33日目:幸運を呼ぶかもしれない絵
「まあ、そうは言っても。ポプリがわたしを覚えているかどうかは、わからないけどね」
そんな言葉で話を締めくくったリーニュさんは、ダックワーズの最後のひとくちを食べて、満足そうにふにゃりと微笑んだ。とても和む光景である。気の利いたこと言えない僕だけど、気になったことが一つあったので聞いてみることにした。
「えーと、この世界では生まれ変わりって概念があるんだ?」
「あるよ。死者の魂は川へたどり着き、どこかの岸辺へたどりついて親しかった人たちに巡り合う。あるいは、会いたい誰かが泳ぎ着くまでそこで待つと言われるけど。その後は、満足した魂から順に、再び命を得ると言われている。本来はゆっくりとそこで時間を過ごして、親しい人たちと次の人生での縁を結んだり、生前の疲れを癒やすものらしいんだけど……でもポプリはわたし以外に親しくしていた誰かなんていないからね」
ああ、偏屈なエルフさんだったんだっけ。でも、それならリーニュさんが来るのを待つってことになるのでは。……と思っていたら、リーニュさんは朗らかに笑った。
「大いなる川はきっと沢山の魂が流れ着いている。あの人混み嫌いが長居できるわけがないよ」
「あ、なるほど……?」
「それに、ここに戻って来るというのなら、すぐにでも生まれてこないと。わたしの寿命もあるからね」
うーん、ケット・シー族の寿命ってどのくらいなんだろう。エルフさんが200歳超えるくらいって聞いてるけど、それより長そうだけど。ポプリさんが亡くなったのは戦前ということだから、転生の概念があるならもうとっくに生まれていそうではあるなあ。
ただ、まあ、そういう概念っていうのは基本的に、「そう信じられている」って意味だ。
だからきっと、魂が転生するとしても、きっと前の人生を覚えている人なんていないんだろうけど。
でも、それでも、覚えててくれたらいいなあと僕は思う。覚えているままでポプリさんが生まれ変わって、リーニュさんに会いに来てくれたらすごく、良いなと思う。
リーニュさんはそのまま、ぽつぽつと森の暮らしの話をしてくれて、僕達がお茶を飲み終わったら奥のアトリエを見せてくれた。リビングの奥の部屋は、ポプリさんのアトリエだったんだって。リーニュさんが扉を開けると、ぎっしりと積まれたカンバスの形の……布?
しろいのたくさーん?
テトが不思議そうに首をかしげる。
「えーと、カンバスを布で巻いてるのかな?」
「うん、絵は日に当たると劣化してしまうから。好きなのを見ていいよ」
「宝探しみたいでわくわくするね!」
窓を板で塞いでしまっているこの部屋は、きっとアトリエとして使われていた頃は日当たりが良かったのだろう。僕がリアルで住んでいるワンルームと同じくらいの広さがあって、左右の壁にぎっしりとカンバスが積み上げられている。
無造作に積んでるんじゃなくて、ちゃんと棚を作って管理されてるっぽい積み方だ。大きさごとに分けてあるのかな?
まあそれは置いといて、好きなのを見ていいと言われたからには、この布を取り払って描いてある絵を見てもよい、ということである。丁寧に巻いてある布を外して、また戻すことを考えると、あれもこれもとはいかない。ここはひとつ、1個だけというガチャを引くことにするか……!
「テト! 1個だけ見せてもらおう! 1個だけ選ぶんだよー」
いっこだけー、わかったー!
