初に見た時のような緊張感は、その表情には残っていなかった。
「死んでもこんなに心配かけるんだから、いっそ、生きててくれりゃよかったのに」
「ジンガさん、」
「如月、これ、もらっていいかな?」
なにか言いかけた如月くんの言葉を遮って、ジンガさんは手帳を手に取った。それは、最初から彼の手に渡るべきだったとでも言うように、なんだかしっくりと馴染んで見える。
「はい。もちろんです、ジンガさんに渡さなかったら、他の誰に渡すっていうんですか」
しっかりと頷いた如月くんに、ジンガさんは、小さくありがとう、と呟いた。




