閑話:とある住人の親愛
メルバはクー・シー族である。
クー・シー族は、妖精類の中では結構荒っぽい部類の妖精だったりする。
妖精類というのは結構な長生きが多いので、みんなどこかのんびり、おっとりゆったりしているものなのだけれども。そんな妖精類の中にあって、クー・シー族はせっかちで短気、であるらしい。それほどじゃないと思うけど。まあ、確かにメルバも若い頃は色々やんちゃをしたものだ。
妖精郷に足を踏み入れた部外者を仲間たちと一緒に追い回したり、神獣様に戦闘指導を頼みに行ったり、兄妹喧嘩で兄をはんごr……こほん。大怪我させたりと色々。若気の至りである。
妖精郷は基本的に排他的な場所だったので、クー・シー族は妖精郷の番犬なんて呼ばれたりもした。もちろん今も、ほとんど消えてなくなってしまった妖精郷の名残を守ってたりする。
まあ、とにかくメルバはクー・シー族である。
そしてクー・シー族は、先の戦争でも大活躍した妖精でもある。
クー・シー族は妖精なので、魔法には多少自信があって、打たれ弱いけどすばしっこい。その素早さを活かして、前線ジュードのほうでは伝令役を担う同族がたくさんいたらしい。さもありなん。すぐそこでバチバチ戦争していたら血が疼くってなものである。何もせず大人しく隠れていろなんて言われても無理だろう、クー・シー族だぞ? 妖精類ならみんな納得する。そういうもんなのだ。
とはいえ。
妖精類は長生きなので、メルバも結構長い事生きている。そりゃあもうおばあちゃんなので、先の戦争でも前線に立つようなことはなかった。裏方としてゴーラで頑張っていたことは、魔法を使って船を補修したり、武器の補修をしたり、若い妖精たちに魔法を教えたり。
あと20年、いや10年でも若ければ、メルバも前線に出て魔法をどっかんどっかんやったかもしれない。でも、おばあちゃんだったので。同じおばあちゃん仲間で親友のマーチャを守りたかったので。だってマーチャはケット・シー族である。
ケット・シー族はかわいいのだ。
いつものんびりおっとりしていて、日向ぼっことお昼寝が好きで、隣でクー・シー族がどったんばったん殴り合いの喧嘩をしててもぜーんぜん気にしない。勝ったらすごいすごいと拍手してくれる。クー・シー族はそういうケット・シー族が大好きである。
だから、守らねばならぬ。クー・シー族の義務である。
ちなみに共通認識である。
とは言え、先の戦争はこの国に多大な被害を残し、その爪痕はまだ完全に癒やされた訳では無い。メルバもクー・シー族として頑張ったし、実は結構な武勇伝を作ったけれども、それはそれ。
マーチャは、その戦争で娘を1人亡くした。かわいいかわいい、白い毛並みに黒い斑模様の子。マーチャには3人の子どもたちが居て、1人はヨンドで防衛隊に加わっており、もう1人はイチヤで農業に従事していて、その子は唯一マーチャのところに残ってメルバと一緒に戦ってくれた戦友でもあった。
必ず守る、と宣言したのに。
クー・シー族の方がちょっぴり戦闘向きだから、マーチャとその子は自分が必ず守る、と。
力いっぱい約束したのに。絶対の自信があったのに、それなのに。
ぐわんぐわんにショックを受けたメルバは、わんわん泣いた。なんならマーチャよりいっぱい泣いた。自分の子供が怪我したと聞いた時は「修行が足りないわね」と鼻で笑って見せたメルバが、体中の水分がなくなってしまうんじゃないかってくらい泣くものだから、途中からマーチャが必死で慰めたくらいに泣いた。
それがまた情けなくて、涙が止まらなかった。
いま一番悲しんでいるマーチャに慰めさせるなんて、自分は一体何をやっているのかと、わんわん泣きながら立ち上がって、親友を力いっぱい抱きしめて、ごめんなさいと泣いた。
「メルバ、あの子は川へ行ったの。私達をきっと、待っていてくれるわ」
穏やかに、寂しそうに、マーチャは言った。メルバの背中をぽんぽんと優しく叩いて、震える声で。
「泣くのは、戦争が終わってからにしましょう。あの子は立派に戦ったの。それと、謝罪の言葉は私は受け取らないわよ。それはいつか川へ流れ着いた時に、あの子に直接あなたが言うの」
「でも、でも……!」
