閑話:とある神獣はちょっと悔しい
神獣グランは、正しくは神樹林栗鼠である。
樹魔法に特化した神獣であると同時に、ナルバン王国の緑化を一手に担っている実は大変重要な神獣であったりする。
本神獣はいたってのほほーんとしているし、口調ものんびりまったりだし、体躯が小さくて非常に愛らしい感じの外見なので侮られがちではあるが、王様から親書を受け取る程度には重要なポジションにいたりする。意外とやるのだ。
そんなグランだが、実は神獣になってから結構長い。
消える命もあり、新たに覚醒する命もある中で、グランは結構昔から神獣グランだった。もはや古参の域である。
住人から、たまーに「神獣様はどうやって神獣様になるの?」とか聞かれることもあるんだけれども、グランにもそれはよくわからないのだ。グランはある時まで、普通の樹林栗鼠だった。ナルバン王国のみならず、この大陸に広く分布している栗鼠の一種で、樹魔法を得意とする獣。
魔王がやってくるまでは、この世界に聖獣と獣と動物がいたのだ。何の力も持たないのが動物で、魔法が使えるのが獣で、竜が聖獣である。
ある時、とても昔々、統治神スペルシアから任命されて、世界の調和を保つために神獣となった。それというのも聖獣たちがどいつもこいつも強すぎるから、ほんのちょっと問題解決に動こうとするだけで多大な被害になりかねないからである。
神獣というと、スペルシア神になにかあったときに代わりに神となり得る存在、というふうに住人たちは把握しているらしいが、それはどうかなーとグランは思う。やっぱり、そういう時に代理神として立つのは聖獣だと思う。ほら、ゴーラの海竜ラメラ様とか。ぶっちぎりで強い存在って、やっぱりいるし。
統治神とか、ムリムリ。グランには回ってこないでほしい、切実に。
まあとにかく、昨日まで生きることしか考えていなかったただの栗鼠が、ある日ふっと目覚めたらめっちゃ色々考えることができる神獣になっていたのだから、大変だ。
「なーに、これきっつ!」
というのがグランの第一声だった。いや本当に、いきなりいろんな情報を処理できるようになったから頭が痛くなったので。スペルシア神からおまけだとでも言うように、いろんな知識までもらってしまったので。無茶しやがる。
神獣グランは、そんなわけで。
最初から自分の役割も、能力も、すべてを知っていたのだ。
グランは人が好きだけど、人に近づきたいとは思わない。グランが好むのは、生き生きとしたもの。生命力にあふれているもの。植物や動物のような、命あるもの。
それらが一心不乱に、何かに夢中になる眼差し。何かを作り出す情熱。何かを目指すそのいただき。そういったものが、グランは好きだ。
花開くその一瞬の色づき。
朝露こぼれる草葉の緑。
より良いものを作ろうとする人の探究心も。
叶わなかった願いを嘆くとて。
届いた歓喜さえ。
人が生きるその人生に、美しさを見ていた。植物が芽を出し育って、枯れていくその一生に、果てない輝きを見ていた。
外から見ていたかったのだ。別に自分がその一生に関わりたかった訳では無い。ただ傍観者として、咲こうとする花を愛でていた。それが神獣グランの役割でもあったから。
見守ること。
世界が流れていく、その一瞬一瞬を、きちんと見守ること。
咲き誇る花を手折るのではなく、水を与えるのでもなく、ただありのまま枯れていくまでを。そしてそれが次につながるまでを。
あくまで、傍観者。そこがグランの居場所。誰にも侵入は許さない神域。命に介入することは、なんとなく美しくないような気がして、やりたくなかった。
だけどそんなグランがただ一度、自分のテリトリーに誰かを入れた事がある。
あれは、そう、偏屈なエルフと、シルバーグレイの妖精だった。
茶金の髪に緑色の目がいかにもエルフという感じで。もう随分年をとってじじいのくせに、随分と美しい絵を描いた。踊るように歌うように、ただただ楽しいと叫ぶように。
指をどう動かせばきれいな線が描けるのか知っている男だった。どの色とどの色を合わせればより求める色になるのか、何度でも試行錯誤ができる男だった。どこに何を配位すればより目を引く構図になるのか、どこにどの色を置けば鮮やかに映るのか。そういったものを、実によく知る男だった。
ただ静かに自然の中に埋没することを願い、それなのに一人になるのは寂しくて、ただ一人の相棒を突き放すことは出来ない臆病者。
だけど、輝いていた。
命を燃やすように世界を描こうとする、眼差しが。どれほど描いても描いてもまだ足りないと、飢えるように次を探す視線が。
だから、神域に住処を求められた時、断ることはできなかったのだ。だってその輝きを間近で見ていたかったのは、悔しいけど、本当に悔しいけど、グランの方だったから。
その偏屈は、良い絵を描いた。
本当にそこにある世界を切り取ったように、水々しい、生命にあふれる絵を。
「リーニュの毛並みが気に入らない」
すぐに眉間にシワを寄せて、不機嫌そうな顔をする偏屈。シルバーグレイの毛並みのケット・シーは、そんな面倒くさい男を穏やかに見守っていた。
「塗りつぶして、また描きなおしたらいいよ」
「しかしな」
「いいじゃないか。わたしはこの絵、好きだよ」
「む」
「特にこの辺の、葉が重なり合うところ。わたしはこの絵、好きだよ」
こだわりが妙に強いくせに、相棒に言われるとすーぐ信念を曲げて、眉間にシワを寄せながら描きなおす。好きだと言われたところを丁寧に守りながら、別の色を入れて手直しするその手腕は見事の一言だった。
