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閑話:とあるプレイヤーたちの話・9

とある画家と不思議な画廊


「うわあ……」

 そう呟いたきり、ベルキは完全に言葉を失った。特殊なところだとは聞いていたが、ここまでとは思っていなかったのだ。迷路のようになっている壁、壁、壁。その上から下までをびっしりと覆い尽くすような、様々な色彩の混迷。

 絵画、絵画、絵画、どこを見てもそれしかないようなその空間に、圧倒されてしまう。間抜けに口を開けて停止してしまったベルキの隣から、けらりと笑う声がした。

「どうだい、なかなかのもんだろう、俺の画廊はよぅ」

 深みのある落ち着いた声色のお陰で、どうにか自分を取り戻す。ベルキは「すごいですね」と答えながら、隣の住人に視線を落とした。


 白にグレーの斑模様のある、ケット・シーである。身長1メートルくらい、もうかなりの高齢で、杖をついて歩いているのだが、その背筋はしゃんとまっすぐに伸びていた。その顔には左目にかかるような大きな傷もあり、戦時中には妖精類を率いて大いに活躍した魔法師であったらしい。

 名前を、エーニュ。

 首都ナナミで、この画廊ラビリンスのオーナーをしている人物である。

「本当に、すごい。この全てが絵画だなんて」

「はは、数だけはナナミでも随一よぅ。ただし、その分、お宝もありゃあ、学生が手慰みで書いたようなラフ画もある。値段に納得できりゃあ好きなもんを買っていいが、買ったあとのクレームは一切受け付けてねえ。ここにくる客は、自分の目利きを試してえってやつから、掘り出し物を探してるやつ、ただ自分の家に合う絵を探したいやつ、画家の卵を応援してえってやつまで色々いるぜ」

「それで、この数が」

「ああ、あんたも好きなところに絵を飾りな。空いてるところならどこでもいいからよぅ」

「はい、ありがとうございます」


 首都ナナミは、ニムから馬車で約4日。坂道を登り続ける旅程だった。たどり着いたのは2日前のことだが、この画廊にはニムでお世話になった商家の紹介状があって訪ねた。曰く、腕試しをしたいならここが一番いい、とのお墨付きで。

「エーニュさんは、画廊を経営して長いんですか?」

「戦前から画廊やってたのは俺の友人でな、俺は画材の取り扱いをしてたんだ。戦争で一度全部燃えちまってよぅ。友人がすっかりやる気なくしちまったから、営業許可書を買い取ったのさ。何しろ立地がいいもんでな」

「それは、確かに」

 画廊ラビリンスは、ナナミの大通りの中でも、特に貴族街と呼ばれるところにある。ナナミは大きな城壁の中にもう一つ城壁の円が内側にあり、その中心に王族の住まう城があるような作りだ。内側の円が主に貴族街、外側の円が一般庶民の生活エリアとなる。

 ナルバン王国の首都なだけあって、すべての街のなかでも最も大きな街がここであり、貴族街には主に、劇場やコンサートホールなど、エンターテイメント施設が点在する。当然、住人もトラベラーも、許可さえあれば貴族街に入ることは簡単だ。

 ただし、貴族街での宿泊は許されず、内側の城壁門は夜8時には閉じてしまう。この内側の円で夜を過ごすことができるのは、星級の家に所属する者と、その客人だけとなっている。


 画廊ラビリンスは、午前中はスタッフと売り手のみが入る事ができる。1枚1,000Gの登録料を支払い、自分の売りたい絵を好きなところに置くことができるのだ。

 広い店内には、あえて迷路のように壁を多く設置し、絵を掛けるスペースをたくさん確保している。売り手は、この壁のどこに自分の売りたい絵を置いてもいいが、すでに設置してある絵を動かすことは禁止だ。当然、表通りのショーウィンドウから覗ける位置は特等席だが、そこはすでにぎっしりと絵で埋め尽くされていた。

 この店の正式なオープンは、午後から。絵を買いたい人たちはこの画廊を訪れ、山のような絵画の中から自分だけのとっておきを探す。時々、著名な画家の作品がそっと紛れていたり、歴史的に価値のある絵画が見つかったりもするらしい。

「どうだい、隙間はあるかい?」

「そう、ですね。俺は別に目立つところに置かなくてもいいかな」

「欲がねえな。あんまり隅っこに置くと、いつまでも残っちまうかもしれねえが」

「うーん……」

 ベルキがここにおいてもらおうと思っている絵は、とてもありきたりな風景画だ。ニムにある大きな公園の風景の中に、お世話になった家族が小さく描かれた、平凡な1日を切り取った絵。個人的には、結構な力作と思って描いたものだけれども、ここまで圧倒的な物量を前にすると文字通り埋もれてしまいそうである。