なんか楽しいゲームだとでも思っているようで、テトは目をきらーんとさせて真剣に絵を吟味し始めた。といっても布しか見えないから、吟味したところでって感じではあるんだけれども。
僕、美術の成績は5段階で4。悪くはないんだけど、めっちゃ得意ってほどでもない。
美術館よりは博物館のほうが好きだし、美術館に行っても絵より刀剣とか甲冑とかを見てるほうが楽しい派閥。ちなみにこれはイオくんも同じで、武器はロマンという共通認識である。
で、絵はというと。
うーん、まあ、描けなくはない……? デッサンは下手くそだけど。色のセンスは独特って言われるかなあ。いわゆる絵画って感じのものよりも、ポスター描いた方が評価高い方。好きな画家は? って言われてもすぐに出てくる名前はないし、正直、センスとかに関してはイオくんに完敗だしね。
そんなんでよく<美術品鑑定>を取ったな僕。まあクエストに必要だと思ったからではあるんだけど。
「うーん、どれも良さそうな雰囲気がビシバシするなあ……」
じっと棚を見つめると、どれもこれも「良いものです!」ってイメージが伝わってくるから困った。<グッドラック>さんもどれを選んでもよし! って反応だから、ポプリさんって本当に素晴らしい画家だったんだろうな。
テトもふんふんと鼻を鳴らしながら、「むむーっ」と一生懸命考えているようだ。勝手に1個だけ選ぶガチャにしちゃったけど、やっぱりこういうのは無制限よりも制限があったほうが真剣に選べるからね。僕も真剣に……真剣に……。
じーっと棚を見つめていた視線が、ふと奥の方に引っ張られる。
「あ。リーニュさん、一つ落っこちてるよ」
「あれ、本当だ」
よく見ると、棚から滑り落ちたのか、棚と壁の間に斜めに挟まった絵が一つ。小柄なリーニュさんがそれに手を伸ばして、隙間からうまく救出してほっと息を吐く。結構ホコリを被っているところを見ると、あそこに落ちて大分長かったのかも。それに、うん。何か縁を感じてしまったし、僕はこれにしようかな。
「それ、見てもいいですか?」
「もちろん、どうぞ」
すんなりと手渡してくれたリーニュさんにお礼を言って、カンバスを受け取る。大きさは横50センチ、縦30センチ……くらい? 棚から落ちていたせいなのか、カンバスを包んでいる布の表面は薄汚れていた。この布を外したらどんな絵が出てくるのか、とてもわくわくしてくる。
ナツー! これにするのー!
ちょうどテトも一つ選び終わったようで、満足そうに「うにゃん!」と鳴いた。どれどれ? と近づいていくと、一番奥の下の方の棚を前足でちょいっと指差すテトさんである。
「これ?」
いっこしたー。
「あ、これかな?」
それー!
テトが選んだのは、縦横20センチくらいの正方形の絵画だった。自信満々の顔をするテトが、はやくはやくと促してくるので、テトの選んだ方から布を……あ、待ってここだと暗くてよく見えないかも。リビングに持ってっていいかな? ありがとう。
というわけで、先程までお茶をいただいていたテーブルに戻って、丁寧に布を外すことにする。リーニュさんはにこにこで楽しそうに僕達を見ているし、テトはわくわくの表情だし、なんかクリスマスプレゼントを開けるみたいな感じだなあ。
「さて、テトが選んだのはどんな絵かなー?」
すてきなのがいいのー。
「ポプリさんはすごい画家さんだったみたいだし、きっとどれも素敵だよ」
そのなかでもとってもすてきなのがいいのー。
にゃにゃーんとご機嫌なテトさん、きらっきらの熱い眼差しをカンバスに向けている。僕もうっかりぶつけたりしないように慎重に布を外して、全員に見えるように絵画を掲げてみせると……。
「わあ」
おともだちー!
と、リーニュさんとテトが同時に声を上げた。
僕も横から絵画を見ると、そこに描かれていたのは猫さんの横顔だった。ケット・シーさんじゃなくて、普通の街猫さんだね。小さな肉球で野に咲くたんぽぽの黄色い花に触ろうとしている、可愛らしい絵である。耳だけ黒いぶちねこさんの毛並みが、実に麗しい。
すてきー!
と大満足なテトの言葉に、リーニュさんもなんか嬉しそう。……あれ?
