33日目:ただ、きみを待つ。
オレンジのカーテンの向こう側には、こぢんまりとしたロッジと小さな庭があった。
「おお、かわいいお家だ!」
すてきー!
僕達の褒め言葉に、リーニュさんは照れたように微笑む。
「ありがとう。この家を作るの、とても大変だったんだよ」
「リーニュさんが作ったの? あ、そういえば道迷いの呪いは大丈夫?」
「ここは神獣様の住処だから、呪いは効かないんだ」
リーニュさんが言うには、神獣さんや聖獣さんの住処は、明確に区切ってあるところに限るけど、街と同じ扱いになるんだそうだ。ここはグランさんが円形に区切っていて、なおかつ壁になるように木々をぎっしり生やしているから、条件に当てはまる。ただし、そんな場所に住むには家主さんの許可が必要らしい。
「じゃあ、リーニュさんはグランさんに許可をもらって住んでるんだね」
「うん。もう、グラン様は許可を出したことを忘れてしまったかもしれないけれど」
そんな話をしながら無心でテトを撫でまくっているリーニュさん。なかなかの撫で上手である。テトも気持ちよさそうにごろごろと喉を鳴らしている。
「もしかして、ずっと昔から住んでるの?」
「そうだねえ、もう、70年くらいになるね」
「え!?」
思ったよりも昔からだな? えーっとたしか、戦争が終結して10年、戦争が20年続いたから……うん、だいぶ前からだね。というかグランさん、そんな昔からずっとここに住んでたのか。
「ここは食べ物に困らないし、魔物は出ないし、良いところなんだ」
ほんわかとそんなことを言って、リーニュさんはようやくテトから手を離した。それから、こぢんまりとしたロッジにどうぞと案内されたので、テトと一緒にお邪魔する。外から見たら小さなロッジだけど、中は随分広かった。多分、空間魔法か何かで中を広げているんだろう。
リーニュさんは手作りらしき木製のテーブルセットに僕達を案内し、お茶を入れてくるよ、とキッチンへと向かう。その後姿を見送ると、尻尾がテトみたいにぴんとたっていて、ご機嫌そうだ。
リーニュのしっぽすてきー。ふさふさなのー。
「テトの尻尾と似てるね」
テトのしっぽもすてきー?
「最高にふさふさで良い手触りで素敵だよ!」
にゃふー。
テトさんは非常に満足そうなお顔で僕にすり寄ってくれました。うむ、うちの猫はもふもふでとてもかわいい。
さて、それにしても。
「リーニュさん、戦時中もここにいたんですか?」
「そうだねえ。戦争中はグラン様があちこち飛び回っていたから、ひたすらここに引きこもって隠れていたね。わたしは弱いから、魔物が現れたって戦うことは出来ないし。ずっとここに住んでいたから、街へ行く勇気もなくて」
「よくご無事でしたね……」
「うん、実際、この密林は守りが強固だったから、そこまで沢山の魔物は入り込めなかったんだ。隠れてやり過ごしていれば、そのうち戻ってきたグラン様が倒してくれたし。意気地なしだと思うかな?」
「いえ、戦えないなら、隠れることも手段として正しいですよ」
「そう言ってもらえると助かるよ」
ホッとしたような顔をして、リーニュさんがカップを3つ持ってテーブルに戻ってきた。いかにも手作りっぽい、少し歪んだカップ。でもなんだか味わいがあるし、きれいな緑色をしている。
「どうぞ、お茶の葉っぱを育てて、発酵させているんだ。紅茶に近い味がすると思うよ」
「ありがとうございます!」
ナツー、てきおんってしてー!
おねだりするテトのために、紅茶に【適温】をかけてから、香りを嗅いでみる。……うん、なんか紅茶っぽい香りがする! あとちょっとだけフルーツっぽい? 柑橘系の香りがするようなしないような。
お茶をいただいちゃったから、何かお茶菓子は出そうかな? えーっと、残り少ないやつから……。いつ買ったかわかんないダックワーズがあるからこれにしよう。
「リーニュさん、これどうぞ!」
5個あったから全部出して、とりあえずテトに1個、リーニュさんに2個差し出した。テトは沢山食べるより、少量をちまちま長く味わいたい派閥なので1個で十分なのだ。シンプルな袋に入ったダックワーズを、リーニュさんは不思議そうに受け取る。
「これは……お菓子かな?」
「そうです! 多分イチヤで買った焼き菓子ですね」
「焼き菓子なんだあ。すごく久しぶりに食べる気がするよ、ありがとう」
嬉しそうに袋を開けるリーニュさん小さな手でダックワーズを持って、さくっと……食べて大きく目を見開いた。めっちゃおいしい! と訴える表情だ。
おいしー♪ さっくさくー♪
とテトもご機嫌である。
「凄く美味しいね! わたしは長いことここから出ていないから、焼き菓子の味は久しぶりだよ」
「あ、そう言えばそうですよね。ここでは何を食べているんですか?」
「果物が多いよ。バナナとかマンゴーとか、あれも十分甘いけど、砂糖の甘さはまた違うね」
「それは確かに」
果物の甘さも良いものだけど、砂糖は砂糖でまた違うよね、わかる。
うん? いやしかし待ってほしい。果物はメインの食材としてありなのだろうか? 僕はお米もパンもじゃがいもも大好きなので、甘いものだけを食べて行きていけないけど……妖精類はワンチャンOK?
