閑話:とあるプレイヤーたちの話・8
とある活字中毒者の仕事
人は、死を覚悟したとき何を残せるのか。
自分なら、その人生に残せる言葉があるのか。
そんなことを考える。
プレイヤー名「博士」の人生は平凡なものだ。家族はごく普通のサラリーマンの父親に、ごく普通のパートタイマーの母親、2つ上の姉が一人。都内のマンションに一家で住んでおり、姉は来年嫁に行くので家を出る予定。そうなったら空いた姉の部屋をもらって、そこに書斎を作る計画を立てている。
幼稚園から、小学校、中学校、高校と、どれも家から一番近いところへ通った。そこで出会った悪友が、今も同じゲームで一緒に遊んでいる清水、ことプレイヤー名シスイ。そして同じく中田、ことプレイヤー名ハインツ。幼馴染トリオというやつである。
子供の頃から本にしか興味がなく、暇さえあれば図書館や本屋に入り浸っていた博士を、よくもまあ見捨てずにまだ付き合ってくれるものである。人付き合いが上手くて友人の多いシスイはリーダー気質だし、明るく社交的なハインツは組織内の良い緩衝材になれるから、自分のようなコミュ障にわざわざ構わなくてもよいだろうに。
それでもやはり、付き合いの長さというのがアドバンテージとなるのか。3人で過ごす時間は自分でも居心地が良いと感じるし、2人がいうならば触ったことのないVRゲームというものもやってみるか、という気になるのも事実であった。
VRゲーム。
それがとてつもなく流行ったのは、自分たちが高校生の頃だっただろうか。何かしらのVRゲームをプレイしていないと学校で会話の輪に入れないくらいのブームだったという。……もともと人とそんなに会話しない博士にとっては無縁のブームだったが。
「博士もやろーよ! 結構楽しいよ、現実が別にもう一個あるみたいな感じで」
「興味がないのだが?」
「えー、そんなこと言わないでさあ!」
ってな感じにハインツに勧誘を受けたことは覚えていたが、それを何度か繰り返すとそのうち何も言ってこなくなったので、実際どれほどのブームだったのかは正直よくわかっていなかった。それを、大学も卒業して就職してから、触ることになろうとは。
しかも理由がカードゲームでボロ負けした罰ゲームとなると、なんともまあ、自分たちらしいといえばらしいのかもしれないが。
「博士のご両親、博士が本にしか興味ないの、ずっと心配してたからねー」
などと言いながらハインツが持ち込んできた機材を使って、初めて見るVRデバイスを四苦八苦しながら設定するのは、思っていたより楽しかった。しかし心配とは。
「俺の職業は市立図書館の司書なのだから、本が好きで当然ではないか」
「そりゃ結果論ってもんだよ博士。博士の就職先決まるまでもっと心配だったんじゃない?」
「俺が本のないところに就職する意味などあると思うか?」
「ないねー!」
けらけら笑ったハインツ。そして穏やかに微笑んだシスイはそんな2人のやり取りをまるっと無視して、「はいこれ」と1枚のカードを差し出した。
「これは?」
「ゲームカード。これが起動キーで、ここに差し込むとゲームにアクセスできるから」
「ああ、ソフトか」
このカードを差し替えることでソフトが変わるらしい。そのカードを受け取ると、タイトルの下に金色の文字で「先行体験会適用ソフト」の文字がきらめいている。先行体験会……?