 でも、それでもいいのかな、とベルキは思う。


「日常の風景をほしいと思っている人は、こういう、隅っこを探すと思うので」

「はは! そう言われるとそうかもな」

 何度も折り曲がる通路の、隅っこの方。それでも一応、目に留まりやすい高さだけを意識して場所を確保する。値段は、自分では相場がよくわからないので、この画廊のスタッフに相談して言われるがままの値付けをした。正直、個人的にはちょっと高めだなと思うけれど、画廊のスタッフはプロなのだからお任せだ。

 だってベルキは、この絵が売れなくても全く構わないので。

 ただ絵を描きすぎて流石に持ち運びが辛くなってきたので、需要があるなら売ろうかなと思っただけで。ニムで親しくなった人たちの後押しもあったし、もし誰かが自分の絵を見て好きだと思ってくれたら嬉しい。この店で絵を選んで買う人なら、きっと大事にしてくれるんじゃないかと思った。

 絵を設置したら、ベルキのやることは終わりだ。

 誰かがもしこの絵を買ってくれたら、自動的にベルキのギルドカードに入金があり、どんな人が買ったのかという簡単な状況が確認できる。1枚ずつしか置けないけれど、知名度のない画家が絵を売るにはこれ以上ない画廊だ、と聞いている。

 というのも、この画廊には観光スポットとしての側面もあり、目玉の絵を見るために毎日多くの人が訪れるというので。


「さ、次の角を曲がったら、噂の絵だ。飽きるまで見ていってくれよぅ」

 ほんの少し得意げに言うエーニュに背中を押されるように、ベルキは角を曲がった。その突き当りに掲げられていいる巨大な絵こそが、この画廊を有名にしている特別な絵である。

「……すごい」

 口から出るのは、感嘆のため息ばかり。


 巨大な、1辺が2メートルくらいはあろうかという、正方形の油絵だ。

 きらびやかで品の良いナナミの白亜の城が真ん中に、そして貴族街の穏やかで美しい町並みが描かれた、鮮やかな絵である。


 正方形のカンバスに描かれた絵は、問答無用で「非売品」だ。

 この世界では、画家個人やその家族が親しい友人や世話になった相手に送る、贈答品としてしか存在しない。正方形の絵は、「買いたい」という取引をほのめかすことさえできないものだ。故に、画家から直接もらうか、持っている誰かから譲られるしか、取得方法がない。

 ヨンドで正式な勉強をした画家ならば、誰でも自分のサインに「不盗」の魔法を込める事ができる。不本意な強盗や強奪をされたとしても、正式な持ち主の手元に必ず戻る、という、筆記魔法だ。それが故に、正方形の絵を掲げる画廊はそれだけでもステータスであり、羨望の的となるのである。

 特に、この絵のように高名な画家の作品ともなれば、なおさらに。

「これが、王国随一と名高い画家の絵か……」

「どうでえ、圧倒されるだろ?」

「ええ、本当に……」

 ポプリ、と流れるようなサインが、絵画の右下に描き込まれている。風景と猫を描かせたら大陸一とも言われる、画家の名前だ。


「俺が権利を買い取った友人が、ずっと支援してた画家でな。俺とも、まあ、ちぃと縁のある男でよぅ。ナナミを出てどこぞ旅をしていたとは聞くから、他の街にも結構数は残ってるんだが、この大きさはここだけだぜ」

「こんなに大きなカンバス、俺も描いたことない」

「はは! 今活躍してる画家たちに話を持っていっても、描きたいって言うやつは少ないぜ。巨大なカンバスに街の絵を描くのは、ポプリの最も得意な作風だからな。比較されたくねえってやつが大半さ」

 街の絵、とエーニュが断言した通り、その絵には人影は描かれていても、人そのものは描かれていなかった。ベルキが持ち込んだ絵には、公園の風景と恩人家族の微笑みが描かれているが、この絵では人は完全に舞台装置として描き込まれている。

 表情がわかる誰かは存在せず、ただ絵を鮮やかに彩るためだけにドレスや髪色が華やかに描かれているだけ。それを見ていると、どうも、この画家は人物を描きたくなかったのではないか、とベルキには思えた。

 これほどの描き込みができるのだから、決して人物画下手だということはあるまい。ただ単純に、人を描きたくなかったのだろう。その反面、景色には道端の草1本1本にまで繊細な愛情が感じられるのが不思議だった。

「ずいぶん……人が苦手だった、のかな?」

 思わず口にした感想に、エーニュは「はは!」とひときわ大きく笑う。なんとなく、肯定されたんだなと感じた。


「……あ」

 そしてベルキは、ついにそれを見つけた。

「これ……これだ!」

 思わず指さしたカンバスの端っこで、シルバーグレイの毛並みのケット・シーが太陽の光に輝く後頭部をこちらに向けて、ショーウインドウを覗き込んでいた。ガラスに写ったあどけないケット・シーが、とても素敵なものを見ているかのように、ショーウインドウに並べられた楽器を見上げている。