「リーニュさん、まさかテトの言葉わかってますか?」
「うん、わかるよ」
「えっ、契約獣の言葉は契約主にしか伝わらないのでは……?」
「ああ、普通はそうだけれど」
ふふふと笑ったリーニュさんは、「わたしはスキルを持っているから」と続けた。それはまさか、<キャットフレンドリー>的なやつですかね……? それ取得方法教えてもらいたい、街猫さんとか他の契約獣の猫さんたちの気持ちも多少わかる男になりたい……!
しかしそんな気持ちを込めて見つめてみても、リーニュさんはにこにこするだけなので、教える気はないということであろう。やはり自分で見つけなければならないのだ。猫王への道は遠いのである。
ナツのはー?
「あっ、ごめんごめん。僕の選んだやつも布を外してみようね!」
テトが嬉しそうに猫の絵を見つめている様子が可愛かったので、もう大満足なんだけど。せっかく僕も選んだことだし、こっちも見てみよう。
というわけで大きめのカンバスを包んでいる布も慎重に外して……。
「……あ、サンガだ!」
サンガー? ヴェダルいるー?
「ヴェダルさんはいないかなー? でもここ、多分水辺通りだよ。ほら、船頭さんが教えてくれたでしょ、昔水辺通りには屋台が沢山並んでたって」
出てきたのは、サンガの町並みを描いた風景画だった。もちろん、ポプリさんが生きていた頃の風景だろうから、戦前のものだ。僕がこれをサンガの風景だとわかったのは、街中を流れる川と橋が描かれていたから。
サンガにかかる3つの大橋は、1つは戦後、もう1つは戦時中に作られていて、戦前から残っている橋は北門近くの「ダンワン橋」だけだったはず。そのダンワン橋を少し遠目に、川沿いの活気のある狭い路地が屋台で埋め尽くされ、人々が料理と酒を求めて陽気に行き交う様子が描かれていた。
時間帯は夕暮れ時、店先に明かりが灯り始めた頃。陰影が強く、行き交う人々の表情は見えない。風景専門の画家だとリーニュさんも言ってたけど、書き込まれた人影は目立たないような色合いで、見る人の注意を引かないような構成だ。
多分、一番描きたかったのは川と、少し遠くに見える橋かな。構図が橋を目立たせるような感じだから、僕もすぐにサンガだと気づいたわけで。
リーニュいるー。
「え。どこどこ?」
ここー!
僕がすごいなーってぼーっと絵を見ていると、家の名探偵テトが得意げに前足で絵の一部を指差す。ちゃんと爪を引っ込めているのでえらい。
テトの示した場所には、屋台の影からそっと飴細工に手を伸ばすシルバーグレイの猫さんの姿が描き込まれている。これだけ沢山描き込まれた人影の中で、表情がちゃんと分かる「誰か」は、このケット・シーだけだ。小さいけど、目をキラキラさせているのが良くわかる。
「ほんとだ、リーニュさんこんなところに」
「え、えへへ。ちょっと照れるね」
リーニュさんは自分が描かれていることを知っていたのか、特に驚くこともなく照れて見せた。
「ポプリはたまにそういうことをしたんだよ。わたしに見つからないように、小さくわたしを描くんだ」
「へえ、仲良し!」
「ふふふ。本当に、子どもみたいだよね」
仕方のないやつだよ、と言うリーニュさんの声はどこまでも温かい。きっと、それだけポプリさんと過ごした日々が温かなものだったのだろう。
「ポプリさんって、風景とケット・シーを描く画家さんなんだね」
「うん。今はどうかわからないけど、ポプリの絵は昔、ケット・シー族に人気があったよ。どこかにケット・シーが描かれた絵を持っていると良いことがあるんだって」
「ラッキーアイテムかあ」
「どうだかね。でも、わたしには確かに良いことがあったから、信じてもいいかな」
穏やかに微笑むリーニュさん。その笑顔を見て、僕は密かに決意した。
どっかでポプリさんの絵を見つけたら、いつか絶対に買って拠点に飾ろう、と。
……めちゃくちゃお高いんだけどね!