「ああ、それまだリリースされてないゲームなんだ。抽選に当たるとサービス開始の10日前からプレイできる」
「10日か……そのくらいなら大して有利でもなさそうだが」
「それが違うんだなー!」
勝手にデバイスのフレンド登録というものをしていたハインツは、博士の言葉に即座に反応し、顔を上げた。
「アナトラは、時間経過加速系のゲームなんだよ!」
「時間経過加速……VRゲーム技術の中では最新のものと聞いている」
「お、その言い方だと技術は知ってる感じ?」
「技術については新聞でも大きく取り上げられていたし、書籍も多いぞ」
「技術書からねー、OKOK。そんなら話は早い、アナトラでは1日の経過が2時間だから、24時間アクセスできればゲーム内で12日間のプレイ時間が確保できるってわけ!」
ハインツは学校の成績はいつも下から数えた方が早いくらいの位置だったが、好きなことに関してだけは突然物覚えが良くなるところがあった。ゲーム関係の知識などその最たるもので、高校時代はなにかのゲームでトップランカーとかいう存在だったとか。博士にはよくわからないが、シスイに言わせれば「まあそのゲームの顔みたいなもの」とのことである。
顔か、まあ確かにハインツは無駄に顔が良いし、適役ではなかろうか。……と素直に口にしたところ、「博士に褒められた!!」と何故か大喜びしたハインツが周囲にそのことを喋りまくって、しばらく気まずい思いをしたものである。
なぜこいつは常に大げさなのだ。
「良し! 博士、これで全員のデバイスフレンド登録したから、アバター作成一緒にやろー!」
「アバター……?」
「ゲームの中で動かす自分のキャラクター。そのまんまでやると身バレするからね!」
「身バレ……するのか? 俺が?」
「ああ、うーん、博士はしないかもだけどさ!」
何しろ友達が少ない。知り合いもかなり少ない。普段はメガネをしているので、ゲーム内でメガネを外せば絶対にバレない自信があるのだが。しかし、ハインツ曰く「いつもと違う自分を作るのがゲームの醍醐味なんだよー」だ、そうで。
「確か法律で、自分の姿をスキャンして使うと決まっていなかったか?」
一応確認のためシスイに問いかけてみると、シスイはそうだね、と頷いた。
「でも、色は変えられるし、髪型とか体型も変更できるよ」
そしてその言葉を効いたハインツが、「変えようよ!」と身を乗り出す。
「メガネとった博士も良いと思うし、長髪にしてみるとか、派手な色にしてみるとか、新しい自分を発見できるかもだよー」
「俺は今の自分で満足だが」
「いやそれは満足だけどー! 新しい一面ってのはやっぱり見てみたいものですー!」
「博士、こうなるとこいつうるさいから……」
「なんでこいつはいつもうるさいんだ……?」
「ひどい!!」
まあ、そんなこんなで。
始まりはカードゲームに負けたことに対する罰ゲームだった。それが今では、仲間内の誰よりも長くゲーム内に滞在するようになっているのは、ここヨンドにたどり着いたからである。
ヨンドは、学園都市である。
あらゆるジャンルの学び舎が集まるこの街には、当然のように図書館も集まっている。戦争で焼けてしまった図書館もあるらしいが、それでも現在、街の中央に国立図書館、そして東西南北に4つの図書館が点在している。
サンガから山を超えて南門から街に入った博士は、その足で「サウス図書館」へと直行した。そしてそのまま、何日も朝から晩まで通い続けた。
当然、本棚の端っこから順番に無造作に本を読み続ける風変わりなトラベラーは、それだけでヨンドの話題になる。そのトラベラーが貪欲に知識を求め、歴史書の矛盾を司書に問いかけ、熱い議論を交わしたとでもなれば、なおさらに。
「やはりここの記述は翻訳が間違っている! 正しくは「対等に」だ、「同様に」ではなく!」
「うーむ、トラベラーというものは自動翻訳のスキルを持っていると聞くが、ここまでとは……!」
と、古書の翻訳ミスを指摘したり。
「うむ? これはものすごい悪筆だな。おそらくこう書いてあるのではないかね」
「なんと! 絡まった糸にしか見えんこのメモを読み解くとは!」
と、昔の偉人のメモ書きを解析したりしたことが功を奏したのだろうか。
ある時、博士に指名依頼という、特別なクエストが舞い込む事になった。
「なあ博士、トラベラーっていうのはどんな悪筆でも読めるんだよな? ちょっと、サウス図書館の臨時職員になって仕事をしないか?」
ある日、親しくなった司書の一人がそんな誘いをかけてきた。どういうことかと話を聞いてみると、連れて行かれたのがサウス図書館の司書室の隣りにある、保管庫。
そこにあったのは、おびただしい量の手帳や手紙、メモの切れ端、ノートに日記帳……。
「戦時中のものなんだ」
と司書は言う。
「意外と、こういったものを残す人は多くてね。持ち主がわからないままずっとここで保管されている」
「……すごい量だ」