 その眼差しはきらきらと楽しげで、この街を歩くことを心から喜んでいるように見えた。大きなカンバスの中で、そのケット・シーだけが表情の読み取れる唯一の「誰か」だ。

「これが、幸運を呼ぶという……」

「はは! お前さん探しものがうまいな」

 巨大なカンバスの中、指の長さほどのケット・シーを探すのはなかなか大変なことらしく、観光客で混み合っていたりするとなかなか見つけられないのだという。だが、このポプリという画家の描いた絵に紛れ込むケット・シーは、見つけると幸運を呼ぶと言われていて人気が高いのだ。

 ポプリの絵画はエーニュが言うように各地に残っているが、そのなかでもケット・シーがちゃんと描かれているものは全体の三分の一ほどだという。


「ポプリは放浪の画家でな、戦前には終の棲家を求めて各地を歩き回っていたというが、そのときに一緒に旅をしていた相棒がこのケット・シーだと言われているんだ」

「相棒……なるほど。だから愛情を込めて描けるんだ」

「まあ、王族に頼まれても人物画だけは頑なに描かなかった偏屈だと言われているが……。おそらくポプリにとって信頼に値する人物は、このケット・シーだけだったんだろう」

 説明をするエーニュの声はどこか誇らしげで、偉大な画家の相棒として親しくしていたのがケット・シーの同族であることを喜んでいるように聞こえた。

「ケット・シーが描かれているポプリの絵は、俺達ケット・シー族にとっては宝物も同然。誰もが一度は見てみたいってくらいの代物なのさ」

「そうなんだ……。この絵のケット・シー、少しあなたに似てるね」

「そうかい?」

 絵の中のケット・シーは毛長のふさふさとした尻尾を持っていて、きらめくようなシルバーグレイだ。エーニュは白にグレイのぶち模様だけれど、同じような毛長だし、右目の色も絵画のケット・シーと同じ色に見える。エーニュがもっとずっと若かったら、こんな感じだったのではないか。ベルキがそう言うと、エーニュは感心したように「ほう」と息を吐いた。


「驚きだ、画家ってえのは洞察力もあるんだな」

 それからとっておきの話をするように声を落とす。

「実はな、その絵に描かれたケット・シーは、俺の兄の娘じゃねえかって言われてんだよぅ」

「ええ?」

「ケット・シー族ってえのは、名付けがちと特殊でな。俺はエーニュって名前だが、これはニュ族のエーって意味なんだ。だから、俺の名前は正しくは「エー」だけで、「ニュ」ってのは家名だ」

 ナルバン王国に移り住んだとき、家名を名乗るのは星級だけという決まりに則って、分けずに一つの名前として使うことにしたのだという。だから、同じ一族はみんな「なんとかニュ」って名前になる、とエーニュは言う。

「そんで、ポプリの相棒として一緒にいたケット・シーの名前がな、リーニュって名乗ってたって記録が残ってんだよな」

「ニュ族の、リー、ですか」

「そういうことだ、だからまあ、身内じゃねえかってな。戦争で大分一族も減っちまったし、俺も正しい情報まではわからんが、ばあさまが昔生きてた頃に、俺の兄貴の末っ子がそんな名前だったって教えてくれてよぅ」

 エーニュはにかっと笑って、絵画を見上げる。

 圧倒されるような美しい絵画、街への愛に溢れた鮮やかな絵画を。


「もちろん、全然ちがうのかもしれねえが。それでも、ロマンだろ? 伝説の画家と生涯をともにした相棒が、俺の姪っ子だなんて! ましてやそれが、幸運を招くなんて言われてるとあっちゃあな」

 誇らしげに、得意げに。

 ああ、確かにとても素晴らしいことだ、とベルキも絵画をもう一度見上げる。

 これほどまでの情熱を注いで描かれた、観光スポットにすらなるような素晴らしい絵画に、身内が描かれているなんて。それはこの絵がある限りずっと色褪せず、世界に残る。時代が変わっても、大きな変革があったとしても、この絵はずっと残って、伝え続けるだろう。


 一人の偉大な画家がいたことを。

 その画家が愛情を持って描いた唯一の相棒がいたことを。


「ロマン、だなあ……」

 だから描くことが好きなのだ、とベルキは思う。いつだって時代を残す事ができる。ベルキが親愛を込めて描いたあの家族の絵だって、こうして何年も大事にしてもらえたら。それこそ画家としては一つの仕事をこなしたと思えるんじゃないかと思うのだ。

 ずっと、残ってほしい。素晴らしい人達がいたことを。


 ただそれだけでベルキはまた絵筆を取れる。好きなものを、大事なものを、愛するものを描いて、絵画は時代を超えられるのだから。

次の更新は土曜日になります。

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ロマンティックだぁ……
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