「でもじゃないわ。勝手にあの子の死を悲劇にしないで。あの子は勇敢に戦ったの、必死に敵を倒したの。立派に、やるべきことをやったの。誇ってあげなくちゃ」
ケット・シー族はかわいい。
ケット・シー族はおっとりしている。
ケット・シー族は、優しくて、いつだって、強いのだ。
「あの子は私達を守ったの。どうか、あの子に守られたことを誇りに思って。あの子の努力を、あの子の勇気を褒めてあげて。あの子は、私達のことが大好きだから、頑張ったの」
微笑んだマーチャの眼差しは、悲しげで、痛ましくて、それでも決して揺らがずに、未来を見ていた。メルバはちょっぴり戦闘向きの種族だけど、こういう強さは全然クー・シー族にはない。クー・シー族は力でなんでも解決しようとする直線野郎が多いから、悲しいときは悲しいしかないし、嬉しいときは嬉しいしかない。
クー・シー族は単純なのだ。いつだって目の前のことだけ考えている。
でも、なんとなくわかる。
なんとなく、自分がやるべきことは。今ここで泣くよりもずっと、優先してやらねばならないことは。だってあの子に、この「ごめんなさい」の声が届くことはないのだから。
「わかったわ、マーチャ」
メルバは涙を拭いた。
泣いても泣いても、あの子は帰ってこないのだ。私達を守って死んでしまったかわいいあの子、大事なあの子。あの愛らしい斑模様をもう二度と見ることはできないのだ。ふわふわの毛並みを撫でると、満足そうにふむっと笑ってくれる、メルバのもう一人の娘と思っていた子。いつも朝寝坊で、ふわああっと大きな口であくびをしていたのんびりした子。こんなおばあちゃんより先に川へ行ってしまうなんて。
メルバは気合を入れて、相棒の長杖を握りしめた。
「私が敵を討ってくるわ、今すぐに!」
「待ちなさい、このおばかさん」
……余談だがクー・シー族はケット・シー族におばかさんと呼ばれるの、結構好きだ。愛があるからね。
結局、マーチャがしがみついて止めたので、かわいいあの子の敵討ちは果たすことができなかった。悔しさに咽び泣いたメルバの代わりにそれを成し遂げたのは、メルバと同じくらいじじいのメルバの夫だ。
「俺が、やったらあ!」
と勇ましい声を上げて飛び出していって、見事に腕一本失いながら敵を討ち取って戻ってきた。マーチャはなんて無茶をするのかと泣きながら怒ったけれど、メルバはあの時ほど夫を誇らしく思ったことはない。
「あんた! 今が一番格好いいよ! 惚れ直したわ!」
「だろう! これがクー・シー族の男ってやつよ!」
「もう、おばか!」
結局その時の怪我がもとで、夫は終戦してすぐに亡くなってしまったけれど、それでも最後の最後までメルバの誇りだった。子どもたちに未来永劫語り継いでやろうと決めた。ちなみに言うと、ひ孫たちからはヒーロー扱いされてでれっでれの幸せな最後だった。
だけど戦争が終わって、復興だー! と皆が一丸となっていた時。
ふとした瞬間訪れる寂しさを、メルバはどうしても受け入れがたく思っていた。たくさんの人が死んで、たくさんの人が涙して、それでも前を向いてここまでやってきたけれど。
それでもたったひとりのあの子は、大事なあの子は、もう居ないのだ。
こんな悲しい思いをするくらいならいっそ出会わなければよかった、なんては思わないが、出会えた喜びと同じくらいに、失った悲しみが大きいものだと知ってしまった。
メルバはクー・シー族。
他の妖精たちよりちょっぴり短気で、ちょっぴり脳筋なクー・シー族は、身内の死をあんまり悲しまない。戦って死んだなら戦士だ、立派だと思う。負けて死んだとて最後まで戦ったことを誇りに思う。例えば誰かを守って死んだとか、誰かの敵討ちで死んだとか、もうそんなの英雄だ。
だからクー・シー族のお葬式はカラッと陽気で、なんならダンス用の音楽なんか流しちゃったりして、故人の好きだった食べ物を山のように用意しちゃったりして、和気あいあいとした雰囲気になる。通りすがりの見知らぬクー・シーでも、「おっ、やってるね!」ってな感じに酒盛りに参加したり、もっというと鮮やかできれいな色の服をみんな着るもんだから、他の妖精たちにはお祭りかな? と思われている。