「ああ。ここに保管してあるものは、誰が書いたのかわからないものとか、汚れていて読めなくて詳細がわからないものが多いかな。遺書にあたるものもあれば、詩集みたいなのとか、日常のメモまである。……俺達は、これを誰でも読めるものとしてまとめたいと、思っているんだ」
戦時中に書かれた物として、歴史的な価値もあるだろう。
でもそれだけではなく、例えば誰に当てたかわからない恋文や、遠方にいる家族へ向けた言葉などを、誰でも読める本として図書館に置くことが出来たら。なにかの縁でその本を見た、戦時中に大事な相手を失った誰かが、「これは自分へ向けた言葉だ」と思うことができるのではないか。
これらの言葉を書いた人たちは、きっとそれが届けたい人に届くとは思っていなかったかもしれない。でも、万が一の可能性でも、本当に伝えたかった誰かに伝わったら、そんな奇跡が起きてくれたら。
「言葉にそれだけの力があると、俺達は知っている」
司書はそう言って、唇を噛んだ。
ナルバン王国はもともと、識字率の高い国だ。ずっと昔の王様がスペルシア神への信仰を経典という形にしたとき、国民が誰でもスペルシア神のことを知ることができるようにと、教育に力を入れたためだと言われている。だから、こうして書いたものも残っている。
だが広い王国内で、書き方のクセや使われる単語も異なり、地域差が激しいものともなっている。ヨンドにいる司書に、これらの言葉を正しく読み解くことは難しい。だから、どうにかして本にまとめたくても、手をつけられずただ保管し続けてきた。
でも。
異世界からやってくるとき、自動翻訳というスキルを与えられたトラベラーならば。
どんな悪筆でも読むことが出来て、古代語の翻訳まで簡単にこなせる、トラベラーならば。
「なるほど」
博士はすぐに理解した。この仕事は、彼らの悲願であることを。すぐそこにある、誰かに届けられるかもしれない言葉たちを、抱えこむことしか出来なかった彼らの悔しさが、手に取るようにわかった。
言葉はたくさんのことを伝えられる。
だが同時に、誰にも読まれないならば、そんなものは何も伝えられないのと同じこと。どれほどの物語を用意しても、どれほどの熱意で論文を書き上げても、それを発表できずに机にしまい込むだけならば無いのと同じことになる。
そんなことを、許せるか。
確かに誰かに伝えるために書き残された言葉たちが、あまりにも不憫ではないか。
博士は本が好きだ。一冊の本に込められた情報、表現、文脈の美しさ、その他たくさんの文字列が、ただ紙の上で並んでいるだけなのにたくさんの感情を読む人に与えてくれる。言葉にはそれだけの力があると、確かに知っている。
サンガでラリーという青年と、自分がいかに本が好きかという話を一晩中語り合ったこともあった。朝には肩を組んで何故か号泣していたわけだが、さて、あれは一体どういう話の流れからだったか。……まあいいか。
その時ラリーに言われた言葉を、博士は今もしっかりと覚えていた。
『博士さんは、その熱量で語れるのなら、書き手にも挑戦するべきですよ』と、彼は人好きのする温和な表情で、言ったのだ。それは本を読むことだけを至上の楽しみとしていた博士に、今までなかった発想だった。
自分が、誰かが読む本の作り手になる。
ゼロからそれを始める情熱はまだ持てないが、翻訳からというのは良い手段な気がする。
保管庫を見回す。
そこに無造作に詰め込まれた、たくさんの言葉たちを。
「……やろう。言葉を残したということは、書き手はそれを残したくて書いたのだから」
博士の言葉に司書は頷き、その場で臨時職員カードという、保管庫に入るためのカードを手渡してくれた。この場所には、ただのトラベラーでは入ることが出来ないのだと、その時初めて知ったのだった。
その日から博士は、来る日も来る日も保管庫に居る。
あまり根を詰めずにとか言われるが、そういう問題ではないのだ。そこにある手紙が、手帳が、日記が、走り書きが、今か今かと博士を待っている。そう思うと手を伸ばさずにはいられないし、他のことをしていてもそのことばかりが気になってしまう。結果として、ゲームにログインすると早足に図書館へ向かうことが日課になっていた。
親から子どもへ、もう会えないかもしれない謝罪と、それでもまっすぐに元気に生きてほしいという祈りの手紙。
兄から妹へ、子供の頃の他愛ないやり取りの思い出と、ささやかな約束を守れなくなったことへの悲しみ、そして、その約束を別の誰かへと引き継いでほしいという願いの書き置き。
前線で戦う傭兵が、今日何を食べたとか、どんな事があったとか、野に咲く花が綺麗だったとか、同じ部隊の誰々が可愛かったとか、そんなささやかな幸せを記した日記。
ありったけの恨み言を書き連ねて、思いつく限りの罵詈雑言を書き殴って、それでも、それでも、あんたが必要だったと、もういない誰かへ告げる、切れ端。