「食事は芋が多いよ」
「心読まれた気がする!!」
ま、まあ僕の心が何故か読まれることに関しては置いておくとして……考えたら負けだ! 一番気になったことをちょっと聞いてみようと思う。紅茶を一口いただいて、口当たり良くて飲みやすいなあと感心しつつ、さり気なーく。
「それで、リーニュさんはどうしてここに住んでいるんですか?」
「ああ、うん。そうだね」
幸せそうな顔でダックワーズの2個目の袋を開けながら、リーニュさんはなんでもないことのように答えた。
「人を待っているんだ。わたしの大事な相棒をね」
*
昔、昔のことだよ。
わたしは空間魔法を使えたから、荷物運びのポーターという仕事をしていたんだ。小さい頃からやっていた仕事だったから、その男に出会ったときにはすでにベテランに片足を突っ込んでいてね。だから、その男が「終の棲家を探したい」という条件でポーターを雇いたいとやってきたとき、引き受けることにしたんだ。
だってその男は、どこを最終目的地とするか決めていないっていうんだもの。そんなの、新人や駆け出しには任せられない。わたしなら場数も踏んでいるし、貯金もあるし、まあ多少無茶な旅程にも耐えられるからね。
それで、その男の家にあるものを色々詰め込んで、旅に出たんだ。
そりゃあもう、無謀な旅だったよ。何しろあっちへふらふらこっちへふらふらと、あの男ときたら、きれいな景色があったら見に行くし、めったに見られないものがあるとなったらしらみつぶしに探すし、諦めないしで。
わたしはこの通りのんびりした性格だったから、別に何日か放置されたってゆっくり待っていられたけどね。年若いケット・シーだったらきっとしびれを切らしていただろうね。
でも、その男は良いやつだったよ。
パンが一つしか無いときは半分にして、必ず大きい方をわたしにくれたんだ。
きれいな花が咲いていたらわたしを呼んで見せてくれたし、2つで迷ったときは必ずわたしの意見を聞いてくれたしね。まあ、わたしには合っていたってことだろうか。
その男はね、街には合わなかったんだ。
せかせかしていて好きじゃないって、いつも人混みを嫌った。
だから、ゆっくりと過ごせる終の棲家を探して、あちこち歩き回ってさ。必要があって街へ行くときは、いつも眉間にシワを寄せて難しい顔をしていたよ。それで、時々神妙な顔で「ここに残るか?」って問いかけた。不安そうな顔をするから、わたしもついつい絆されてしまったんだよ。
「ううん。もう少し一緒に行こうかな」
「そうか、それはよかった」
そんなやり取りを、何回しただろうね。
わたしにとってその男は、だんだん大事な友人になっていった。多分、その男にとってわたしもそうだったんじゃないかな。
ふらふらとした旅だったけど、わたしたちは決して貧乏ではなかった。それは、その男が絵を描いて売っていたおかげだったんだ。ナツさんは、絵画に詳しいかな? なんだかそんな感じがしたんだけれど。
あいつはね、本名とは別に画家の名前があったんだよ。描いた絵に入れるサインの名前。雅号っていうんだったかな。わたしに出会うずっと前から使ってた名前があってね。
ポプリ、っていうんだ。ごった煮とか色々詰め込んだものって意味だよ。
……ああ、グラン様のツリーハウスに飾ってあった? まだ持っていてくれたんだね、嬉しいな。ポプリがこの神域を見つけたときには、本当に狂喜乱舞の有り様だったんだよ。「理想の楽園だ!」なんて言って。グラン様が絵画に理解のある方だったから、快く居住を許してくださったのはありがたかったね。
ポプリは偏屈なエルフだったから、人が嫌いで、人混みが嫌いで、騒がしい空間が嫌いで、だから人がいなくて静かなここが本当にお気に入りだったんだろうね。うん、きれいな風景画だったでしょう。ポプリは風景画の専門家だったんだ、人は意地でも描かなかったね。
エルフは長寿だから、旅に出たときにはポプリはもうとっくに有名な画家だったんだよ。それまでは画廊のお抱え絵師をやっていたって言ってたかな。旅に出てから出回る絵が減ったから、かえって人気が出て絵も高値で売れるようになったんだ。わたしには、芸術の価値なんてものはよくわからなかったけど。それでもポプリが絵を描くのを見ているのは好きだったよ。
白いカンバスに、赤や黄色や紫や、沢山の色を乗せるんだ。