そんな陽気なクー・シー族のお葬式で、悲しんで泣いてくれるのはいつだってケット・シー族だ。
ケット・シー族は優しくて、情に厚くて。
ケット・シー族は器用で、丁寧に墓標を磨いてくれて。
ケット・シー族は。
あの子のために、頑張って磨いた墓標は、メルバたち家族の手ではあんまりきれいな円形にならなかった。それでもマーチャはありがとうと受け取ってくれて、頑張ってくれたのね、と。
「不器用なあなたが、こんなに頑張ってくれたのが、嬉しいの」
マーチャはいつもそう言って、メルバを肯定してくれる。頑張ったね、すごいね、ありがとう、嬉しい。マーチャの言葉がいつだって、メルバの心をふわふわにしてくれる。
ああ、ここに。あの子が居てくれたら。
後悔はいつも山のようにあり、それでも時間は戻らない。
どんなに積み上げても積み上げても、その後悔をぶち破って前に進まなければならない。
クー・シー族は単純なのだ。いつだって目の前のことだけ考えている。そんなクー・シー族が振り返って何かを思う時、いつもそこにはケット・シー族がいる。そりゃあもう運命なのだ。大好きだ。だから守りたかった。
守りたかった、好きだから。それだけ。
クー・シー族の行動原理なんて、だいたいそんなもんだ。
それでも時は止まらない。容赦なくあの子を思い出に押し流していく。目まぐるしく戦後復興に奔走する日々の中で、マーチャがメルバに「お願いがあるの」と言ってくれたのは、海風の強く吹く日のことだった。
「こんどね、スペルシア様が契約獣を遣わしてくださるでしょう?」
「聞いたわ! ケット・シー族がお店を仕切るのよね?」
「ゴーラはケット・シー族が少ないから、私にお鉢が回ってきたの。だけど、初めてのことだから、一人でやりくりする自信がなくて。メルバ、もしよかったら、手伝ってくれないかしら」
「喜んで!」
ちょっと食い気味に返事をしたら、マーチャは目をぱちぱちさせてから、ふんわりと微笑んだ。ケット・シー族はかわいいのだ。クー・シー族はこのかわいい生き物を守りたい。
「良かったわ。メルバったら最近元気がないんだもの、なにか思い悩んでいるのかと心配していたのよ」
「うーん、なにか色々考えてたけど、忘れちゃったわ! マーチャが頼ってくれたんだもの、張り切っちゃうわよ!」
「もう、メルバったら」
呆れたように、でも、愛しむように。
マーチャは微笑む。ふんわりと。
かわいいあの子の微笑みが、ダブって見えた気がした。あの子はとても、笑い方がマーチャに似ていて。あの子は声も、とても、マーチャに似ていて。
ああ、まだここに、残ってるのね。
すとんと、そんな気持ちが落ちてきた。
クー・シー族は、あんまり深い事考えない。ただ目の前のあるがままを受け取るだけ。納得したら、うん、と一つ頷いて、それでおしまい。もうわかったから。
メルバはクー・シー族だ。
メルバは大好きな人たちのためになにかしたい。
メルバは大好きな人に頼られたら嬉しいし、大好きな人が悲しいと悲しい。
メルバは。
「私、マーチャが大好きよ、おばあちゃんでもかわいいもの!」
「またあなたはそんなことを言って。もう、おばかさんねえ」
クー・シー族はケット・シー族におばかさんって言われるの、かなり好きなのだ。だって愛だもの。メルバはあんまり賢くないけど、それでも知ってる。
マーチャの「おばかさん」が「だいすき」だってちゃんと知っている。
知ってるんだ、同じ気持ちだもの。
メルバはクー・シー族だ。
細かいことは気にしない。一度決めたら一直線。もう結構なおばあちゃんだけど、まだ親愛なるマーチャのお手伝いだってできる。大好きな人が頼ってくれる自分は誇らしい。
そりゃあ、若い頃はやんちゃもしたし、なんなら戦時中だってなんかいろんな武勇伝ができたけど、それはそれ。今のメルバは、契約獣屋さんのお手伝いのおばあちゃん。夢はマーチャより長生きすることと、川へ行ったらあの子にごめんなさいすること。
大好きなマーチャを笑顔にできる存在でありたい。
大好きだから、笑っててほしい。それだけ。
クー・シー族の行動原理なんて、いつだって、だいたいそんなもんだ。
メルバさんの話なので、なんかこう、一直線なのにとっ散らかった感じに書きたかった。