年老いた親へ、先立つ不幸をお許しくださいと、生真面目に書いてある遺言。
ヨンドのどこかの教員であった誰かが、生徒たちひとりひとりにあてた、手書きの卒業証書。
たくさんの紙の束から、一つ一つを丁寧に取り出して、書き出して、形を整える。時々司書がお茶を持ってきてくれて、休憩しながら少し雑談して。
「戦時中のものだからな、重苦しい文面が多いだろ。ちょっと休憩したり、気分転換もしてくれよ」
「いや、良い文章ばかりだ。心がこもっているし、伝えたいことをしっかりと書いている」
「そうか、それならいいんだが」
「これを」
博士は一つのノートを、司書に差し出した。何の変哲もない、半分焦げ付いたノート。下の方は燃えてしまって読めなかったが、残っているところだけでも理解できることはあった。
「大切なエディーへ。笑うとえくぼができるあなたの笑顔が、どれほど私を救ってくれたかわからないでしょう。赤茶色の髪も、青灰色の瞳も、あなたは微妙な色だと言っていたけれど、私は好きですよ。その瞳に、きっと涙を流させてしまうことを、本当に悲しく思います。あなたが私の年齢になったとき、どうか、あなたの誇れる親として、あなたの心に残っていますように」
読み上げると、ハッとしたように顔を上げる、青灰色の瞳。
忘れるものか、この街で一番最初に覚えた名前だ。
「赤茶の髪に青灰色の瞳のエディー。お前の心に、お前の誇れる親は残っているだろうか」
答えなどわかりきっているけれど、問いかける。
この保管庫に残るたくさんの言葉の中に、何かを見つけてほしくてトラベラーにすがった、年若い司書の青年。博士が「やろう」と引き受けたとき、泣きそうに潤んだ瞳の意味を、察せないほど愚鈍でもない。
差し出されたノートを、エディーは震える手で受け取った。
煤けて読みづらくて、トラベラーの翻訳スキルを持ってしてもなかなかの難易度だったけれど。
「……ああ」
それでも彼は、笑おうとして、息を吐き出す。
「ずっと、残っているさ」
出会ってから数日。えくぼのできるその笑顔を、博士はようやく見ることが出来たのだった。
*
「せっかく一緒にゲームしてるのにー! 博士全然遊んでくれないー!」
トラベラーズギルドへ向かうと、フレンドメッセージを入れてきたハインツはそんなことをわめきながら突進してくる。その後ろでやれやれという感じに苦笑しているシスイは、基本的にハインツを止めないので、毎回どうして止めないんだと恨みに思う博士である。
「クエストをしていたのだ。思いの外、稼げた」
「なにそれー! 報告しようよそういうの、報連相大事だよ!」
「俺しか入れない場所でのクエストなので、どのみち連れては行けなかったぞ」
「なんでー!?」
喚くハインツを引きずりつつ、合流したシスイは普段通りだ。やはりハインツがいちいちうるさいのは、本人の性格なのだろうけれども。もう少し静かにしてもらいたい。
「サウス図書館でクエストだったんだ。終わった?」
「ああ、今日でS評価クリアだな。他の図書館も見て回らねばならないし、もう少し司書たちの信頼度を稼げたら、国立図書館のショップカードももらえるんじゃないかと」
「ダメー! ダメだってそんなの、博士ますます遊んでくれなくなっちゃうじゃん! VRゲームでなら本読んでないで遊んでくれると思ったのにー!」
「本は読む」
「うえーん、シスイどうすればいい? 私永遠に本に勝てない!」
「諦めたら?」
「いやー!」
耳元で叫ぶのは本当にやめてほしいのだが、それを言ったところでこのハインツが黙ったことはないので多分無駄だろう。いくら幼馴染で色々と諦めの境地に居るとはいえ、ここらで一応びしっと言っておくべきだろうか。
「ハインツ。お前は一応女なのだから、無闇矢鱈と男に抱きつくのはやめたほうがいいのではないか」
博士がそう口にすると、ハインツとシスイは一瞬沈黙した。
そしてシスイはため息を吐き、ハインツは「う、うぐぐ……」と呻く。
「あー、うん。流石にちょっとハインツがかわいそう、かなあ……?」
「博士にしか抱きついてないよ!? え、まさか1ミリも伝わってないやつこれー!?」
「その俺に抱きつくのをやめろと言っているのだが」
「やめませんが!?」
何故か涙目のハインツの肩を、シスイは軽く叩いて首を振った。
「博士には、きっぱり言わないと伝わらないって」
「う、うう……!」
ぎゅうぎゅうと腕にしがみついてくるハインツに、だからこれをやめろと言っているのだがなあ、と博士は思う。ぼんやりと思考を放棄していたその時。
「博士! 私と結婚しよ!」
「しないが」
「なんでー!?」
うるさいからな、と口にするのを、ほんの少しためらう。ただそれだけでも、ほんの僅かでも、ためらったのは一応、心情の変化ではあった。
ハインツさん、ボーイッシュな美人さん。でもアバターはドワーフ盾職。
名前の由来はトマトケチャップが好きだから。