神域に住むことを許可したとはいえ、グランが彼らと会話したことはあまり多くない。スペルシア神の依頼があったり、どっかの国王やら他の神獣に頼まれごとをすることだってあったし、日照りが続く地方があれば様子を見に行くし、枯れそうな森があれば再生を施したり、色々と忙しかったのだ。
戦争が始まる前は、ふらふらとあちこち渡り歩いて、飽きたら戻るを繰り返していた。そして戻るとあの穏やかなケット・シーは、にこにこと微笑んで「おかえり、グラン様」と声をかけてくれたのだ。
おかえりって言われるの、結構好きなんだよな、とグランは思う。
あるべきところに戻ってきた、という感じがする。
いつだったかあの偏屈も、似たようなことを言っていたっけ。「リーニュが呼んでくれると、まだ生きているな、まだ描けるな、と思う」だったか。……あれ、ちょっと違うな。まあいいか、だいたい、広義では同じような意味だろう、多分。
なんだかんだで、多分、根っこの部分がグランとその偏屈はよく似ていた。一人は寂しいくせに、集団には入れない臆病なところとか。シルバーグレイの妖精の穏やかな声が好きなところとか。やりたいこと、好きなことに一直線で、無駄にこだわりがあるところとか。
自然に溶けるように生きて、そのまま死にたいと思っているところとか。
それなのに最後は、誰かにそばに居てほしいと思っているところ、とか。
だから、きっとあの偏屈は満足だろう。
誰より信頼した相手と一緒のときに、眠るように川へ旅立ったのだ。おまけにあんなかわいいケット・シーにほろほろ涙を流させて。手紙一つで危険から遠ざけ、守ることも出来た。ああ、満足だろう。満足だろうさ、あのじじいめ。
今日もシルバーグレイの妖精は、あの偏屈の墓に花を飾る。ほそぼそと果物を食べて毎日を過ごし、あのきらきらの眼差しで空を見上げる。
「グラン様。ポプリはきっと、戻って来ると思うんだ」
一点の曇りもない、純粋な、甘く優しい声がそう言ったのはいつだったか。微笑みはいつでもまどろみのように柔らかく、この妖精の魂の色はさぞかし美しいのだろうなと思わせる。
「わたしが生きているうちに、戻ってくるかどうかわからないけれど。グラン様、もしその時わたしがいなくなっていても、いじわるをしないでどうかポプリを神域に入れてあげてね」
純粋な願いはグランの心をするりと撫でる。ああもう、イヤだイヤだ。あの偏屈はそうやって、大事な人の心に一番効果的に居座っている。グランだって、この子の優しい声は気に入っているのに。この子ときたらいつだってあの偏屈のことばっかり。
きっと今頃、必死で川を泳いですぐにでも生まれ変わりたいなんて思っているんだろうな。あーほんとうに腹立つな。
断る、と言ってやりたかったけど。でも、それでもあの偏屈が戻ってきたら、多分グランは神域に入れてやるだろうな、と自分でわかっている。ちょっと悔しい。いや大分悔しい。でも門前払いは多分できないのだ。
神獣グランは普段、のんびりとした、穏やかな神獣である。だけど受け入れがたい相手というのはいるのだ。あの偏屈とか。ほんと、なんなんだろうなあの偏屈。思い出すだけでなんとなく、鼻先がムズムズしてくるし。
ものすごく嫌だけど、本当に不本意だけど、それでも目を輝かせてそわそわとあれの帰りを待つシルバーグレイの妖精のために、グランはちょっとだけ魔法を使ったのだ。偏屈をとっとと転生の輪に魂を叩き込む魔法を。
神獣は結構気軽に友を作る。その友の中から、お気に入りが選ばれることもある。お気に入りから、寵愛になるのは極稀だ。ましてやそれよりも珍しい、無二という存在にまで。
でもしかたないじゃないか、とグランは何度でも言い訳をする。認めたくないけど、心の底から不本意だけど、でもだってあいつをとっとと転生させるには、その魔法を使って引き寄せるには、無二とするしかなかったんだ。
このほんわか優しいケット・シーが、喜んでくれるなら仕方ないじゃないか、と渋々ながら。なんかあいつのこと好ましいなんて言うの、すごく悔しいから絶対言いたくない。
不本意だ、と何度目かの言い訳をして、それでも何度でも思い出す。あの偏屈が飽きること無く描き続けたこの神域を、終の棲家として選んだことを。
一つの情熱を抱いた命が、この地で死ぬときめたのだ。芽吹き、育って、蕾がほころび、咲き誇った花が枯れるように。それは愛おしい命のサイクルで、でもサイクルというのなら、あの偏屈は戻ってこなければならない。
戻って。
またあの時のように、「世話になる」と無表情で頭を下げて。
シルバーグレイの尻尾に背中を叩かれて、困ったような顔をするのだろう。ああ、本当に。
神獣グランは、人が生きるその人生に、美しさを見ている。植物が芽を出し育って、枯れていくその一生に、果てない輝きを見ている。その美しさの中に、感情が動くその刹那。
命は愛おしいものだ。
その生は尊いものだ。
それらを見守ることが、神獣としての役割である。
だから。
だからずっと、見ていたいのだ。不器用でトゲだらけの偏屈が、シルバーグレイの相棒にそのトゲを抜かれまくってまあるくなって。
ケット・シーの優しい声に転がされて、ころころと言うことを聞いて、嫌われないよう必死になって。
あの子が微笑むのなら、なんでもやってやろう。なににでもなってやろうと、そうやって燃えるように生きたあの偏屈のエルフのことを。
悔しいけど。
本当に悔しいけど。
絶対一生言ってやらないし、戻ってきたって言わないけど。それでも。
それでも一番美しかった。
美しかったのだ、あの、眼差しが。何よりも。