何を描いているのかわからない間に、ポプリの手があちこち動いて、新しい色を乗せて、絵の具を伸ばして、時々ぼかして、パレットに絵の具をいくつも重ねて色を作って……そうすると、ふと気づいたらちゃんとした風景になっているんだ。
わたしがぼんやりしている間に、なんだかまるで違うものになっているようで、いつも不思議だったな。これは魔法なのかと聞いたこともあるんだけど、そうしたらポプリは得意げにふふんと鼻を鳴らしてね。
「技術だ」
って。ふふふ、そうだねえ、偏屈な爺さんだったけど、いつまでも若造みたいな言動の男だったね。
グラン様に許可をもらってここに住み着いてから、しばらくは旅をしているときよりも大変な日々だったよ。何しろわたしたちは、どちらも大工仕事なんてしたことがないからね。どうにか雨風をしのげる小屋を作らないといけなかったし、テーブルや椅子だって、寝具だって、台所だって、とにかくなんにもないんだから。
でも、すごく楽しかったよ。街までキッチン用品を買付に行ったり、木材を組み合わせてどうにか家らしいものを作ったり、ポプリは陶芸にまで挑戦してね、このカップもあの男が作ったものなんだ。ゆがんでるけど、でも、案外悪くないでしょう。
それで、なんとか落ち着いたらもう、ポプリは自由気ままに絵を描いた。密林の木々、小さな花、空を横切る鳥なんかはもちろん、記憶の中にある街の風景とか、旅の途中で見た景色とか、あとは時々動物なんかをね。
わたしはポーターの仕事が終わったから、街へ戻っても良かったんだ。でも、ポプリがいない人生の先というものが、なんだか味気ない気がしてね。だから、まあもうしばらくは一緒にいようかなと思って。
嵐が来た夜とか、何か良くないことがあった日なんかに、あの男は時々思い出したようにわたしに問いかけた。
「リーニュ、街に戻るか?」
なんだかこの言い方だと、わたしが戻ったほうが良いと言っているように聞こえるけれど。でも実際は、ひどく不安そうな顔をして、絶対にこっちを見ないようにして言うもんだから、おかしくてね。
うん、子どもみたいなやつなんだ。だから、毎回、「もう少しきみといようかな」って、答えてしまうんだ。
ポプリが川へ旅立ったのは、戦争の始まる5・6年は前のことだったよ。
最後まで絵筆を握りしめたまま、ひどく満足そうに、眠るようにね。最後に交わした言葉は、「君のシルバーグレイの色味は難しくていけない」だったかな? 一生懸命絵の具を混ぜていたよ。わたしはただ笑って、尻尾を振っておいた。あの男はそんな尻尾を目で追って、右、左、もう一度右へ眼球を動かそうとして、そのまますうっとまぶたを閉じた。そういうやつだったね。
戦争が始まる前だったから、グラン様がどこからか青炎鳥を呼んできてくれて。こんな密林じゃ葬儀もままならないだろうって、青い炎で燃やしてくれた。墓は、わたしがひとりで形を整えたんだ。のんびりのんびり磨いたから、びっくりするくらいきれいな円柱になったよ。きっとあの気むずかし家のポプリも、あの形には大満足をしたんじゃないかな。
それで、その後。
わたしは街へ戻るか、ここに残るかをじっくりと考えた。
わたしはケット・シー族の寿命から見ると、まあ、中年に差し掛かったかなってくらいの年だったから、まだ戻って働くというのも選択肢としてはあったんだ。でもポプリがあちこち一生懸命手を入れたこの小屋と、猫の額ほどの庭を捨てるに忍びなくてね。迷っているうちに戦争が始まって、一度は戦うためにここを出ようと決意したのだけれど。
荷物の整理をしていたら、遺書が出てきたんだ。
そう、あの男がね。わたしの外出用のポシェットの中に入れていたんだよ。そんな事考えてもいなかったから、見つけるまでに随分時間がかかってしまった。
ふふふ、そうだね、いたずらっ子の発想だ。最後まで子どもみたいな男だったよ。
それで、その遺書には、ここに残したものはすべてわたしにくれるってことが書いてあってね。またいつか戻って来るから、手入れを頼むって。本当、それを読んだときには笑ってしまったけれど。
結局笑い飛ばすことは出来なくて、こうしてずっと待っている。
いつかあの男が別の体で生まれ変わって、違う名前をつけられて、別の特技を取得して、あの頃とは違う感性とセンスをひっさげて、この密林にたどり着くその日を。
ずっと。
うん、これからも、ずっとね。
待っているんだ。